拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 喧嘩のためのフランス語

2021年05月25日 | 娑婆惰罵駄(シャバ・ダバダ)

  今日はなんか突然に、フランス語を勉強しなきゃ!・・・と思いつき、なにかいい勉強法はないかと検索すると、こういう記事が出てきた。

  『 東大の元総長である蓮實重彦氏は、25年ほど前に自ら編纂したフランス語文法教科書の序文で、「われわれが外国語を学ぶ唯一の目的は、

  日本語を母国語としていない人びとと喧嘩することである。大学生たるもの、国際親善などという美辞麗句に、間違ってもだまされてはならぬ」

  (『フランス語の余白に』朝日出版社)・・・

  私はこの記事を読んで、十数年前、自己流フランス語が若干、上達した理由を思い出して思わずニンマリ…してしまったのだ。

  私はスイスに来る際、フランス語の習得はありえない事として、観念していた。英語でさんざん苦労してそれでも結果は50%程度であるのに

  さらにフランス語を覚える余地など私の脳のどこを探してもある筈がない!・・・と断言できるほど自信があったからである。

  それに最初はじめた観光ガイドの仕事では、英語ができればなんとかなる…業界であったし、お客様は100%日本人であったから、フランス語ができなくても

  まったく問題がなかったのだ。・・・が、いつの日か、日本企業系の引越し屋に務めるようになり、ジュネーブ支店長はフランス語ペラペラのポルトガル人であったが

  はじめは英語で大丈夫・・・と言っていたのに、数年立つと社内ではフランス語を話さなきゃ・・・みたいな雰囲気になり、私に圧力をかけてきた。

  それと入社後、2年足らずで先輩が辞め、私が現場の責任者になると、引越し時の問題やら資材の問題などいろいろ気が付いた点を支店長と話し合うわけであるが

  だいたい何時も支店長と大声でやり合う…ことになってしまった。・・・まさにこの『喧嘩の如き論戦』のおかげで私の自己流フランス語は一気に上達したのだ。

  今思うに、よくもまぁあんなに少ないボキャブラリーで論戦したものだ・・・とあらためて感心する。

  しかし、その支店長も私が退職年齢を迎える数年前に突然会社を辞めてしまい、ちょうどそのころ私は日本語でインターネットを盛んに見始めていた頃なので

  フランス語を勉強する気はまったく無く、フランス語上達の機会をほぼ完全に失ったのである。

  それでも今日のように突然、フランス語勉学の必要性を感じたりして、フランス語で書かれた禅の本を読み始めたが、せいぜい30分が限度、睡魔に襲われて

  2ページも進むことが出来なかった。ああ〜っ、こりゃ無理だ〜・・・仏語はムズい! 喧嘩相手を見つけるか、美人個人教授先生を見つけるか・・・問題だ!

     

        『路上の生花』というべき見事な華・・・フランス語でフラ〜という。

  

  

  

  



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