拈華微笑 ネンゲ・ミショウ

我が琴線に触れる 森羅万象を
写・文で日記す。

 『 ? 』 の赤いピル

2021年09月24日 | 観自在

  私の未発表写真作品に『Good-bye New York 1985』というのがある。

  私の人生の中のニューヨークで過ごした一年ばかりの短い時期というのは、徹頭徹尾『?』で、長いことその『?』が何であるのか…

  さっぱりわからず、その頃の写真を作品としてまとめあげたのも西暦2000年を過ぎてからで、作品としてはとても気に入っているのに

  自分が何を意図して写真を撮ったのか・・・今日に至るまで何が何だかさっぱり解らなかった作品である。

 

  この作品にはニューヨークで知り合い、結婚まで約束していた女性との出逢いと別れがテーマとして底辺にあることは知っていた。

  私がニューヨークに別れを告げる根本的原因となったのは、なんと彼女のシカゴにいる御両親にお会いした時、彼らの若き日の写真を

  スライドショーの形で見せられた…事であった。

  彼女の父親は外科医として成功し、妻と4人の子供達と安定した豊かな生活を送ってる様子はよくわかった。

  若き日の写真というのは、彼が海軍の曹長か何かで横須賀に駐在の後、アメリカに帰国した日に迎えに来た若き妻と共に撮影された写真であったが

  まるで、映画『愛と青春の旅だち』のリチャード・ギアそのものの白い軍服姿の(義)父と女優のように美しい(義)母の幸福そうな写真であった。

  この良きご夫婦と、その若き日の二人の写真を観て、私は『衝撃』を受けた。

  そしてそれが何なのかわからないまま、私はこの結婚をすべきではない・・・という気持ちになるのを止めることが出来なかった。

  この決断は苦しかった・・・。彼女を悲しませ苦しませ、しかも原因が彼女の御両親の写真に衝撃を受けたから・・・であるとは言えなかった。

  私はずーっと長い間、自分に何が起こったのかさっぱりわからなかった。

  結果的にニューヨークでの決断がその後、日本に帰国して円覚寺での本格的な禅修行へとつながった。

 

  そういった流れを今は、俯瞰して還暦スキャンして観ることができる年齢と精神に至り、『う〜ん、そうであったか・・・』と思う。

  結局、あのスライドショーは、私に『?』を突きつけたのだ。

  『?』に取り組む人生の『赤いピル』選ぶか、『?』を無視する『青いピル』の人生を選ぶか・・・の決断を!

           

           私は『?』をはぐらかさない人生…つまり『赤いピル』を選択したゆえに

           ニューヨークを去らなけれならなかったのだ… Good-bye New York!…と。



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