今日、12月8日は仏教徒にとって最も重要な日・・・一般的には『成道会じょうどうえ』というが、
寺で修行する禅者にとっては、一年を通して最も厳しい接心『臘八(ろうはつ)接心』という、まさに釈尊の『悟った日』に合わせて、
12月8日が最終日になる坐禅修行の時期をもうけるので、私には『成道会』というより、『臘八接心の日』という印象がつよい。
・・・修行当時の私にしてみれば、『沈黙中の沈黙』の真っ只中にいたので、正直、『成道会』も『釈尊』も『悟り』もへったくれも無く
それこそ、娑婆に出た今こそ、『あぁ〜、そういう日であったか・・・』と思うくらいのもののような気がする。
おそらく釈尊以前にも以後にも『悟った人』はいたのであろうが、『天上天下唯我独尊!』と宣言して教えを広めた人は彼一人であって
その意義は果てしなく大きかった・・・。
『釈尊の教え』が、中国を経て日本にやって来た時、日本人は『佛』を『ほとけ』とも『ぶつ』とも読むことになる。
漢字を取り入れた日本人は『漢字』に『音読み』と『訓読み』の『重ね合わせシステム』を編み出した!!・・・が、果たして
『漢字重ね合わせ読法』こそ、『漢字』が『東洋思想』を解する方程式となり得た要因の一つではなかったか。
今日、12月8日は釈尊の『悟った日』であるが、その内容を漢字方程式で解くと、
『佛』とは、『解(ほど)け』るで、『自ずと分かれ、自ずと分かる』と、解けた『自分を観る』こと、それをこの文字『弗』は表している。
そこには『自己愛』を介した『自他不二』の『不二愛』=『慈・いつくしみ』が初めて生じる。
『佛』と『慈』の字がともに表すのは、『色即是空空即是色』の『空・色』の絶妙な『間の制御』であり、それが『慈悲と智慧』から
生じる『観自在』の働きとなるから、そのような人を『人間』という名称を日本人の祖先は、そうなることを期待して付けたのだと思う。
『 生国は 悟りの郷よ 慈悲と智慧 欲で霞んだ 記憶たどれば 』 一撮
漢字に『音読み』と『訓読み』を発明した我が祖先、駄洒落やオヤジ・ギャグを自在に昇華して『方程式』にまで・・・!
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