扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

最終的に・・・・・・そうなるよね

2009年06月08日 23時35分56秒 | 気づき
このblogを読んでいただく事に当たり

「はじめ・・・」にを読んでもらえるとうれしいです。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

理論的に書けない私が、理論的風に書いてみること。

「私」ってなんだ?

「私」ってなんだ?と疑問を「私」に投げかけてみる。

とりあえずの答え




33歳


料理人


案外、優しい

などなど・・・

でも、これらの事柄は、誰が付けた?

もし、赤ちゃんの頃に隔離されて、何も無い所にいたとしたら……


男?

33歳?

料理人?

やさしい?

などなど?


これらを「証明」することが出来きなくなる。

証明することが「不可能」ということは、この世には居られなくなる。

だが、「私」は「存在」している。





矛盾している。




この、二つのことを同じ目線で見るから、矛盾と感られる。


目線をかえてみる。


すると、ある人が言った「スクリーンに映った映画」になる。

映画とは「私」とは何かを条件付けるため思考のよる幻想。

スクリーンとは「いまここに存在」していること。これこそ「私」である。



思考が色々な答えや条件を生み出しても、幻想に過ぎない、だから答えが出ることは無い。


なら、答えを出すにはどうしたらよいのか?


感じ、気づき、体験すること。

思考の届かないところで。

分かっているだけでは、まだ思考のテリトリーである。


私も、色々書いているが、まだ幻想の中に居る。


最近になって、多少なり気づきを感じることが出来るようになり、スクリーンの存在に気づくことがある。


今日という時を流れゆくまま行動してみた。



とても、居心地がよかった。




ある人が言った…


「考えるな!感じろ」



皆様に、常に「今いる」ことを……