扉への道

泉明 香鈴(せんめい かりん)申します。
香り善き、鈴音(りんね)を拠り所に、「今」を明め「ここ」に在る

愛【弐】

2016年07月04日 14時08分21秒 | 愛 編
さて、精神世界での「愛」とは、




もぉ~~~言葉には表せないほどの状態でキリストではアガペーに似てますが、それより壮大で「大いなる存在」と解釈しても良いと思います。


常の湧き出し全てを救済し元あるところに返す機能だと私は感じでいます。


対極、変化、量などが無く、ひとつなのです。


ひとつから始まり全てが救われていき安らぎが満ち溢れる



今一つ言葉にできない感じがします。。。。


私たちは愛の力強さと温かさ、安らきを理解することでより相手を想い、好きになり愛することができ、そこには、まったくの不安・恐れ見返りを持ち込まず、与え続ける無償の愛をすることが自分自身をも愛すことができるのです。


「大いなる存在」とつながっている私たちも知らず知らずのうちに、愛を出しています。お互いがその愛とリンクしたときにとてつもない力で引き合おうとします。


そして、起きるべきして起きるようにこの世で出逢うのです。そのとき、精神と肉体が一気に燃え上がり混じり合おうとします。

能動的で情熱を持ちとてつもない愛に包まれそして、その愛から新しい生命が誕生を迎えるのです。


これこそが、「本当の愛」の形であり、ここには裏がなく「大いなる存在」ともひとつになった状態なのです。



本当の愛の状態では、不安・恐れ・見返りの概念がなくなります。


全てが、無償の愛でしかなく、第三者からみたら尽くしているだけのように見えるが決して奴隷ではなく、時には突き放す愛もあり相手に気づきを与えることもあるのです。

そこには、愛しか無いのです。