面接の方は40代後半と思われる体格の良い男性だった。
私が再就職に選んだのは、ある施設の厨房の調理補助。
厨房の洗い場は、数回だが過去に経験があった。お料理も作るのは好きだし、様々なお料理も覚えられるかも知れない。そんなささやかな下心もあった。
面接の椅子に座るなり、開口一番「(この仕事は)キツイよ」と男性は言った。
先ずは仕事が楽なものではないということを、私に伝えてきた。それを聞いて、私はひるんだ。心の中で「大丈夫だろうか」と急に弱気な自分が顔をのぞかせた。
今思い返してみると、その時は気付かなかったけれど、暗に『アンタには無理だと思うよ』と最初から“不採用”を匂わしているのかも知れなかった。
男性は「夏なんか厨房は30度以上になる。汗ダラダラになるから」とたたみかけるように続けた。
更に交通費は支給されないことを知った。
その分時給を高くしているのだと納得がいった。
対策としては、雨の日以外はウォーキングだと思って、歩いて通おうかとも考える。もし採用されたらの話だが…。
様々な説明の合間に、質問は無いかと問われる。いつものことだが、概要さえ分かれば、余り尋ねたいことも無い私。
出たとこ勝負。郷に入れば郷に従え…だ。
施設には入居者さんがいるので、お料理の配膳の際には名前を覚えてもらわなければならない、と言われた。
日頃、人の顔と名前がなかなか覚えられない。私の苦手分野。これは慣れだから、日が経てば自ずと覚えられるとは思うけれど…。不安要素がまた一つ。
面接の方が「質問無い?」と『これが最後だよ』といった感じで聞いてきた3回目。ふと、働いている人の中で最年長者は何歳か知りたくなった。それで聞いて見ると「72歳の人がいるが、今年で切ろうと思っている」と言う。その言い方がやけにシビアだった。
では、その方を除くと最年長は何歳か聞いて見ると、55歳だと言う。
それを聞いて、自分の年齢と比べ、改めて年齢の壁を感じた。
「手も荒れるよ。洗剤と消毒で一日17回は洗うね。僕もハンドクリームを使っているよ、保湿のために」
一瞬手が荒れるのは嫌だなあと思った。でも、週3日。大丈夫じゃないかな…。
支給されるユニフォームの話や諸々の話をして面接を終えた。
よろしくお願いしますと頭を下げて、建物を出た。
昨日まで“NO work NO life”と息巻いていた自分が滑稽に思える。家まで帰る道、自分には無理じゃないかなと、考え始めた。
退職してからほぼ7ヶ月余り。
ぬるま湯のような日常に、どっぷりと浸りながらの生活だった。ストレスフリーの毎日。
労働から離れて暮らしていると、労働意欲はあるものの、「まだ自分はやれるだろうか?」と日を追うごとに不安になる。自分の年齢が追い打ちをかけるように、自信を失わせる。
不採用で良いかも。
だんだん気持ちが萎え始めてきた。
前日まで、熱く再就職に臨む心意気を語っていたその舌の根も乾かぬうちに、この有様。
これが本来の私だ。
母によく言われた「あんたはすぐに啖呵を切る」と。啖呵を切ったものの、後が続かないと。
ダブルワークさえしていた数年前は、子供のためだと思えば、モーレツにがんばれたのに…。
年齢が高くなるに従って、“数年前”という言葉さえ、遥か遠くに感じられる。
今回の再就職は、言ってみれば自分の為だ。不完全燃焼な労働意欲を完全燃焼させるため。
働かなくても年金でまあ何とか暮らしては行ける。そんな考えだから、面接の時の「キツイ」「手荒れする」等の言葉に、盛り上がった労働意欲がどんどんしぼんでしまった。
結果は10日以内に出るということだが、今では不採用であることを願い始めている。きっと不採用だと思うけど…。
次回からは単発の仕事を探そう。その日限りの仕事だと思えば、どんなに辛い仕事でも乗り切れる気がする。
甘いなー自分は…。
もし…もしも幸か不幸か採用となった場合は、覚悟を決めて挑もう。最後の5年間がキツイ仕事であればあるほど、終わった後に「私は頑張った」と踏ん切りがつくものだとも思う。労働に未練は無くなるに違いない。
70歳からこそ真のセカンド・ライフと決めて、お婆さんライフを楽しむのだ。
結果が出るまで、落ち着かない日々になりそうだな。