子育てに追われ、仕事をしていた時はほとんど見なかったのに。もっとも夢を見ても、覚えていなかっただけなのかも知れないが。
「息子のランドセル」のブログをアップしてから寝たからだろうか。自分が若い学生であるらしい夢を見た。
これから試験を受けに行く、というバタバタした慌ただしい状況。
クラスメートには上白石萌音ちゃんがいた。
授業が終わり、学校から一度家に帰り、直ぐに試験場へ行く予定になっていた。スケジュールはかなりタイトな状況。
自宅に向かう途中で、学校にカバンを忘れてきたことに気がついた。でも、ほぼ家に着きかけていたので、引き返さなかった。
家に着くと、我が家の隣の家が上白石萌音ちゃんの自宅で、もう一方の隣がもうひとりのクラスメートで、二人共楽しげに声を掛け合っていた。
私の家はそれぞれのクラスメートの家に丁度挟まれている様な格好だ。それなのに私は二人とあまり親しくないようだった。
私あるある。
二人の楽しげな余裕のある会話を聞きながら、私は頭の中で、「これから自転車で一度学校に戻って、カバンを取って来なきゃ。自転車は去年のままだから、タイヤに空気を入れないとだめだな。あー、間に合うだろうか」とかなり焦っていた。
自宅の玄関の扉は一度開いたのに、何故か鍵を鍵穴に入れることにこだわり、何度も試すのだが、3本ある鍵はどれも鍵穴に入らない。
いつも使っている実際の鍵も3本だ。
一本は自宅の玄関用。もう一本は鍵を変更する前の鍵。この鍵は捨てても良いのだが、何故か捨てられない。
それと、自転車の鍵。
最新の自宅の鍵は、旧の鍵とは形が異なるのですぐにわかるのだが、夢の中では新の方の鍵がどうやっても全く合わずに、旧の鍵、自転車の鍵まで試した挙げ句、「どの鍵も合わないよー」と絶叫して目覚めた。
目覚めたあとも試験を受けに行かなければならないという、変な余韻だけが残り落ち着かなかった。
シチュエーションは、「私あるある」な事で、良く自分をわかってる。当たり前だが。
実際に若い頃はいつもギリギリの行動ばかりで、バタバタしていたのだ。
それに切羽詰まった状況にも関わらず、ピントのずれた事にこだわるという、若い頃に良くしでかした、苦い昔の出来事を再現するような夢だった。
夢の中では上白石萌音ちゃんと同じ年の私。
現実には彼女の3倍までいかないけど、かなりの高齢の私。
誰かの「ゲッ!」という声が聞こえそうだが…。
昨日のウォーキングの時、いつものように考え事をしながら歩いていた。
「単調な毎日だ」と。
でも、働いていたときも家と職場の往復で単調だったではないか、ともう一人の自分が言う。
ああ、確かに。考えてみれば、結婚とか葬式とか入学式とか、大小様々な人生のイベントを除けば、単調なのが当たり前だ。
人間は朝起きて、食べて、何かして(仕事だったり家事作業だったり)食べて、寝る。究極このシンプルさ。
肉体は日々朽ちていく。
成長という言葉が何処かの時点で老化という言葉に変わる。
体はどんどん年老いていくが、心は、魂は、どうだ?
少女の時からほぼ変わらない。
魂は年を取らないのだなぁ。
経験を積んでいくだけだ。
だから、上白石萌音ちゃんと同世代の夢を見るのだ、なんて妙に納得したりして。
魂は若いままであると考えた途端、何だか良い気分になった。
夢の中では、変幻自在。
今度は楽しいだけの夢を見たいな。
時間に追われるのも、試験を受けるのも無しの。