午前8時前に家を出て豊平川の河川敷を走り始めてから、ふと頭の中に浮かんだのが、昨夜見た冷蔵庫の中の残り2個の卵の姿。
ああ、走る前にコンビニに行けば良かったなあ。いや、走り終わってもまだ残っているかも知れない。昨日夫が「卵の供給が少し回復しつつあるみたいだ」と言っていたし。とにかく走り終わったらコンビニへ行こう。そう考えたら、走りのピッチがいつもよりチョットだけ上がった。
走り終わって帰宅し、着替えを済ませてからコンビニへ向かった。午前8時40分。店まで小走りになった。
コンビニの駐車場は空いていて、店内の来客は少なそうだと遠目に確認しながら店に入る。
目的の卵売り場へ直行。
卵売り場の真ん前にお客が一人。陰になって卵の姿が確認できなかったが、キャップにウィンドブレーカーの細身の先客が、おもむろに卵を一パック持ち上げた。その時点で、最後の一パックだとわかった。
ああ、今日は駄目だったか。
最初から、いつも気持ちはダメ元。そんなにガッカリもしなかった。…と言えば嘘になるか。ちょっとは期待していたから。
念のため、そばで忙しそうに立ち働く店員さんに
「卵、もう無いですよね?」と確認すると、
「ちょっとお待ち下さい」とバックヤードの方へ確認しに行った。
もしかしたらまだあるかな?淡い期待が湧く。
しばらくして、店員さんが両手を拝むような形で戻り、中腰の姿勢で「ごめんなさい。無かったです」と言った。
しょうが無い、店員さんのせいじゃないし、謝ってもらって逆に申し訳ないような気もした。
「あ、そうでしたか。わかりました」
卵は家にまだ2個あるのだし、また明日来ればいいや。
笑顔で会釈して、踵を返して出口へ向かった。その瞬間の事だった。私の背後で、
「これどうぞ」
振り向いてみると、先程の先客の方が卵を差し出していた。
「いえいえ、いいです。いいです」
私は申し訳なくて、受け取れないと言ったのだが、キャップから金髪の後れ毛が見えるその方は、譲らずに卵を私に譲る。
マスクで隠れてはいたが、目元を見ると、もしかしたら私とあまり年齢の変わらない方の様だ。
結局その方のご厚意に甘え、譲られた卵を受け取り買う事が出来た。
卵を譲ってくれた彼女に、最後にもう一度「本当にどうもありがとうございました」とお礼を述べて一礼して店を出た。
家にまだ2個卵があるのが少し後ろめたい気分だったけど、譲ってくれた彼女の家にもまだ十分な卵があると思う事にした。
帰宅して、今しがたあった出来事を夫に話した。
「良かったね」と言って間もなく、夫が台所で目玉焼きを焼くジューっという音が聞こえた。
「心置き無く卵を焼けるでしょ?」と声をかけた私に「ああ」と答える夫。
テレビを付けても、新聞を読んでも、強盗、殺人などの記事で殺伐とした日々だが、卵を譲ってくれた方のお陰で、こんな優しさがまだあるこの世の中に、少し希望が見いだせる出来事だった。