もう7、8年前の事になるが、当時私は50代の半ば過ぎであった。
裸眼ではだんだんと視力が心もとなくなり、初めて老眼鏡を作る事になった。
若い頃からメガネユーザーの夫に連れられ、有名な老舗の眼鏡店で作り、その受け取りの日のことだった。
真新しい老眼鏡は、店員さんの手によって、私にかけられては外され、幾度も微調整された。
店員さんは、白髪でかなり年配の体格の良い男性だった。メガネ一筋に誠実に働かれて、ここまで来たのだろうと感じられた。
当時の私は老眼になりつつあったが、まだ老いの自覚はなく、かなり先の事と捉えていたのだと思う。中年と言うには年を取りすぎていたが、かと言って老年と言うには早すぎるとそんな風に思っていた。自分はまだ若いぞ、と多少思っていたそんな時期だった。
それが老眼鏡という、あからさまに“老”という漢字の入ったメガネをかけることになり、意識していたわけではないが、ちょっとした悲しさも潜在意識の中にあったかもしれない。
先の店員さんは、私のメガネの鼻に当たる部分のパッドを調整しながら、メガネの正しい手入れ法などを教えてくれた。
レンズは水道水で流し、ティッシュペーパーで拭き取るのが最良の方法だと言った。そして実際にそのようにして、私のメガネレンズを洗ってくれた。
なるほど、と感心していると、彼は私のメガネをティッシュで丁寧に拭きながら、最後に一言
「これからは、目は悪くなっても、もう良くなることはありませんからね」と言って、かすかに笑みを浮かべ、私を見たのである。
彼と目の合ったその瞬間、私は得体のしれないショックを受けた。
その言葉自体は、至極当たり前のことだ。当然だ。
かすかに笑みを浮かべていたのも、別に嫌な感じがしたわけでは無い。
けれどもそれ以来、長年に渡って、時折その言葉を思い出し、それと共にあのシーンが蘇るのである。
それはある意味、若い世代の領域にいると完全に思い込んでいた私を、その店員さんと同じ老人の領域へ、手を取って招き入れられた様な、そんな感じだったのかも知れない。
「あなたもとうとう老人のお仲間ですね」という歓迎とも、あるいは宣告のようにも感じられたのだった。
今だから、文字に起こせてはいるけれども、その当時は形容しがたいこの感覚は一体何だろうと思っていた。今、この年齢になって初めて、あのときの微妙な感覚が良く理解できるのだ。
改めて一般的に高齢者の定義を調べてみると、高齢者とは65歳からだとある。
65歳から74歳までが前期高齢者で、75歳から後期高齢者ということだ。
してみると、今の私は?
念の為、中年という言葉を調べてみた。
中年の定義は様々にあるけれど、一般的には「中年期は40歳から64歳までの25年間をいう」とある。
ということは、私、まだ中年じゃん!ギリ。ちょっと嬉しい結果。早くに老人老人と自分に言い聞かせ過ぎてしまった感がある。損したなあ。
ああ、ちゅうねん!響きがもう若々しい。
私、中年です!まだ。
とは言え、高齢者まであと数カ月の命ですけどね。
ま、呼び方はともかく、外見もともかく、年齢も気にしないのが一番。分かってはいるのだが…。
外見は見ざる、年齢も言わざる、外野の言葉も聞かざるで行こう。
現在、初めて作った老眼鏡は、地味に度が合わなくなりつつある。
「これからは、目が悪くなっても、もう良くなることはありませんからね」
確かに店員さんの言うとおり。
老眼鏡を作った当初は、あまり使わずに裸眼で見る事にこだわっていたけれど、今じゃすっかり相棒だ。
スマホを見るのも、新聞や本を読むのも、料理のレシピを見るのも、何もかもこの相棒なしにはニッチモサッチモの状態。
シニアグラスと呼べば、なんだか素敵な人がかけているように感じる。けれど、私には老眼鏡の呼び方がお似合い。
そして数年後には、またくだんの老舗眼鏡店に新しい老眼鏡を作るため、夫と一緒に行くことになると思うけど…あの店員さんはいるかしら…。