実は私の出勤コースにも栗スポットは2箇所ほどある。
一つはお宅のお庭から伸びに伸びた栗の枝が、歩道を覆っているところ。そこを通るときは、いつも栗のイガが落ちてこないかヒヤヒヤする場所だ。
そこも残らず空っぽのイガがいっぱい落ちているのを横目に通り過ぎていた。
ところが今朝、歩道に実の詰まった栗のイガが落ちていたのだ。靴で踏んでイガを開けると、立派なツヤツヤした実が一粒。お庭の手入れが良いのだろう、とても大きい。早速つまんで取り出すと、とがめるようにイガがチクリと指を指した。
いつもくぐる栗の枝。写真の左下には空の栗のイガが茶色く見える。ここで拾ったのだ。
ツヤツヤ。
本来ならこのお宅のお庭に生えた栗の木の実なのだから、所有権はこのお宅の方かしら?
「落ちていましたよ」とお届けするのも、おかしな話だし…。
でも、歩道に落ちているのだから、落とし物?拾得物は交番へ…まさかね。
通り掛かりの人は皆、拾って持って帰っているようだし。いいかなあ…持って帰っても…。
もう持ち帰っちゃおう。あまりにこの栗は魅力的だった。ポケットに入れた。もう、戻せない。私の物だ。えへへ。
この栗一粒で栗ご飯作っちゃお。いつぞやも、一粒拾った栗で、栗ご飯を作ったことがあった。
なんだか、ウキウキ。
更に進んでいくと、第2栗スポットに差し掛かった。
ここは市道の脇に生えたもので、やはり通り掛かった人が持ち帰っているようなのだが、今日に限ってイガから取り出した実が、持ち帰られずに歩道に散らばっている。さっきの栗とは違い、小粒だ。これも拾って持ち帰ったら、なかなかの栗ご飯が出来そうだ。
ポケットの中のハンカチにさっきの栗も一緒に包んだ。全部で8個。ワクワクと嬉しさの反面、私にはただひとつ不安があった。
私が子供の頃、父方の親戚はカキやリンゴなど、大きな段ボール箱に詰めて毎年送ってくれた。父の故郷からの贈り物。
或る年、立派な栗をたくさん送ってきてくれたことがあった。仙台から船に揺られ、長旅の末に札幌に届いた栗だった。
現在は、ご丁寧にも剥いた甘栗がいつでも手に入る時代となったが、私が子供の頃は栗は高価な食べ物だった。
真っ赤な袋に「天津甘栗」と表記された紙袋に入っていた。滅多に食べられなかったが、お祭りの時など夜店で売っているものをたまに父に買ってもらうのが常だった。
家に帰り、栗の真ん中に親指の爪を立てて裂け目を入れ、固い外皮を爪でむきながら夢中になって食べた。満足するだけ食べたあとは、指の先が真っ黒くなり、固い栗の皮を剥いた爪が、深爪をした時の様に痛くなっていることに気づくのだった。
仙台から送られた大きくて立派な栗は、栗好きの私にとっては、大きな喜びだった。
母が早速料理をしようと皮をむき始めると、「こんにちは~」とばかりに、かなり育った白い幼虫が…。
長旅の道中暖かかったのだろうか、全ての栗にもれなくいた。母と私は悲鳴を上げ、結局一粒も口に入ることなく捨てる事になってしまったのだった。
そんなことがあったので、本日拾った栗にも当然いらっしゃる可能性があった。
怖かったので、直ぐに外皮を剥いて、渋皮のままサッと煮た。それからザルにあげ、冷めてから安心して渋皮を剥いた。やはり、剥いてみると小さく丸い色の変わった部分がある。昆虫が卵を産み付けた痕だと思う。そこは上手くクリ抜いて、捨てた。育つ前で良かった。
炊けたー。「拾った栗ご飯」(笑)
今日は厨房で作った昼食の献立がサバの味噌焼きだったので、真似した。
スーパーでパインが一玉半額だった。ちょっと熟れすぎだけど、甘くて美味しい。しろ菜のおひたし。玉ねぎとワカメの味噌汁。
光熱費を除き、家にあった食材(米、玉ねぎ、わかめ、調味料など)を除けば、この一食は200円程度。安いねー。栗がタダというのが効いている。
私は大満足の献立だったのだが、夫は満足しなかった様だ。今日は完全に私が食べたいものを用意したからだろう。
たまにはいいさ、こんな日も。