北海道マラソンが実施された翌日の朝刊には、参加したランナーの順位などが新聞紙の二面に渡って記載される。
今回の北海道新聞には、左側の紙面は男性ランナーの順位、右側の紙面には女性ランナーの順位が、それぞれ総合上位100位と年齢別50位が記載されている。
毎年その中から一人の女性の名前を探す。
今年、65~69歳の中にその人の名前を探したが、無かった。50位以内にゴール出来なかったのか、あるいは参加しなかったのか…。
手がかりを探して彼女の名前をGoogleで検索してみると、なんと彼女が走っている写真が出て来た。恐るべし、Google。
それは今大会ではなく、2018年、第32回の北海道マラソン大会のゴール付近で写された写真だった。
彼女は笑顔で撮影者に手を振っていた。50年超えぶりに見る彼女の姿は、写真を見る限り昔の印象そのままだった。
写真には撮影者のコメントが添えられていた。
彼女が第1回大会から参加しており、その時の順位が5位であったこと。それ以来ずっと連続出場していることが書いてあった。
北海道マラソンは1987年、439名のエントリーで始められた。日本国内で唯一夏に開催される大会だという。現在では、20,000人規模の大会にまで成長を遂げている。
北海道という冷涼な気候だからこそ夏に開催されると思うのだが、今年は真夏日が40日以上続く、例年にない暑さに見舞われた。今大会当日も最高気温は30度を超えた。
今から遡ること30年以上も前、大会が始まって間もない頃だったと思う。北海道新聞で札幌市の有力ランナーとして、クローズアップされている女性の写真と名前がデカデカと掲載されていた。それを見て「あっ!」と声が出そうになった。その女性こそ、私と小学校が一緒だった「I崎千恵子さん」だったからだ。
小学校で彼女とクラスは一緒になったことは無かったけれど、確か隣のクラスにいて、時折体育の授業が一緒になることがあった。
私は学校の授業で最も体育が好きだった。
彼女はスポーツ万能だった。
その頃、授業では開脚前転などのマット運動をしていた。
授業の終わり頃であったか、千恵子さんがマットレスの上で、前方倒立回転跳び(バク転の逆回転)をしているのを見た。それは自分がやってみたい憧れの技だったが、出来るはずもなく、彼女の身体能力の高さに惚れ惚れとした。その頃その技を出来る女子は、私の身近には彼女しか居なかった。
おまけに彼女はスポーツだけでなく、学業の成績もトップクラスであることは、噂で知っていた。
話したことは無かったけれど、彼女が放つ雰囲気は、落ち着いていて堅実であり、私とは正反対。私は密かに尊敬し、憧れていた。
その彼女と新聞紙上で久しぶりに再開してから、私は毎年、北海道マラソンの参加ランナーの中に彼女の名前を探すようになったのだ。
所属を見ると、医療関係にお務めなのだと知った。彼女に相応しい職業だなと思った。
その頃から、彼女を見習っていつか私も走ろうと意識し出したのかも知れない。
そう思いながら、実際に私が走り始めたのは、60歳になってからだった。それも、週1回、3キロ程。彼女の足元にも及ばないが、走らないよりはマシだ。
今年の大会の参加ランナーに彼女の名前は無かった。昨年も無かった様に思う。そんな彼女の事が気にかかっている。
彼女は私のことなど知らないだろう。記憶の片隅にも無いと思う。でも、子供の頃から感じていた、彼女は私にとって”模範となる人“の一人であった。話したことも無かったが、話さなくても私の動物的感覚が、彼女の滲み出る誠実な人柄を感じていた。
友だちになりたかったけれど、なれなかった人。永遠に憧れの人だ。