OSO18は2019年から標茶町と厚岸町で66頭の乳牛を襲ったヒグマのコードネームだ。
私がその名前を知ったのは、一昨年前くらいだったろうか。
名前の由来は、最初に牛が襲われた標茶町オソツベツ地区の地名と、前足の足跡の幅が18センチメートルあったことから「OSO18」と名付けられた。
警戒心が強く、人の前に姿を見せないことから「忍者グマ」とも呼ばれていた。
捕獲のため箱ワナなどを仕掛けるも、中には入らず餌だけを掻き出して食べるなど、学習能力の高い個体だった。
クマは元々雑食性だ。ドングリ等の木の実や山菜、昆虫等を主に食べ、たまにシカを食べる事もある。
近年シカの生息数が増え、集団で行動し木の実等も食べ尽くしてしまうこともあり、その結果肉食のクマが増えているという。
しかし、牛を襲うクマは稀である。現場に残った毛のDNA鑑定から判明したOSO18は、家畜を襲う危険なクマとしてマークされていた。
OSO18は、襲った牛の全てを獲物として食べるわけではなかった。襲われた66頭の内、死亡したのは32頭で、その他の牛は大小の傷をつけられたものの、生き残っている。
私は新聞やテレビなどでOSO18のニュースを見ながら、シートン動物記のオオカミ王ロボに通じるようなドラマチックな展開に、興味を持った。
ヒグマが多く出没する北海道だが、名前を付けられたことで、OSO18は特別なヒグマとして注目された。4年もの間、牛を襲い続けているが、誰もその姿を見たことがない。
それは、まるで物語の中の悪役、バットマンのジョーカーや眠れる森の美女のマレフィセントのようなヴィランとしての魅力を私は感じていた。
もちろん、酪農家さんの大切な牛を襲う悪いクマではある。しかし、私は「これ以上悪さをせずに森の中へおかえり。そうすれば捕まらずにすむよ」と、そんな気持ちで、事態を見守っていた。
昨年の秋には、OSO18捕獲作戦として、冬眠前もしくは冬眠明けを狙うという作戦会議も行われたが、OSO18の足取りはつかめなかった。まるでヒグマと人間の知恵比べのように、巧妙に立ち回るOSO18に裏をかかれ、作戦は失敗に終わった。
6月25日午前6時頃、標茶町が設置した無人カメラに、OSO18の姿がとらえられた。
それは早朝の森の中、背中に陽光を浴びた美しいクマの姿だった。私はこの写真に魅了された。
北海道新聞より
また、もう1枚は、体毛を採取するためのヘアトラップを巻いた大木に、立ち上がって背中をこすりつける姿だった。ちょっと可愛いとさえ思ってしまった。
罪なき牛を食べたり、中途半端に傷をつけたりと、けしからぬクマなのてあるが、私はやはりOSO18に魅力を感じていた。
OSO18がこの先どういった運命を辿るのか、逃げ切るのか、捕獲されるのか、私は情報を待った。
事態は急転直下。
8月22日になって流れたニュースは、7月30日に駆除されたクマのDNAを鑑定したところ、OSO18であったことが判明したというものだった。あっけない幕切れだった。
ハンターの男性によると、7月30日の朝、牧草地に伏せたクマを発見。車で約80メートルの距離まで近づいても立ち去ら無かった為、人を恐れない「問題個体」と判断して撃ったという。
人に姿を見せないはずのOSO18が、牧草地に伏せていたのには、理由があったようだ。
北海道新聞によると「頬にはほかのクマに爪で引っかかれたような4本の傷があり、片耳はちぎれていた。男性(ハンター)は前日にこの牧草地で、親子のクマを目撃しており、親子グマと出くわして傷を負い、衰弱していたのではないか」と見ていると。
もし、その仮説が事実だとしたら、雌のクマにそれほどの傷を負わされたのだとしたなら、OSO18はクマ社会では、ものすごく弱いクマだったんじゃ無いだろうか。それ故、忍者グマと呼ばれるほどに人目を忍び、クマの目も避けて、ひっそりと暮らし、罪なき温厚なウシ達に、憂さを晴らすように、自己の持てる力を無意味に振るっていたのではないだろうか。
ふと、人間社会にもそんな事件が溢れていることが頭をかすめた。
なんと哀れなヒグマなんだ。
OSO18が駆除されたニュースが、8月22日に流れるや、釧路町役場に「なぜ殺した」「クマがかわいそう」といっ電話やメールでの抗議が相次いだ。そのほとんどが道外からだという。
OSO18は罪なき牛を66頭も襲った罪深いクマだ。酪農家さんが被った被害総額は7,000万円を超えている。その上、牛を守るため電気柵を設置するなど対策を講じている。熊除けの新兵器、目が光り吠える狼型ロボット「モンスターウルフ」を設置した酪農家さんもいた。値段は50万円ほどだという。
ロシアがウクライナ侵攻を始めてから様々な物の価格が高騰したが、牛を育てる飼料の値段も高騰した。
酪農家さんたちは国産の飼料でまかなったり、OSO18の不安を抱えながら、牧草地に牛を放たなければならなかったのだ。
酪農業は簡単に稼げる業種ではない。生き物相手で手間もかかり、苦労も多い。そんな酪農家さんたちを恐怖と不安に陥れてきたOSO18は駆除されて当然のヒグマだった。
人への被害が無かったのが幸いだった。地域の子供達が登校する事も日常であったはずだ。
動物愛護の精神は良いけれど、今回のOSO18においては、当然の報いなのである。
オソの亡骸は、食肉加工業者に持ち込まれた。
体長2メートル10センチ。年齢は14歳前後のオス。毛は短め。内臓を除いた状態で304キログラム。痩せ気味で脂は少なかったという。
今年の猛暑は、森の中でもクマにはかなりこたえたのでは無かろうか。
オソの肉は、釧路町の飲食店でゴボウと共に味噌煮込みにされて、町の人達に提供された。くさみもなく柔らかくて美味しかったそうだ。
白糠町で精肉加工されたオソの肉は、東京のジビエ料理店や通販会社がオソの肉とは知らずに仕入れ、後で知ったという。
OSO18の罪は、人の胃袋におさまることで償われたのではないだろうか。
アイヌの人たちはヒグマをキムンカムイ(山の神)と呼ぶ。イヨマンテは、クマを食し、その魂をカムイモシリ(神の国)へ送り返す祭礼である。
祭礼はやってないけど、OSO18の魂は、神の国へ戻れたであろうか。
事の始まりの「標茶町」は、元々は「標茶村」だった。更に昭和4年に「標茶村」に変更になる前は、「熊牛村」という名前だった。
クマとウシの絡んだ4年に渡る大きな事件だった。
来るべき結末は分かってはいたが、哀れなOSO18。
Rest in peace.