著者は言わずと知れた、将棋棋士藤井聡太君の師匠、杉本昌隆師匠だ。
私は将棋の指し方も全く知らないし、藤井聡太君の大ファンと言うわけでもないけれど、杉本師匠と弟子である藤井聡太君との微妙な関係性に興味を持ったのだ。
誰もが知る通り、藤井七冠は師匠である杉本八段を超えて躍進し続けている。師匠としては、自分の段位を超えて進み続ける弟子を持つというのはどんな感じなのだろうと、ページを開いた。
文章には人柄が出る。
本書の帯には藤井聡太君と並んで写る杉本師匠の写真がある。二人共笑顔だ。
読後に杉本師匠の笑顔を見れば、その笑顔のままのお人柄だと誰もが納得するだろう。暖かな人だ。
藤井聡太君がのびのびと躍進できるのも、この師匠のもとだからこそなのでは無いかとも思える。
エッセーは勝負にまつわる将棋の戦法が様々に語られてもいる。将棋を知らない私にはチンプンカンプンなのだが、それを除いても、十分に読み応えがあり面白い本だった。
それは、杉本氏のユーモアのある文章と様々な藤井君にまつわるエピソード、ホンワカした文章の中に時折知らされる、将棋の世界に生きる棋士の厳しい現実。どれもが興味深い内容だった。
エッセーは、週刊誌に掲載された100回分が載っている。
第60回「芸術的な一手」では、杉本師匠は将棋における「妙手」とは棋士二人が作り上げる芸術だと語っている。そして、当時8歳だった藤井聡太君が妙手を指した。
『モーツァルトの旋律のように、ロマン派の絵画のように、触れるだけで才能が伝わる一手だった』
と芸術的に表現している。
師匠しか知り得ない藤井聡太少年の妙手。
『妙手を見たとき、人はそれを誰かに話さずにはおれない』そうで、
『将棋手帳に書き留めて、ことあるごとに仲間の棋士に見せて自慢した』そうだ。
師匠としての喜びに溢れた文章であり、藤井聡太君が8歳からただ者ではないというエピソードを読み、杉本師匠のワクワク感を共に感じた。
第68回「おやつタイム」では、杉本師匠の一門の研究会でおやつの時間を設けていることが書かれていた。
おやつは一種類では無いので、
『初期の頃は入門順に選ばせていた、だがそれでは聡太少年が常に最後になってしまう。しかし、段位順では追い越された兄弟子のプライドが傷つく。結局ジャンケンで決めることが多かった』
という。ここでも杉本師匠の行き届いた心配りが現れていて、大いに好感を持った。
師弟は公式戦で対局することもあるようで、
『私も藤井聡太竜王(2022年当時)とは公式戦で三局指している。対局中は弟子を意識することはないが、ふと相手の顔を見てハッとすることがあるのだ。(ああ、弟子だった)』
対局中の師弟対決に、読みながら微妙な対局中の心模様を想像した。そして、師匠としての気持ちをこんな風に表現されていた。
『ゆっくり追い越されるのではなくて、気が付いたら抜かれている。私がまさにそうなのだが、負かされる悔しさは頼もしさで相殺され、まんざらでもないのだ』
本書の中で最も感情を揺さぶられたのは、第57回の「棋士の涙」だ。
杉本師匠のユーモア溢れる文章に楽しんで読み進めていた中で、棋士として生きて行く厳しさを書かれていて、読みながら涙がこぼれそうになった。
若い頃杉本師匠も対局で敗れ、和服を畳みながら涙が止まらなかった日もあったことを書かれている。
『決勝戦という幸せの絶頂から、僅か一日で不幸のどん底まで叩き落される』
こんな思いをいくつも乗り越えるのが、棋士の宿命なのだろう。心労は如何ほどかと思う。事実、精神的に参ってしまい、鬱病を患う方もいるようだ。
将棋界の様々な事を知り、感動したり、楽しく読み終わったが、もし、将棋を知っていたなら、もっともっと楽しめた本だっただろうと思う。名勝負や有名な過去の棋士たちの話も満載なので、将棋ファンなら熱くなる事だろう。
時折出てくる少年時代の藤井聡太君のエピソードも、ファンにはたまらないと思う。
今日、藤井聡太竜王に佐々木匠7段が挑戦する第36期竜王戦が始まる。同学年対決と始まる前から話題を呼んでいる。
藤井聡太君がマスメディアに取り上げられ始めた頃に、刺激されて、いつか将棋を覚えたいと、安いおもちゃの将棋盤を買った。そのあと、買ったまま仕舞い込み、どこへ行ったかも現在分からないまま。
死ぬまでに将棋を覚えたいと思っている。先ずは、おもちゃの将棋盤を探すことから始めなくちゃいけない。
どこに行っちゃったかなあー。