びっくりして一旦電話を切り、隣りにいた同僚に、
「今、電話したらお経が聞こえてきたんだけど」と、唐突に伝えた。同僚は「えっ」と言って怯えた顔をした。
「何か間違えたかな…」と気を取り直して、電話番号を確認しながらもう一度かけてみた。すると、再びお経が聞こえ、男性の声で
「今、お葬式の最中なので…」と小声で話す声が聞こえた。そうだったのか。合点がいくと同時に、お葬式の最中に2度も電話を入れられ、さぞかし迷惑であった事だろうと思い、非常に恐縮した。
「どうも申し訳ございませんでした」と口早に謝罪して、電話を切った。
同僚に、事の顛末を伝え、苦笑いした。
そういうこともある、ということに何故思いが及ばなかったのか反省した。最初の電話のときに直ぐに気づくべきだったのに。
勤務中のさなか、言ってみれば日常の中で突然お経を聞いたため、私の中にある心霊マニア寄りの気持ちが、現実的な判断を誤らせた。私の困った部分でもある。
そういえば、お経で思い出した。
子供が小学校高学年の時に、一度催し物でお化け屋敷をお母さん達が企画実行したことがあった。
お母さん達は子供達のために、とても張り切って、様々な物を作った。
ダンボール箱でお墓を作り、「〇〇家の墓」という文字は、クラスの書道が得意なお母さんが、達筆な筆さばきで書き、本物そっくりの見事なお墓が多数出来た。
教室を迷路のように椅子や段ボールで区切り、血のりのような赤いポスターカラーで手形をつけたり、血しぶきのように散らしたり、そしてお墓をあちこちに配置した。その出来栄えは素晴らしいものだった。
最後に効果音の話になり、足音やお経を流すことになった。赤ん坊の鳴き声もあったほうがいいという話になり、「それなら、長男を産んだ時の声の録音が家にある」と率先して声を上げたお母さんがいた。
当日になって、お経と赤ん坊の声は絶大な効果音となって、お化け屋敷にやってきた子供達を震え上がらせた。
私は暗闇で、棒の先に紐でぶら下げたカラスを上から下ろして子供達を驚かす役割だった。
暗闇の中で赤ん坊の声を聞きながら、「これが〇〇君の産声か」と、やたら元気な泣き声を聞いていると、怖いよりも可笑しくてしょうがなかった。
私の日常の中では、お経は非日常であった。
ダブルワークをしていた時に、ホテルなどで法要のお料理を配膳する仕事が何度かあった。そんな時に、時折お坊さんの読経も耳にすることがあった。
若いお坊さんやお年を召したお坊さん、様々なお坊さんが、おいでになったが、ある時、素晴らしく美声の若いお坊さんが読経されるシーンに立ち会った。
その読経を耳にした時は、ホテルでの仕事を一緒にしていたお姉さん達がみな「良い声のお坊さんだねー」と称賛の声でささやき合っていた。
一本調子のような読経に、普段は全く関心が無かったが、この時ばかりはよく響く美声と、お経の微妙な音程の高低差がメロディーのように心地良く、皆うっとりと聞き入ったのだった。
そんなことがあってから、お経を身近に感じ、世間で静かなブームの「般若心経の写経」の事を思い出した。
漢字を書くのは元々好きだし、この際筆ペンで本格的にやってみようと思った。
早速、写経の専用の用紙と筆ペン、更により深く般若心経を理解しようと、著名なお坊さんが解説した般若心経のCD付の本も買ってみた。
道具一式は揃えたものの、働いていたので、中々手を付けることが出来なかった。
しばらく経ったある休みの日に、般若心経の本を読み言葉の意味を理解しながら、先ずは練習用のノートにボールペンで書いてみた。せっかくだから、お経のCDを流しながら写経してみると、何か心が落ち着き穏やかな気持ちになった。
そこへ娘が居間にやって来て、「うわっ、お経」と不気味そうに言ったので、直ぐにCDを止めた。
やはり、日常の中にお経が流れていたら、ホラーっぽくなってしまうようだった。
般若心経は読み方も合わせて覚えたいのだが、部屋に家族がいるので中々お経のCDを流せずにいる。