父は私が保育園で泣いた日を、一言も話さないのにいつも当てた。
何故父にわかってしまうのか、私は不思議でしょうが無かった。
ある日父に何故わかるのか尋ねたところ、「鏡を見てみろ」と言われた。
早速鏡を見てみると、目の周りが黒く汚れた自分の顔が映った。
ああ、それでわかったのかと納得がいった。
私は保育園が嫌いだった。
ガキ大将のケンちゃんがいたから。いつも何かされるのではないかと、ビクビクしていた。
ケンちゃんは私より背が低かったが、私にとっては脅威の存在だった。
おでこのかなり上の方で一直線に切り揃えられた前髪。ゴリラ系の顔つき。ちょっと映画「ヘルボーイ亅の俳優ロン・パールマンに似ていた(ロン・パールマン自体は私の好きな俳優さんです)。いつも青っぱなを鼻の下に垂らし、ピチピチの小さめなセーターを着ていた。ややガッシリした肉付きの良い体つきが、腕力の強さを物語っていた。
ある時は、木製の積み木を投げ付けられ、泣いた。
私は泣き虫だった。人から嫌な仕打ちを受けると、悲しくなって直ぐに涙が溢れてしまう。そして、少々汚れた手で涙を拭くので、目の周りが黒く汚れてしまうのだった。
ケンちゃんの事を父に訴えると、父は、「お父さんは警察官なんだよと言ってやりなさい。おっかないんだよって」と言う。だが、ガキ大将のケンちゃんには、そんな言葉は効き目が無いのはわかっていた。その場は「うん」と応えておいたが。
保育園を卒園して、ケンちゃんの脅威から逃れる事が出来たが、新たに嫌な目に合うことがあった。
私は子供の頃から何故か痴漢にあうことが多かった。
父とクリント・イーストウッド主演の「夕陽のガンマン」を見に行った時のことだった。私は恐らく小学校3年生位だったと思う。
映画館に入館し、2席空いている場所を探し移動した。父が先導し、先に座っている人たちの前を遮って、空席めがけて進んでいるときの事だった。
通路に足を投げ出している40代位の男がいた。「足が邪魔だなあ」と思いながら、そこを通るにはどうしてもその男の足をまたがなければならなかった。その瞬間、男は私のプライベートゾーンに一瞬触れたのだった。
私は非常に不快な思いをした。
そんな時、私は黙っているような子供ではなかった。すぐ様父に、「変なとこ触られた」と告げた。「どの人?」冷静に問う父に、私は派手なアメリカの星条旗をモチーフにしたワーキングキャップを被った男を指差した。
私は取りあえず席に座った。
父はその痴漢男の隣の席に座り、静かな声でずっと何やら話していた。
たった2〜3席位しか離れていないのに、話の内容は全く聞こえなかった。
今想像すると、恐らく性犯罪に関わる罪についての説教と、どの様な刑が科せられるのかを教え諭していたのではないかと思う。
結局男はその場から立ち去り、父が対応してくれた事で、少しは溜飲が下がる思いだった。
映画が始まると、引き込まれ、楽しむ事が出来た。
まだ、札幌に地下鉄が開通していなかった頃、我が家から都心部に行く交通手段はバスだった。
小学5年生頃のことだ。
その日も父と連れ立って出かけた。
車内は混み合っており、父と私はつり革に捕まる隙間をやっと確保し、父は私と反対側の少し離れた所にいた。
ボンヤリとつり革に捕まりバスの揺れに身を任せていると、いつの間にやら私の丁度胸の辺りに、男の手が触れそうな程近くにあった。
どうやら、バスの揺れを利用して、私のやや膨らみかけた胸に、あわよくばタッチしようと目論んでいる様だった。
「そうは問屋がおろさないぞ」と、その手の持ち主の顔を見てやろうとした所、サッと手が引っ込んだ。
その時、席が空いたので父が私の名を呼び、隣に座った。
私は先程の痴漢が気になって様子を探っていると、何と今度は、その男の前に立っているふくよかな若い女の人の、お尻の辺りに手をセッティングしているではないか。バスが揺れるたび、男は何食わぬ顔でお尻に触れているのを目撃した。
私はすぐ父に、私も被害に合いそうだったこと、別の女の人が今、餌食になっていることを父に告げた。
父は席を立ち、痴漢男の左側のお尻を親指で突き「人の尻を触って何が面白い」とバス中に響き渡る声で男を怒鳴りつけた。
私は男がどんな反応をするのか、マジマジと見た。ところが私の予想に反し、男はしれっとしていて、その顔はまるで“誰ですかそんな事をする人は”といった素振りさえしていた。
それを見て私は大いに学習した。
よく犯人が捕まったときに明かされる事実。
事前にマスコミがインタビューしたフィルム等があり、「なんて酷いことをする人がいるんですかねえ。早く捕まって欲しいものです」などと、さもさも他人事の様に話していた人が実は犯人であったといった事がよくある事を。
犯人が保身の為に演じる役者ぶりを、小学5年生にして知ったのだ。
父に突かれ怒鳴られた男は、次のバス停で“一体誰なんでしょうね、痴漢男は”という表情を浮かべたまま下車した。
私はその男の表情をずーっと観察し続けた。
その男の顔は、今でも正確に思い出す事が出来る。
私はこんな嫌な体験をする内、だんだん痴漢男を見抜く能力が備わった様だ。
中学生の時、自宅から学校へ通う長い一本道があった。
その日は休日で、友人の所から帰宅する途中だったのでは無いかと思う。
一本道を家に向かって歩いていると、50メートル程離れた前方に20歳前後と思われる若い男が、こちら側へ歩いて来るのに気付いた。
男の様子は最初から妙に不自然で、私の背後にいる人を見ているような素振りで右に左に伸び上がる様にしていた。
私の痴漢センサーが発動した。
今来た道を引き返し始めると、突然男は目の焦点を私に定め追いかけて来たのだ。
私は恐怖に駆られた。
車の往来の激しい道に出て、直ぐに近くの商店に駆け込み助けを求めた。
男は商店のすぐ前まで駆けて来たが、窓ガラス越しに私が商店の人と話しているのを見るやいなや、走って行ってしまった。
居なくなったのを確認して家に帰るまでが、本当に気が気でなは無かった。
恐ろしい体験だった。
最後に痴漢にあったのは25歳位の頃、朝の通勤電車の中だった。
その日は、いつもより特に地下鉄の中が混んでいて、体を動かす隙間もない程だった。
おしりの辺りに違和感を感じ、自分の手で確認しに行くと、せわしなく動き回る他人の手があった。
その手は払い除けても払い除けても非常に執拗で、その攻防は私の目的地に電車が到着するまで続いた。
電車が停車し、乗客がさーっと下車した。
私も続いて降りようとしたが、あまりにもしつこかった痴漢。直ぐ背後の男に間違い無いと確信していた。
私は振り向き、背を向けていた男の背中へ、怒りを込めて渾身の力で拳を振り下ろした。
その次の瞬間、男は平然とした態度で「何でしょうか」と振り向いた。
嫌な顔つきの男だった。私は無言で男を睨みつけ、電車を降りた。
この男で間違いなかった。背中をしたたか殴られて、「何でしょうか亅と応える男は痴漢しかいない。
普通は「痛えな。何するんだよ!」と怒る筈である。
数年前より札幌の地下鉄には電車の先頭と最後尾に「女性と子供の安心車両」と言う、時間限定の専用車両が出来た。
女性と子供に配慮した優しい配慮だと思う。確かに痴漢にあう心配は無いから
“安心車両”なのかもしれない。
しかし、「女性と子供の安心車両」というステッカーを見るたびに思うのは、車両のネーミングは「女性と子供の専用車両」というので良いのではないかということ。「安心車両」だと、ある意味“性差別”ではないかと感じてしまう。
痴漢にあうと、心の奥底から嫌な気分である。幼い頃は特に。
でも、私の場合いつも父がいたお陰で、不安を払拭し安心させてくれた。
職業から言っても、父は私のボディーガードだったのだなあとしみじ思う。
ともあれ、年をとってオバサン、いやほぼお婆さんになり、痴漢のターゲットになる心配からほぼ解放された。
若い女性にとっては、(現代では男性にとってもかもしれない)身近な大問題である。どうか皆さん気をつけて。
痴漢行為は決して許してはならない。
この話が誰かの参考にでもなれば幸いだ。