今夜は焼き魚のホッケだ。ホッケには大根おろし。大根は確か冷蔵庫にあったはず。そう思ってホッケを買って帰宅して、直ぐに冷蔵庫を確認した。確かにあった。ホッとした。
いざ夕飯を作る段階になって、冷蔵庫の野菜室から大根を出してみると、大根おろしに最適の青首の部分ではなく、残っていたのは下の部分だった。あぁ…。そこまで考えた時、これまで何となく疑問だった事が、突然明らかになったのだった。
職場の厨房で、時折切ったり盛り付けたり等調理補助をしている。
お魚に付け合わせをする大根おろしを、可愛らしい小さな兎の尻尾のように丸くかたどる作業をする時がある。小人用の雪玉みたいな白い玉が、たくさん出来上がり、規則正しく並べる。こういう作業は楽しい。
疑問だったのは、厨房では大量の大根おろしを、ザルに入れて流水で洗う事だった。いつもそれを横目で見ながら、ああ大事な栄養素が流水と共に流れていってしまうと思っていた。洗う理由は、きっと白さを際立たせ、見栄えを良くするものなのだろうと勝手に思っていた。
しかし、よくよく考えてみると、家庭と違い、大量に大根おろしを用意するには、青首の甘い部分だけを大根おろしにするわけにはいかない。厨房では大根をほぼ一本まるごと機械で大根おろしにするのだ。ということは、そのままだと辛みの強い大根おろしなのである。だからこそ、流水で洗って辛みを取り除くのだと、我が家の大根を見ながら頭の中に答えが浮かんだのだった。
人が聞けば、ちっぽけでつまらない話だろう。けれども、私の中で小さな感動が大きく広がったのだった。
大根おろしには不適切な部位の我が家の大根。それを見てがっかりした瞬間から、「何故厨房で大根おろしを洗うのか」の答えに行き着くまでの速度。ニューロンとシナプスを電気信号が駆け巡る様子が感じられるようなスピード感。ちょっとした高揚感。大根で得られるとは。
それで、早速私も厨房にならい手元の大根をすり下ろし、ザルにあけて流水で洗ったのだった。青首の部分の大根おろしの美味しさとは比べようもないが、急場しのぎには良い方法だった。
夫には何も説明しなかったけれど、味にうるさい人が黙って食べていたから、気づかれなかったようだ。何より、ホッケの干物が美味しかったので、大根おろしの味はあまり影響しなかったようだ。
洗ってもかすかに残った辛みが、甘いホッケの身となかなか合うじゃないの、と思いながらホッケをたいらげた。大根から始まったささやかな感動の余韻をいだきながら。