そんな時は、学校の先生が言った言葉が思い起こされる。
中学の社会科の先生だったろうか。
「新しいからニュースというのだ。だから昨日のニュースは、もはやニュースではない」と。
もはや“ニュース”ではない“新聞”を過去の情報として追いかけて読んでいる。我ながら困ったものだ。
そんな読み方をしながらも得ることは多い。
広告に小池真理子の「月夜の森の梟」の紹介があった。本書の中の印象的な一文も載っていた。
それは、パートナーの藤田宜永氏の病の深刻さを医師から告げられ帰宅した時の話だ。
著者は大きなショックを受けながら、お腹が空いたとカップ麺を作り、慟哭しながら食べたという。
その光景にショックを受けると同時に、読んでみたいという衝動にかられた。
様々な作家がいるが、自分にとって読みながらしっくりくる作家とそうでない作家がいる。
小池真理子の文章は前者。気持ち良いくらいにしっくりとくる。
20代の始め頃、職場の魅力的な女性の先輩が私に勧めてくれたのが小池真理子の「知的悪女のすすめ」だった。
早速先輩から借りて読み、好きな作家として私の記憶に刻まれた。
その、小池真理子がパートナーを失った悲しみを刻んだ書ということで、「月夜の森の梟」をすぐに買い求めて読んでみた。
周囲を自然に囲まれた住居に暮らし、悲しみを綴っているその文章は、透明な美しさに満ちており、静謐という言葉が浮かんだ。
季節を織り交ぜながら語られる喪失感は、澄みきった空気をはらんでおり、読み手である私も清められるような感覚を覚えた。
お門違いの感想かもしれない。
ただ私の現在の状況、やかましい音に満ち、雑然とした日常に身を置いている私にとって、束の間静かな空間へといざなわれ、心地が良かった。小池真理子の居住する環境に、密かな憧れがあったからかも知れない。
パートナーの藤田宜永氏とは何でも言い合える仲であったようで、激論を交わし、喧嘩をし、時には別れようという話が何度も出たという。
当初から子供を持たないと決めていたので、婚姻届も出さず事実婚で通した二人。
彼らの言いたいことを言い合える、喧嘩出来る間柄に羨ましさを感じ、翻って自分を顧みる。
私は夫に言いたい事をあまり言えない。
それは、自分の両親の言い争いを散々目にして、修羅場を覚えているからだろう。
人は、ささやかな言ってみれば爪の先程のちっぽけな事柄を相手に向かって投げかけただけで、おかしな方向へ大きく発展していくことがある。
小さな言い争いも積み重なれば、お互いの絆にヒビが入り、心も離れていく。ひとたび離れた人の心は、容易に修復することはできない。それが恐ろしい。
私は過去に言いたい事を言いたいだけ言ってきた男性が一人だけいる。
父だ。
父には遠慮なく言葉を投げつけ、その結果、ゲンコツを食らったり、鞄が顔に飛んできたりもした。お返しに、居間の扉を力任せに思いっきり閉めたこともあった。憎んだこともある。死ねばいいと思ったこともある。今思えば、子供だからあれだけすべてさらけ出せた。気持ち良いほどに。
関係が破綻しなかったのは、父の愛情を感じていたから、親子だったから出来たことだと思っている。
私が夫に言えない事の内容は、取るに足らないちっぽけな事柄ばかりだ。
毎日垂れ流されるテレビの音。音の洪水。静寂が欲しい。
「テレビは消して。本当に見たい番組だけ見て」
これは一度伝えた。でも、効果無し。
二度三度言うことでもなし、我慢するしか…。
言いたいことを言える関係。羨ましいけれど、一度口からこぼれてしまうと、際限無く溢れ出てきそうで、恐ろしい。その結果も恐ろしい。
やはり、ちっぽけな事柄は口に出すまでもない。年に1度くらいは、やんわり伝えてみるか。
「テレビ消して」
私が読んでいる本のタイトルを見て、夫は
「僕も読みたいと思ってた本だ」と言った。
やった!これで、本を読み終わるまでは静寂がやって来る。
私は大急ぎで本を読み終え、夫に渡した。
明日から静寂。いや、明日だけ静寂か…。
追伸
その翌日、夫はあっという間に読み終わり、静寂は3時間も続かなかった。
トホホ…。
訂正 文中「婚姻届も出さず事実婚で通した二人」と記載しましたが、後年婚姻届を出していました。お詫びして訂正いたします。