(神代植物公園・つばき園にて 2023年12月7日撮影)
仏教思想概要8《中国浄土》の第3回目です。
前回は「第2章 中国浄土教成立の背景」を見てみましたが、今回から「第3章 中国浄土教の成立と発展」に入り、本日は「1.中国浄土教の成立―他力本願の浄土教-」「2.曇鸞の浄土教」を取り上げます。
第3章 中国浄土教の成立と発展
1.中国浄土教の成立―他力本願の浄土教-
1.1.他力本願の浄土教とは
他力本願の浄土教とは、慧遠の『般舟三昧経』を経典とする自力浄土教に対して、浄土三部経(『無量寿経』『阿彌陀経』『観無量寿経』)を経典とする曇鸞(生没年は不明、6世紀中頃)・道綽(562-645)・善導(613-681)によって六世紀から七世紀(北魏末~唐初期)にわたって中国華北に大成された浄土教のことです。十三世紀には法然やその門下によって信仰され日本浄土宗が成立しました。
この浄土教では、「自己の生きる世界が、自力のさとりへの到達の絶望感から、一度は全面的に否定され(=「厭離穢土(おんりえど)」)、つまり自力のさとりの絶望の淵に立つ(=「自力絶望」)。この「厭離穢土」・「自力絶望」から人間をよみがえらせるものは、強い生への欲望から湧きあがる「欣求浄土(ごんぐじょうど)」(仏の大慈悲=本願他力に投帰する信仰)である。「厭離穢土」を飛躍台として、真実心の浄土の永生を欣(よろこ)び求める信仰によって、破綻絶望の淵を飛びこえることができるのである。」とするものです。
1.2.浄土三部経とは
浄土三部経をについて以下(下表9)に示します。
2.曇鸞の浄土教
2.1.曇鸞の略歴
曇鸞の略歴を時代背景とともにみてみると以下のように整理できます。(表10)
2.2.曇鸞の思想
(1)主著『往生論註』にみる曇鸞の浄土教-羅什・僧肇思想の継承-
曇鸞は、世親著の『無量寿経優婆堤舎願生偈(・・うばだいしゃがんしょうげ)』(いわゆる『浄土論』)の注釈本として『往生論註』(おうじょうろんちゅう)をはじめ3冊を表わしています。
これらの著が、四論と僧肇の教学を基本として、アミダ仏とその浄土を論じ、往生を説いていることが知られます。同時に慧遠と違い「浄土三部経」を浄土往生の聖典とし、純一な往生浄土の教義、信仰にみずからの思索と実践体験を通して生まれ変らせたものであることが知られます。
曇鸞はこの穢土から浄土に往生することを龍樹の空観教義によって「無生之生」だと断言しています。この思想は羅什門下の僧肇の思想をよく継承しているものです。
(2)在心・在縁・在決定
曇鸞は「浄土三部経」はすべての悪人の往生を説いているといいます。つまり、ただ正法を誹謗しなければ、五逆(*)を犯したものでも「信仏の因縁をもって皆往生を得せめる」としています。ここで、重い五逆の因報を、十念(**)のような軽い行でどう往生を可能にするのかについて、「在心(ざいしん)・在縁(ざいえん)・在決定(ざいけつじょう)」ゆえに十念の力の方が五罪より重いのだ、と示しているのです。
(在心・在縁・在決定とは 表11)
*五逆とは:五種の重罪(五逆罪)。所説あるが、代表的なもの、①母を殺すこと、②父を殺すこと、③聖者(阿羅漢)を殺すこと、④仏の身体を傷つけて出血させること、⑤教団の和合一致を破壊して、分裂させること。
**十念とは:浄土教では、「南無阿彌陀仏」を十回称える修行のこと。(なお、仏教では10種のイメージを行う修行法のことで、念仏・念法・念僧・念戒・念施・念天・念休息・念安般・念身・念死の10種)
(3)仏の本願力と寿命無量・光明無量の慈尊としての仏
曇鸞は、慧遠の「自力的念仏行」に対して「信」と「他力」を強く打ち出したことが推知されます。『往生論註』は終始、仏の本願力を浄土仏教の根本とするもので、アミダ仏のさとりもその本願から生じ、浄土の建立も本願により、衆生の往生もアミダ仏の本願によるとしているのです。
また、曇鸞によれば、一切の衆生には仏性があるから、さとりは一切の人に開かれている。仏は智から本質を論ずれば、空なる法性を身とする法性法身であるが、同時にその智は大慈悲に活動するものであり、空寂の法性法身は、そのまま慈悲教化に活動する方便法身である。方便法身は衆生の救済のために、あらわれ活動する「為物身(衆生のための身)」である。だから、聖凡(しょうぼん)一切の衆生を仏は対象として教化し、さとりまで指導し救済を完成する仏は、「寿命無量・光明無量の慈尊」であると称したのです。
(4) 難行道と易行道
曇鸞は世親の『無量寿経論』(『浄土論』)と取り組んで『往生論註』が完成するまで、多くの疑問や難関にぶつかったと思われます。
世親は『無量寿経論』で、浄土とは「三界を勝過(超えすぐれていること)」としています。曇鸞は、世親のいう浄土とわれわれの世界(穢土)との間に突破せぬ絶望の壁がある。この壁に希望の通路を見い出せるかと苦悩するのです。
それを解決する道を示したのは、龍樹撰『十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)』でした。
曇鸞は龍樹のこの著の教旨を『往生論註』の劈頭(へきとう)に表明しています。(下表12)
この龍樹による無仏時代に生まれた人々の修道の警告こそ、一挙に夢をさます響きとなり、これを指針として世親の『浄土論』を味わい「但信仏」の浄土信仰に進むのでした。
龍樹・世親のインド大乗の代表師匠を浄土信仰の模範と信じて、信仰を導かれ、教義を宣布したことこそ、龍樹教学が権威をもち、世親大乗が伝訳された時代に強く浄土教を宣布する力を与えるものであったのです。
本日はここまでです。次回は「3.道綽の浄土教」を取り上げます。
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