「エモい」と聞いて、思わず「えっ、エロい」と問い返しそうになる。
爺さんたちの発想は、ついそちらへ行く。
そんな意味合いではない。
「心に響く。感動的である」そのような意味だそうだ。
「emotion」(エモーション=感情)が語源となっているらしく
ここ数年、主に10~20歳代の若者が使うようになった、要するに若者言葉なのだ。
国語辞書「大辞林」にも収録されているから一般化していると言えるだろう。
この「エモい」という言葉を切り口に
ある大手新聞が「国語力が危ない」という
企画を上・中・下3回連載したことがあった。
その中で、「絶景を目の当たりにした時、昔の自分の写真を見た時──。
エモいは、感動や懐かしさ、切なさなど様々な感情を一言で表すことができる」
一方で、「何でもエモいで片付けられると、こちらは相手の考えをつかめない。
若者にとって本当に言いたいことが伝わらず、困る場面が増えるのではないか」
そう指摘していた。
「いつの時代も若者はつながりを求め
自分たちだけで伝わる形容詞を使って共感を高めてきた」
そんなことは今に始まったことではない。
もう、すっかり古くなってしまったが、「きしょい」「きもい」
「うざい」「ちゃらい」なども若者たちの間でよく使われた。
さらに古くは、石原裕次郎が映画の中で「イカす」と言ったら
たちまち若者たちの流行語となったのをご存じの方も多かろう。
時代は変われど……である。
ある会社の社長さんが、似たようなことを言っていた。
「今の若い人たちは固定電話を使ったことがない人が多い。
固定電話での相手はほとんどが顔見知りではない人だと思う。
知らない人だと自然に敬語を使い、会話の礼儀も覚えるのだが……。
ところが今は携帯電話ばかり。会話の相手は友人、知人、家族
といった気安い相手。それで馴れ馴れしい、要するにタメ口になってしまう。
社会ではそれは通用しない。会社の上司や取引先に対し同じタメ口で
話したのでは相手にされるはずがない。
実は、会社の人材教育おける大きな課題になっているのです」
会社の上司に「エモい」なんて言ったら、上司は仰天するかもしれない。
若い人同士では通用しても、社会では受け入れてもらえないのである。
先の連載企画で国立国語研究所の石黒圭教授は──
「人は言葉を頼りにして、物を考える。
自分の気持ちにふさわしい言葉、その場の文脈にあった言葉を
精度を高めて使う語彙力を持てば、より深く考え、伝えられる。
社会で生きていくために語彙の力は有効だ」こう言っていた。
この連載のサブタイトルは「『語彙力』の今」だった。
検索すれば良いのにまあいいか!と気になりながら今日まで来てしまいました。
今夜トシさんのブログを読んで納得しました。
トシさんのブログ、内容に重みがあって書き方にしても素晴らしいと思いながらいつも読ませてもらっています。