書道をしよう

Reisinより書道の魅力をお伝えします

インテリア書 『美』

2009-06-26 | 書道
こんにちは Reisin です
東京は今年一番の暑さだったようですね。
会社もエコ対策なのか、恐らく節約なんでしょうが()、
エアコンの設定温度が年々高くなり、
また終業の合図と共にエアコンのスイッチが切れ、一瞬「し~ん」・・・
ジワジワと蒸し暑くなってきます。
さて、早く帰ろぅ っと というのが最近の傾向。
会社の思惑にはまっています。


今日は、先日ちょこっと書いてみました小作品お披露目。
私の好きな文字 『美』です。



写真立ては「KEYUCA」(http://www.keyuca.com/products/)にて購入。

今回は、今年1月にお披露目した作品の写真立ての大型版です。
http://blog.goo.ne.jp/admin.php?fid=editentry&eid=c83f6951b4a90fe3a0af113b7a92573b

誰かに作品を入れてプレゼントしようかなぁ と思って購入したのですが、
気に入ってしまって結局自宅に飾ってしまっています

シルバーの枠に、うるさすぎない程度に模様が入っていて、
シンプルなのに品も感じられ、個性が強すぎないためどんな作品でも
マッチすると思います。和室でも洋室でも違和感はありません。

『美』  

とは、「羊」+「大」から成り立ち、
肥えて大きい羊は味が良い⇒うまい・おいしい という意味を持ちます。
このほかに美しい(形が良い等)という意味ももちろん辞書には載っています。
いくつかの辞書を調べてみても、「美」はマイナスの意味を持ちません。

形も好きで、息抜きに「美」の文字を色々書いてみたりすることが多いのですが、
しなやかにも、まっすぐきりりとした印象にも表情を変えることが出来る「美」の文字が私は大好きです。


実は私の母は「美恵子」と言います。「美」という文字を書くたびに、
むか~し、よく父が「見栄っ張りの美恵子」とか、
「美に恵まれるなんてたいそうな名前だな」なんてからかったりしていたことを思い出します。
母は美に恵まれる、そして私の本名「理恵」は理に恵まれる、
どっちも親の期待がずっしりの名前ですね。


今、段々と三十代も残り少なくなり、「美」について強く意識するようになりました。
もちろん若いときも「美しくなりた~い」と思ったりしましたが、
今は努力なくしては「美」を手に入れることは出来ないということを実感しています。
外見だけでなく、うちから外から、どうしたら「美」しくなれるか。
日々考えて生活しているようにも思います。

毎日この「美」の文字を見て、「大丈夫?頑張ってるかい?」と自分に問いているReisinでした。


映画とハンバーグの日

2009-06-25 | その他
こんにちは Reisinです
午前中の大雨が嘘のように夕方には晴れ間も見えた東京です。

本日から六本木国立新美術館にて同人書作展が開催されています。
早速日本教育書道藝術院HPに上位入賞者が発表されていましたが、
私は残念ながら上位入賞にはなりませんでした。
どんな作品達が会場に展示されているか、週末が楽しみです

さて。書道から話題変わります。

最近、水曜日のレディースデーを利用し、
職場の女性達でよく映画を見に行くようになりました。
男性には申し訳ないですが、1000円で見れるなんてお得ですよね

職場に近い銀座や日比谷で見ることが多いのですが、
映画に行くと決まったら、皆仕事をさっさと切り上げ、
映画館の前に、銀座数寄屋橋交差点角、不二家ビルのふもとにある

数奇屋バーグ にハンバーグを食べに行きます。

ボリューム・ソース・トッピングが選べる数奇屋バーグ。
1500円前後で大満足なハンバーグを食べることが出来ます

前回は 半熟目玉焼き&トマトにデミグラスソース
今回は アボカド&トマトに和風ポン酢ソース

を食べました~ ほっぺた落ちる~


他にも、チーズのトッピングや、ソースもわさび醤油や照り焼きもあります。
S~LLサイズから選べて男性も満足出来ますよ
小さなお店なので、6時を過ぎると外に列が出来ます。
今日は7人もの人数でお店に行ったのですが、
さっさと仕事を切り上げて向かったので6時前にお店に到着。
6時50分からの映画にもちょうど間に合いました。

さて。
今日の映画は「天使と悪魔」
これからご覧になる方も多いと思いますので詳細は言いません。



絶対満足できる内容だと思います-
7人で行って全員絶賛
私はまだ実は原作を詠んでいないのですが、早速読んでみたいと思いました。
苦手な世界史や宗教についての勉強もしたいと思ってしまいました。

前回の「スラムドックミリオネア」も流石アカデミー賞受賞
という作品でしたし、良い映画を観ると心がクリアになるというか、
すっきりストレス解消になりますね。
折角のレディースデー、女性の皆さん有効に利用しましょう

男性も、1日は映画の日で1000円です。
高校の担任の先生がなぜか1日になるといつもお休みを取って
映画を見に行っていると噂されていたのを思い出しました。
でも、あれは噂じゃなく実話だったような。。。。。。

―長恨歌― 白居易 その2

2009-06-21 | 書道
こんにちは Reisinです

東京は朝から大雨でしたが、夕方になってようやく雨があがりました。
まだまだ湿度何%~ という湿気を感じますが、
明るくなってきた空を見ると気分も明るくなってきます。

さて。

本日はいよいよ今週24日、水曜日から開催される同人書作展を前に、
白居易の「長恨歌」について。その2です。
前回は白居易について簡単にお話しましたが、今回は詩の内容に触れてみたいと思います。

前回に続き今回の内容は、冬に参加した野々下先生
(※詳しくは、日本教育書道藝術院HPをご覧下さい⇒http://www.shodou.co.jp/
の“長恨歌ゼミ”でいただいた資料はじめ、ゼミ内で紹介された
「マンガ中国の歴史④玄宗皇帝と楊貴妃」中公文庫
     

他資料をもとにしています。


「長恨歌」とは、7言120句からなる詩で(作品創りは苦労しました‥)、
中国唐の時代の玄宗皇帝(685-762)と楊貴妃(719-756)の恋を詠んだ歌
とされています。
玄宗皇帝とは、618年~約300年続くこととなる唐王朝の第6代皇帝。
楊貴妃とは玄宗皇帝の側室の一人でした。

玄宗皇帝は則天武后によって混乱した前代の政治を改革し、
「開元の治」と呼ばれる治世により、唐の絶頂期をもたらします。
学芸の奨励、官制の改革、富国強兵‥等等 安定した政治は、
治安がよく、村が栄え、民の安定した暮らしが保たれていました。

しかし、広い中国大陸。
国をまとめるのは至難の業ですね。
纏まっていると見えた時代でも、目の届かない地方では
徐々に権力を持つものが現れます。

玄宗は則天武后の従兄の孫娘だった武恵妃を寵愛し、
4人の子をもうけていましたが、妃は737年に亡くなります。

憔悴した玄宗でしたが、
玄宗の18番目の息子寿王の妃であった玉環(後の楊貴妃)を見初め()、
離婚させた後、自分の妃としたのでした。
745年、玉環は後宮で最高の位となる「貴妃」となり、楊貴妃が誕生します。

楊貴妃というと、皆さん何を連想しますか?
絶世の美女?わがまま?ライチが好物?(※私の楊貴妃に対する印象)
玄宗が息子を離婚させてまで手に入れたわけですが、
どの資料にも美人を否定するのもは見つかりません。
美人であったことは確かなようです。
長恨歌の中にも“眸をめぐらして一笑すれば百眉生じ 六宮の粉黛顔色なし
(目を動かして笑うと大変な魅力が出てきて、六宮のどの女も見劣りがした)”
とあります。
しかし、楊貴妃については、様々な憶測と言い伝えがあるものの
はっきりとした根拠が乏しく、資料がほとんどないのが現状のようです。

楊貴妃に溺れるにつれ、玄宗皇帝は政治がおろそかとなり、
李林甫や楊貴妃の身内であった楊国忠に政治をまかせていました。
李林甫亡き後、地方を取り仕切っていた安禄山と楊国忠の間で乱がおき
(安史の乱)、玄宗一行は長安の都から脱出する身となります。
しかし、脱出の途中、馬カイ駅という宿場で、護衛兵士が叛乱を起こし、
楊国忠を惨殺、楊氏一門の処刑を求め、
やむなく玄宗皇帝は楊貴妃を処刑することとなったのです。

自分が寵愛する妃を自らの手で処刑する‥ その苦しみと妃亡き後の空虚感。
長恨歌は、楊貴妃に玄宗皇帝が溺れていく様子から、安史の乱で都を離れ、
妃を失うこととなった悲しみ、幾年もの苦しい日々、
最後には夢の中で幻の楊貴妃に出会う-- 

“天に在りては願はくは比翼の鳥と作り 
地に在りては願はくは連理の枝と為らん
(天上では比翼の鳥となり、地上では連理の枝になりましょう)”

このような誓いを述べたにも関わらず、二人が天上と人界に隔絶された恨みは
耐えることが無いだろう と結ばれる長恨歌。

美化と誇張が施されたとも言われている長恨歌ですが、
大いに話題性のある玄宗皇帝と楊貴妃といった二大スターを取り上げ、
歴史と恋愛を盛り込んだ詩の内容は現代においても人々の心を捉えています。

こうして私が1300年も前の唐の時代を想像し、
ブログに書き綴るまでに興味そそられるものとして残されているとは。

21世紀に書かれた作品が、23世紀頃に皆に読まれているようなことは
あるのでしょうか。想像できませんね。


随分長くなってしまいました。
長恨歌は800文字以上の長文なため全文を載せることは出来ませんでしたが、
展覧会に足を向けていただく上で、少しでも鑑賞の手助けとなれば嬉しいです。
私もブログに載せるとなると適当なことは書けないので()、
色々資料を見直し、復習が出来ました。
密かにまた長恨歌を書きたい気分が盛り上がっています。


27日(土)、昼過ぎまで大人の書道教室を行い、
その後そのまま皆さんと六本木に向かいます。

楽しみでーす。皆さんも是非いらしてください


顔真卿の書

2009-06-18 | 書道
こんにちは
 
ここ一週間、風邪で体調を崩し(ようやく、昨日から復調)、
数日前からは膝が痛くて自転車をこぐのもままならないといった 
老化現象みられるアラフォーReisinです


同人書作展をいよいよ来週に控え、
長恨歌について語りたい‥ と思いつつも、パソコンを開く気力が無く、
ようやく5分前にパソコンの電源を入れました。

趣味の一つであるみずほ銀行ホームページでロト6の当選番号を確認し、
(もちろん、当らず ) ブログページへ。

今日は、サクッと顔真卿について。
顔真卿 をサクッですってーーーー と眉間にシワが寄っちゃったりするであろう皆様も多いはず。
書道を勉強する人にとっては、避けては通れない書家の一人ですね。

今日は、仕事の後、てくてくと学校へ。
専門科の授業の日です。最近、残業もほとんど無いので、
学校のある御徒町に早々到着。
駅前ドトールにて空腹なお腹にアイスオレを一杯。
前は喫煙でモクモクだった店内も今は禁煙席と区別が出来、
快適に一息つきました。仕事後の授業では、いつもお腹が鳴っちゃうんですよね

専門科での顔真卿「争坐位文稿」の授業も今日を含めてあと2回。
専門科は3ヶ月(6回)で課題が変わるので、今日が5回目ということですが、
5回目では到底顔真卿を知ること、身につけることを不可能です
難しい‥ 授業の最初に宿題の臨書が張り出され、先生から一人ずつ批評。

私の作品は「ぎぇ~」 へたくそ。
家で書いている時は、結構気分良く書いているのですが、
墨量全然足りず、一番ひょろひょろで顔真卿からはかけ離れすぎている~ 
なんでしょ、この臨書は

という感想です。
顔真卿の書の深み、重量感、きれいに纏まっていないようで微妙にバランスがとられている書。
どれもキャッチ出来ていない臨書となってしまいました。
まだまだ練習不足を実感です。
次回はいよいよ最終回。
倣書の宿題も出たし、もっともっと顔真卿を修得しないとです。


はぁ~ 

最近、体調のせいなのか、ジメジメとした気候のせいなのか、
色々気分が落ち込むことが多いReisinです。
が、やっぱり書に向き合い、無心になることが一番のストレス解消のようです。


皆さんも、ジメジメの梅雨をふっとばせーーー
でストレス発散いたしましょう。

―長恨歌― 白居易 その1

2009-06-04 | 書道
こんにちは Reisinです

梅雨が近いのか、なんだかジメジメ湿気が多い今日この頃。
髪の毛が短くなって、くせっ毛が全快です
「ぁれ?パーマですか?」 って、何度も言われちゃったりしてます。

さて。

本日の話題は今月24日から開催されます同人展の出品作品としました
『長恨歌』作者の白居易にまつわる話題です。

今年の1月、私は在籍する日本教育書道藝術院で年に一度開催される
「長恨歌ゼミ」に参加しました。その際にいただいた資料や先生のお話、
その他資料をもとにお話します。


作者である白居易は、名を「居易」、字を「楽天」といいます。
名は本名、字とは雅号のようなもので、ペンネームとでも言いましょうか。
ちなみに。多くの方がご存知の詩人杜甫や李白、杜甫の名は「甫」、字を「子美」
李白の名は「白」、字を「太白」と言います。

白居易(772-846)は、唐(618-907)を四期(初唐~盛唐~中唐~晩唐)に
わけると、中唐の時代を代表をする詩人です。
河南省に生まれ、75歳のとき洛陽で亡くなりました。
生まれた年、772年は、李白の死後10年、杜甫の死後2年、
日本ではあと20年で平安京遷都という時代です。
なんだか歴史の教科書を思い出しますね。
「鳴くよ鶯平安京」の時代です。

白居易はとにかく頭がめちゃめちゃ良かったんです―
ゼミの資料によると、「生後6・7ケ月で「無之」の二字の意味を知った」
「5歳で初めて作詩を学ぶ」‥等驚きエピソード。
半信半疑ではあるものの、実際、
二十代で郷試に及第、その後あっという間に進士に及第しています。
35歳の時には、制挙(天子みずからの試験)の試験を請け、
四位で及第したとなっています。どれだけ勉強したんでしょうね。

私が以前はまっていた浅田次郎さんの『蒼穹の昴』の前半にも
科挙の試験が主人公の運命を変える見所として盛り込まれています。
小説とわかっていながらも、何ページにもわたる試験会場の様子、
描写は読者の私が気分が悪くなりそうなほど。
想像を上回る過酷な状況で試験が行なわれていたことと思います。
知識と努力のみならず、何日にもわたる試験に耐えうる体力、
全てが備わっていなければ及第することは出来なかったのでしょう。

中国の歴史を題材にしたお話ではよく登場する「科挙制度」。
隋(580年)~清(1905年)までの約1300年間続きました。
政治や経済、文化等様々なものが中国から日本に伝わってきましたが、
残念ながら科挙制度が日本に取り入れられることはありませんでした。
身分に関わらず(一部、賎しい職業等は受験出来ず)、
努力次第で将来が保障されるという、実力主義の世界。
中国から広まらなかったのが不思議です。

最近、日本の政治界では世襲議員が云々と取り上げられていますが、
科挙のような実力主義の試験が政治家にもあったなら‥ とも思ってしまいます。
世襲議員であっても、豊富な知識と政治家としての実力・天性が備わっており、
国民のために頑張っている人なら問題ないと思います。私個人の意見としては。


‥と。話が、白居易からどんどんずれてしまいましたが。


とにかく。
そんなに賢い頭脳をもった白居易が詠った『長恨歌』とはどんな内容だったのでしょう。
同人展も近づいて参りました。
ゼミのお陰で、今年も沢山の『長恨歌』作品が出品されているようです。
詩の内容に触れてから会場で作品を目にしていただけると
いつもよりもうちょっと楽しめるかもしれません。


次回は『長恨歌』の詩について触れたいと思います