バッグ作家の日本紀行

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うれしい

2012-11-02 02:50:34 | 日記

昨日は喜多方市のお客様のあと、会津のお客様方にお会いしました。

一番嬉しかったのは、20年に当社の外務用バッグをご注文頂いた、福島県富岡町にいらした方にやっとお会いできたことです。

3,11の大地震・大津波の直後は、福島第一原発の状況が時間が経つにつれ厳しくなり、ご家族の安否もなかなか取れなくて、不安ばかり襲っていたそうです。

今でも、携帯にはその時の家族・親戚・同僚・友人からの生々しいメールのやり取りが残っていて、その方は今でもそのメッセージが消せずにいます。

避難命令が出た時、何も持ち出せなくて、当社のバッグにいつも大事なものを詰め込んでいたので、そのままバッグひとつで埼玉のスーパーアリーナにバスで避難したそうです。

勿論、息子さんのお嫁さんは一番に東京の親戚に行かせました。そのお嫁さんは無事に昨年10月に元気な赤ちゃんを出産されました。(写真が携帯にあって見せていただきました。可愛い元気な赤ちゃんです。)

昨年10月30日に生まれた世界のすべての赤ちゃん達は70億人目の人類として国際機関から認定されています。およそ36万人と考えられています。

さて、その方はアリーナでやっと、お握りや、水を手にすることが出来、そして、避難生活2週間は当社のバッグにバスタオルを巻いて、枕にして毎日寝ていたそうです。

3000人からの避難者ですから防犯上もそうしないといけなかったそうです。

一定の範囲で警備員がいるのですが、泥棒のような人に物を持っていかれても他区域までは警備員は追いかけられなかったと言っておられました。

自分の管理区域を離れて追い掛けることは自分の区域を空にすることになるので・・・。

当社のバッグがそんなところでお役に立っていたことに胸が詰まりました。

今現在、その方の長男さんは赤ちゃん、奥様とともに栃木で新しく頑張っておられ、次男さんと旦那様は仕事の関係でいわき市。ご自分は富岡町の仮の役場があった会津若松市の仮設にそのまま。

ばらばらに暮らしておられます。

ご自宅は福島第一から2キロのところで津波被害は受けなかったが、放射線量がまだ高く、写真1枚も持ち出せないと言っておられました。

一時帰宅で帰っても回りから確認するだけだそうです。

国道から奥まった家々では窓は割られ、家の中は荒らされ、空き巣に入られっぱなしの現状だそうです。

多分、もう帰れないだろうと言っておられました。

東電からの保障も話にならない額で今は何も進んでいないとのことでした。

でも、その50代前半のお客様は笑顔が素敵で、とても前向きに仕事にも取り組んでおられ、移動してきた職場でも信頼を勝ち取られています。

もう一回カバンを買って頑張りたいとのことで、ご注文を頂きました。

今回は材料代だけ頂くことでお受けいたしました。

当社の新しいバッグがまたこの方の前向きな人生を支えられるように心を込めて製作、お届けしたいと思っています。

ほんとに、昨日はずっと一番心配だった方に会えて、嬉しい、嬉しい日でした。

この方に人一倍の幸せが早く来ますように・・・。

今日は山形米沢市から始めて、一週間ほど山形県を回ります。