11月17日パシフィコ横浜でJICA発足50周年記念式典に参加してきました。
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平日にもかかわらず参加者の出足は早く、2時間前から既に多くの方々が並んでいました。
50年前に協力隊で任国に行った方々もすでに60代以上。また、シニア隊もその後編成されて多くの熟年の方々も経験されている。
敗戦後、苦しい時代の日本が、この武器を持たない協力隊の派遣をすることは日本が平和への道をその後に進む象徴でもあった。
その淵源を辿れば、終戦後日本に引き上げてきた山形県の青年・寒河江善秋さん(清水市在住の陶芸家寒河江英明さんのお父様)が農村青年の田畑を持たない次男三男の活躍の場を切り開いてきた活動に遡る。
農業や林業の応援隊を結成して県内各地を転戦したことが発端。その後この活動は全国に広がり寒河江善秋さんはその全国中央会の理事に。
そして、この活動がまだ日中国交回復前の中国で都市に溢れる青年の力を地方で生かすための青年下放運動のモデルとなった。
その活動を取り入れるため、時の中国指導部から要請を受け、寒河江善秋さんは国交がなかった時代の中国に赴き、毛沢東や周恩来と会い、天安門上でのその時の写真も存在する。
周恩来はこの日本の青年と会い、日本の進む方向性を感じ取ったに違いない。
そして、あの歴史的な戦後賠償の放棄をこの時、固めたように思う。
日中国交回復の前、日本側は多額の戦後賠償金を覚悟していて、その放棄を知ったときの驚きはその時の大平外相の行動に表れている。
代わりにODAと言う形で日本は中国の近代化に貢献してきた。
賠償とODAではその基本があまりにも違いすぎる。
どんなに大きな交渉でも、入り口は名も無い一民間人がその一翼を担っていることは良くある。
ブラジルが軍政下にあってもその雪解けの端緒にブラジル文学界の第一人者の家の家政婦さんの行動があったこともある。
全ては一人の人間から始まる。
いつ、どんな時代にどんな人が歴史の入り口に立つかは誰も分からない。しかし、入り口に立った人のその思想や行いがよい時代を作るか悪い時代を作るかの分岐点であることもある。
話は逸れましたが、青年海外協力隊は、任国に何かを教えに行くというより、任国の人々の中で一緒に考え、よりよき社会を築いて行くことが出来る、その経験が日本の若者に出来るということです。
ある意味修行の一部なのかも知れません。
実際、青年海外協力隊経験の青年はガッツがあり、物怖じしない力が身につき、帰国後も多くの企業や組織でその経験を発揮している人たちが多い。
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会場前は横浜港
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入場が進む開会前の会場内
天皇陛下皇后陛下が万雷の拍手の中お出ましになり、記念式典は始まりました。
私人という立場は微塵もなく、ただ、ただ日本のため国民のためにその一身を捧げておられるお姿に本当に頭が下ります。
私達国民は自分の生きたいように生き、我侭を言いたい放題に言い、自由な時間を謳歌していますが、そうした基本的人権さえも制限されているお立場でもあると思います。
人の立場と言うものはその立場が広く大きくなればなるほど、私人としての自由は狭められます。
立場の何も無い人ほど強いものはありません。言いたいことが言え、したいことが自由に出来ます。
立場を与えられなかったから自分は不幸だと思うのは本末転倒なのかも知れません。
またまた話は逸れてしまいましたが、第二部の南アフリカからの民族音楽には感動しました。
音階はないリズムだけの音楽ですが、会場と一体となった、そのリズムだけでこんなに感動するんですね。
鈴木大地スポーツ庁長官を中心としたパネルトークでは、協力隊が各国のスポーツ振興を通して平和の道を切り開く力があることを知りました。
そして、我らがすずきじゅんいち監督さんの劇場映画「クロスロード」製作の裏話など楽しくお聞きしました。
最初、JOCAから映画製作の依頼があった時、予算をお聞きして、比較的に安く出来るドキュメンタリーをお勧めしたそうですが、どうしても劇映画をとのことで随分ご苦労されたようです。
しかし、俳優さんや現地の人々のびっくりするくらいの成長に支えられてとても感動する映画にすることが出来たと言っておられました。
物語としても、完成されていて、試写会を見た各地での反響は、その協力隊活動の悩みや苦しみ葛藤などがあり、最後に人としての喜びを感じる、そして人の生き方まで考えさせる、涙を誘う映画とのことです。
願わくば、この映画が日本の若者の生きる元気に繋がればいいですね。
そして国際貢献が遠いことでない、身近なことであることも知っていただきたいですね。
自分を見失うような現代社会にあって、生きることを真っ当に捉える、いい機会になればと期待しています。
11月28日からのロードショーが始まるのが楽しみです。
なお、今日、私の知り合いの新聞記者が全国版掲載に向けて監督さんにインタビューをお願いしても良いかとの連絡を頂きました。
これが、実現すれば私もJICAを支える一員になれる気がします。
武器庫に行き着く前に、寒河江善秋さんのように、武器庫に行かなくてすむような国際貢献を果たしていきたいですね。
そのためにもこの映画を多くの皆様に見ていただけるように全力で応援して参ります。
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平日にもかかわらず参加者の出足は早く、2時間前から既に多くの方々が並んでいました。
50年前に協力隊で任国に行った方々もすでに60代以上。また、シニア隊もその後編成されて多くの熟年の方々も経験されている。
敗戦後、苦しい時代の日本が、この武器を持たない協力隊の派遣をすることは日本が平和への道をその後に進む象徴でもあった。
その淵源を辿れば、終戦後日本に引き上げてきた山形県の青年・寒河江善秋さん(清水市在住の陶芸家寒河江英明さんのお父様)が農村青年の田畑を持たない次男三男の活躍の場を切り開いてきた活動に遡る。
農業や林業の応援隊を結成して県内各地を転戦したことが発端。その後この活動は全国に広がり寒河江善秋さんはその全国中央会の理事に。
そして、この活動がまだ日中国交回復前の中国で都市に溢れる青年の力を地方で生かすための青年下放運動のモデルとなった。
その活動を取り入れるため、時の中国指導部から要請を受け、寒河江善秋さんは国交がなかった時代の中国に赴き、毛沢東や周恩来と会い、天安門上でのその時の写真も存在する。
周恩来はこの日本の青年と会い、日本の進む方向性を感じ取ったに違いない。
そして、あの歴史的な戦後賠償の放棄をこの時、固めたように思う。
日中国交回復の前、日本側は多額の戦後賠償金を覚悟していて、その放棄を知ったときの驚きはその時の大平外相の行動に表れている。
代わりにODAと言う形で日本は中国の近代化に貢献してきた。
賠償とODAではその基本があまりにも違いすぎる。
どんなに大きな交渉でも、入り口は名も無い一民間人がその一翼を担っていることは良くある。
ブラジルが軍政下にあってもその雪解けの端緒にブラジル文学界の第一人者の家の家政婦さんの行動があったこともある。
全ては一人の人間から始まる。
いつ、どんな時代にどんな人が歴史の入り口に立つかは誰も分からない。しかし、入り口に立った人のその思想や行いがよい時代を作るか悪い時代を作るかの分岐点であることもある。
話は逸れましたが、青年海外協力隊は、任国に何かを教えに行くというより、任国の人々の中で一緒に考え、よりよき社会を築いて行くことが出来る、その経験が日本の若者に出来るということです。
ある意味修行の一部なのかも知れません。
実際、青年海外協力隊経験の青年はガッツがあり、物怖じしない力が身につき、帰国後も多くの企業や組織でその経験を発揮している人たちが多い。
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会場前は横浜港
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入場が進む開会前の会場内
天皇陛下皇后陛下が万雷の拍手の中お出ましになり、記念式典は始まりました。
私人という立場は微塵もなく、ただ、ただ日本のため国民のためにその一身を捧げておられるお姿に本当に頭が下ります。
私達国民は自分の生きたいように生き、我侭を言いたい放題に言い、自由な時間を謳歌していますが、そうした基本的人権さえも制限されているお立場でもあると思います。
人の立場と言うものはその立場が広く大きくなればなるほど、私人としての自由は狭められます。
立場の何も無い人ほど強いものはありません。言いたいことが言え、したいことが自由に出来ます。
立場を与えられなかったから自分は不幸だと思うのは本末転倒なのかも知れません。
またまた話は逸れてしまいましたが、第二部の南アフリカからの民族音楽には感動しました。
音階はないリズムだけの音楽ですが、会場と一体となった、そのリズムだけでこんなに感動するんですね。
鈴木大地スポーツ庁長官を中心としたパネルトークでは、協力隊が各国のスポーツ振興を通して平和の道を切り開く力があることを知りました。
そして、我らがすずきじゅんいち監督さんの劇場映画「クロスロード」製作の裏話など楽しくお聞きしました。
最初、JOCAから映画製作の依頼があった時、予算をお聞きして、比較的に安く出来るドキュメンタリーをお勧めしたそうですが、どうしても劇映画をとのことで随分ご苦労されたようです。
しかし、俳優さんや現地の人々のびっくりするくらいの成長に支えられてとても感動する映画にすることが出来たと言っておられました。
物語としても、完成されていて、試写会を見た各地での反響は、その協力隊活動の悩みや苦しみ葛藤などがあり、最後に人としての喜びを感じる、そして人の生き方まで考えさせる、涙を誘う映画とのことです。
願わくば、この映画が日本の若者の生きる元気に繋がればいいですね。
そして国際貢献が遠いことでない、身近なことであることも知っていただきたいですね。
自分を見失うような現代社会にあって、生きることを真っ当に捉える、いい機会になればと期待しています。
11月28日からのロードショーが始まるのが楽しみです。
なお、今日、私の知り合いの新聞記者が全国版掲載に向けて監督さんにインタビューをお願いしても良いかとの連絡を頂きました。
これが、実現すれば私もJICAを支える一員になれる気がします。
武器庫に行き着く前に、寒河江善秋さんのように、武器庫に行かなくてすむような国際貢献を果たしていきたいですね。
そのためにもこの映画を多くの皆様に見ていただけるように全力で応援して参ります。
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