人の己を知らざるを患えず、己の能なきを患えよ。
孔子が言った言葉として論語に収載されている。
他人が己を認めてくれないことを気にかけるな。
自分に能のないことを気にかけよ、という意味なのだろう。
他人に認められることを求めることなく、己の実力をつけ、亦他人を認めることに努力せよと言いたいのであろう。
孔子は論語のなかでも、この教訓を方々で言っている。
孔子は弟子たちが出世を焦るのを、口癖のようにこの言葉をもって諭していたように見受けられる。
この様に思うものは己では仕事がよくできる方だと思っているのに、認めてもらえない、
理解してもらえないと思っているものに、多い様な気がする。
というのはこの言葉の少し後に、孔子自身の嘆きが収載されている。
孔子自身、己では多数の弟子を教え、何事にも対応できるという自負があったろう。
だが、この時代環境では孔子が政治の世界へ割り込んでいくには容易なことではなかったろう。
弟子には己の無能を患えよとはいっても、おそらく孔子も腹の中では誰も私を認めてはくれないのかと、思っていたのではなかろうか。
だが、如何に仕事ができると思ってはいても、愚痴や不満ばかりこぼしていては何の展望も開けなかろう。
孔子も、己を振り返って、
我を知る莫きかな。
天をも怨みず、人をも尤めず、下学して上達す。
我を知るものはそれ天か。
考え方によっては、孔子の傲岸不遜な気持ちが吐かせた言葉と受け止められよう。
まさに孔子という男の本性は傲慢そのものなのだろう。
自分の学は下は人間社会から勉強を始め上は天命にまで理解が及んでいる。
この様な自分を理解してくれるものは、やはり天しかないとは~
晩年の孔子は自分を理解するものはこの人間界ではもう存在しないという絶望感を抱いていた節がある。
孔子は、弟子たちとの、その場その場の問答ではそれなりの学識を披歴していたが、
己の哲学として集大成するほどの能力はなかったような気がする。
孔子と弟子たちとの関係は、ギリシャにおけるソクラテスとプラトンなどとの関係を彷彿させるのである。
ソクラテスなども偉大な哲学者とは言われてはいるが己の思想を集大成するほどの能力はなかったような気がする。
ソクラテスの思想はプラトンの著書からうかがい知るくらいのものである。
誰彼構わず議論を吹っかけて、やり込めて得意がっていただけの老いぼれであったのだろう。
自分は知らないことは知らないと思っているだけ、彼らよりは知がある、と思っている。
何ともくだらない輩の様ではあったのだろう。
それをまた後世の生き物どもは、無知の知だなどと言って大騒ぎする、人間という生き物の面白いところかもしれない。
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