続いては1966年製作で、アラン・ロブ=グリエ監督の最高傑作との呼び声も高い、メタフィクションの金字塔『ヨーロッパ横断特急(原題"Trans-Europ-Express")』です。
こちらもYoutubeにトレーラーが上がっていたので、宜しければまずは雰囲気だけでもご覧ください。
《Story》パリからアントワープへと麻薬を運ぶ男の波乱万丈な道中を多重なメタで構築し、“ヨーロピアン・アバンギャルドの最重要作品”と絶賛され、公開時ヒットを記録。スリラー映画の枠組みを借りてシリアスとコミカル、嘘と真実、合理と非合理の境界を軽やかに行き来する快作。(「Filmarks」より引用)
メタフィクション
ヨーロッパ横断特急に乗っている製作陣が映画『ヨーロッパ横断特急』の構想を練るという構成のわかりやすいメタフィクションの作品です。
最近では大ヒットした『カメラを止めるな!』や園子温監督の『地獄でなぜ悪い』もメタフィクションですね。劇中劇・書簡体小説は構成だけでワクワクします。
メタ的に手法への批判精神を示唆するにとどまらず、本作はメタフィクションという手法がかなり直接的に作品に介入していきます。ボックス席に陣取る製作チームの会話の後、直ぐにカットが撮り直されるという非常に新鮮で直接的な干渉。思いつきで淡々と物語を書き換えていく様は神の視点(ナレーター)にも通じるものがあります。
関係者から横槍を入れられて内容を変えざるを得ない監督自身の葛藤でもあったのでしょうか。ともあれ、映画製作に対して俯瞰的な立場からの批判がなされているようです。
鏡に囲まれた主人公の姿など、過去の反省と行き詰ってしまった息苦しさが表現されているかのよう。この主人公は、作中でとにかく監視されまくっていて息苦しそうなんです。
監視する視線
作中「視線」のカットが意図的に多く挿入されています。主人公は麻薬の運び屋ですから、警察からの視線や敵対勢力からの視線、やがて恋に落ちていく娼婦からの視線等々、殊更頻繁に挿入されます。
主人公を監督の分身だと仮定したら、自らが常に監視されているかのような心理描写で、それは上述の製作への介入(監視されている=好きに作れない)とも矛盾しません。
彼の他の作品(『エデン、その後』や『快楽の漸進的横滑り』等)では「視線のリレー」でモンタージュを構成している作品も多く、彼が「視線」というものに対して何かしらの拘りがあるように感じられます。
最後のメイキングムービーさながらのカット、というかオチが最高!フィクション上では悲劇に終わった運び屋の男と娼婦を演じた男女が、ノンフィクションサイドにおいてアントワープ駅(?)で抱き合っているカット。そして彼らと鑑賞者の間で視線が結ばれるのも脱構築的な効果。
それまでフィクション・ノンフィクションの間で揺れ動いていた鑑賞者の緊張した心に安堵と解放を与える素晴らしいシーンです。まるで機能和声においてドミナントからトニックに移行するかのように!
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