カンヌ国際映画祭で是枝監督の『万引き家族』がパルムドールを受賞しましたね。21年ぶり、今村昌平監督『うなぎ』以来ということですから、相当な快挙です。
『万引き家族』で描かれるのは、本当の家族じゃない別の軸で固く結ばれた「疑似家族」ですが、最近のパルムドールだとジャック・オーディアール監督の『ディーパンの戦い』と今回紹介するケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』で描かれています。前者は「移民」、後者は「貧困」によって(『万引き家族』は「万引き」で)結びつき、疑似的家族愛が本物の家族愛に変わっていく様子は鑑賞者の心を揺さぶります。
まあ、前置きはさておき。今回は去年公開された『わたしは、ダニエル・ブレイク』について書きます。イギリスの貧困層にスポットを当てたシナリオで、2回鑑賞しましたが両回とも号泣でした……
《Story》
イギリス北東部ニューカッスルで大工として働く59歳のダニエル・ブレイクは、心臓の病を患い医者から仕事を止められる。国の援助を受けようとするが、複雑な制度が立ちふさがり必要な援助を受けることが出来ない。悪戦苦闘するダニエルだったが、シングルマザーのケイティと二人の子供の家族を助けたことから、交流が生まれる。貧しいなかでも、寄り添い合い絆を深めていくダニエルとケイティたち。しかし、厳しい現実が彼らを次第に追いつめていく。(「映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』公式サイト」より)
私自身も国からの支援(学費免除や母子手当など)を受けながら生きてきたため、異様に身にしみる話でした。貧困と人間の尊厳について深く考えさせられる、すべての人に観てほしい、文句なしの傑作です。
格差問題はもう無視できない問題ですが、国の制度は必ずしも万全ではありません。実際、不正受給をする人が問題になってもいます。
ただ、実際に制度の問題で貧窮している人たちは確かにいて、それを社会問題視しなくていいわけではない、という監督の強いメッセージを感じます。
主人公のダニエルは、大工一筋で周囲の人からも慕われる面倒見のいい人物。規律には厳しく、ゴミ捨てのルールを守らない隣人のチャイナやペットの糞を始末しない通行人に厳しく説教を垂れるような人物です。
医者に労働を禁止されるも、役所から療養のための手当てが出ず、代わりの求職手当てを出すために仕事を探すように言われますが、医者には労働を止められており……矛盾した制度と慣れないインターネットに振り回される姿は、一見すると「時代遅れのおじいさん」ですが、描かれているのは「時代についてこれない人は切り捨てる冷たい役所」です。
「時代についてこれてないだけ」と一蹴するのは簡単ですし、正しい面もあるかもしれませんが、少なくともマイノリティーだからと「公的機関」が排するのは間違っています。
それを象徴するのはダニエルの「ちゃんと税金を払ってきたことを誇りに思っている」という言葉。税金を逆手に無茶な要求や理不尽な批判をしているわけではなく、受けるべき当然の義務をの要求しているだけなのです。しかし、問題のある規則に縛られる役所は職務を全うしない。観ているこっちもイライラしてきます……
その不器用ながら真面目な性格で苦労している中、出逢ったのがシングルマザーのケイティです。色の浅黒い娘と色白の息子を持つ(つまり父親が異なる?)わけありそうな母子家庭です。
生活保護の手当てを受けようとするが、融通の利かない役所に冷たい対応をされるケイティに、ダニエルは救いの手を差し伸べ、そこで生じた交流がやがて疑似家族の絆となっていきます。(観ればわかりますが、ダニエルのキャラクターが本当に魅力的!)
貧しいながらも平穏そうに見えた日々ですが、とうとう生活する資金が底を尽きてしまいます。フードバンクで食料をもらい、自分の食べる分も節約するケイティ。特に、フードバンクで我慢できず、缶詰めを貪るように食べるケイティの姿はいたたまれません。涙を流しながら、「お腹が空いて……ごめんなさい」と謝る迫真の演技に思わず息をするのを忘れます。
最終的に、ダニエルは大事な家財を売り払い、ケイティは身体を売るはめに。役所の制度は彼らに無情でした。そして、疑似家族も崩壊を迎えます。風俗で働くケイティにダニエルは直接やめるよう説得するのですが、絶対に見られたくなかった姿を見られたケイティはダニエルと絶縁状態に。その頃からダニエルは体調を悪化させてしまうのでした。
外出もままならなくなったダニエルに、今度はケイティが手を差し伸べます。ダニエルを訪れた娘のデイジーの「あなたは私たちを助けてくれたから助けさせて」という台詞がなんとも健気!
ダニエルの病気を知ったケイティは、弁護士を携えて役所に不当である訴えを申し出ます。救ってくれた人を救うという立場の転換に思わず胸が熱くなるシーンです。
しかし、時すでに遅く、訴えの直前に生き絶えてしまうダニエル。最後、葬儀でケイティが代読するダニエルの訴えは涙無しでは見ることができません。
わたしは、ダニエル・ブレイク。一人の人間だ。
『万引き家族』で描かれるのは、本当の家族じゃない別の軸で固く結ばれた「疑似家族」ですが、最近のパルムドールだとジャック・オーディアール監督の『ディーパンの戦い』と今回紹介するケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』で描かれています。前者は「移民」、後者は「貧困」によって(『万引き家族』は「万引き」で)結びつき、疑似的家族愛が本物の家族愛に変わっていく様子は鑑賞者の心を揺さぶります。
まあ、前置きはさておき。今回は去年公開された『わたしは、ダニエル・ブレイク』について書きます。イギリスの貧困層にスポットを当てたシナリオで、2回鑑賞しましたが両回とも号泣でした……
《Story》
イギリス北東部ニューカッスルで大工として働く59歳のダニエル・ブレイクは、心臓の病を患い医者から仕事を止められる。国の援助を受けようとするが、複雑な制度が立ちふさがり必要な援助を受けることが出来ない。悪戦苦闘するダニエルだったが、シングルマザーのケイティと二人の子供の家族を助けたことから、交流が生まれる。貧しいなかでも、寄り添い合い絆を深めていくダニエルとケイティたち。しかし、厳しい現実が彼らを次第に追いつめていく。(「映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』公式サイト」より)
私自身も国からの支援(学費免除や母子手当など)を受けながら生きてきたため、異様に身にしみる話でした。貧困と人間の尊厳について深く考えさせられる、すべての人に観てほしい、文句なしの傑作です。
格差問題はもう無視できない問題ですが、国の制度は必ずしも万全ではありません。実際、不正受給をする人が問題になってもいます。
ただ、実際に制度の問題で貧窮している人たちは確かにいて、それを社会問題視しなくていいわけではない、という監督の強いメッセージを感じます。
主人公のダニエルは、大工一筋で周囲の人からも慕われる面倒見のいい人物。規律には厳しく、ゴミ捨てのルールを守らない隣人のチャイナやペットの糞を始末しない通行人に厳しく説教を垂れるような人物です。
医者に労働を禁止されるも、役所から療養のための手当てが出ず、代わりの求職手当てを出すために仕事を探すように言われますが、医者には労働を止められており……矛盾した制度と慣れないインターネットに振り回される姿は、一見すると「時代遅れのおじいさん」ですが、描かれているのは「時代についてこれない人は切り捨てる冷たい役所」です。
「時代についてこれてないだけ」と一蹴するのは簡単ですし、正しい面もあるかもしれませんが、少なくともマイノリティーだからと「公的機関」が排するのは間違っています。
それを象徴するのはダニエルの「ちゃんと税金を払ってきたことを誇りに思っている」という言葉。税金を逆手に無茶な要求や理不尽な批判をしているわけではなく、受けるべき当然の義務をの要求しているだけなのです。しかし、問題のある規則に縛られる役所は職務を全うしない。観ているこっちもイライラしてきます……
その不器用ながら真面目な性格で苦労している中、出逢ったのがシングルマザーのケイティです。色の浅黒い娘と色白の息子を持つ(つまり父親が異なる?)わけありそうな母子家庭です。
生活保護の手当てを受けようとするが、融通の利かない役所に冷たい対応をされるケイティに、ダニエルは救いの手を差し伸べ、そこで生じた交流がやがて疑似家族の絆となっていきます。(観ればわかりますが、ダニエルのキャラクターが本当に魅力的!)
貧しいながらも平穏そうに見えた日々ですが、とうとう生活する資金が底を尽きてしまいます。フードバンクで食料をもらい、自分の食べる分も節約するケイティ。特に、フードバンクで我慢できず、缶詰めを貪るように食べるケイティの姿はいたたまれません。涙を流しながら、「お腹が空いて……ごめんなさい」と謝る迫真の演技に思わず息をするのを忘れます。
最終的に、ダニエルは大事な家財を売り払い、ケイティは身体を売るはめに。役所の制度は彼らに無情でした。そして、疑似家族も崩壊を迎えます。風俗で働くケイティにダニエルは直接やめるよう説得するのですが、絶対に見られたくなかった姿を見られたケイティはダニエルと絶縁状態に。その頃からダニエルは体調を悪化させてしまうのでした。
外出もままならなくなったダニエルに、今度はケイティが手を差し伸べます。ダニエルを訪れた娘のデイジーの「あなたは私たちを助けてくれたから助けさせて」という台詞がなんとも健気!
ダニエルの病気を知ったケイティは、弁護士を携えて役所に不当である訴えを申し出ます。救ってくれた人を救うという立場の転換に思わず胸が熱くなるシーンです。
しかし、時すでに遅く、訴えの直前に生き絶えてしまうダニエル。最後、葬儀でケイティが代読するダニエルの訴えは涙無しでは見ることができません。
わたしは、ダニエル・ブレイク。一人の人間だ。
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