はい、しつこいですが再び映画の記事です。
だって『ある海辺の詩人』とセットで観たんだもん……!
去年ずっと観よう観ようと思っていたのに会期を逃したですが、
なんと飯田橋のギンレイホールというところで劇場上映をしているとのこと。
お盆休みに行ってきたわけです ※ひとり
去年のパルムドールを受賞した『愛、アムール』
鬼才ミヒャエル・ハネケ監督の作品です。
流石、パルムドールを受賞しているだけあって、芸術色の非常に強い作品でした。
映画美を追求したような作品……
煽り文句は「究極の愛」なんですが、果たしてこれはどうなのか。
(以下少しネタばれあり)
内容としては酷く単純で、神経系の病で体が動かなくなっていく老婦を夫が介護していく話。
病院には行かせないという夫人からの一方的な約束を突き付けられ、結局夫が中心となって看病していくことになるのですが、そこには様々な苦難が待ち構えていて……
私が難しいと感じたのは、作中での殺意がどのような意味を持っていたのかということです。
殺意が究極の愛情としての形を持ったのか、果たして愛情の崩壊を意味しているのか。
判然としない点がこの作品に奇妙な芸術性を与えている印象があります。
愛する者を殺す、という行為は果たして何を意味するのか。
少なくとも愛情一辺倒だったわけでは決してない。
作中では愛情を選ぶが故に様々な苦労を迎えることになる。
「愛する者への殺意」というものが美しいというのは私見ですが、
一体何を持って美的価値観が殺意に付与されるのか、という問題は非常に難解です。
例えば、個人的に親殺しの美学というものを強く感じているわけですが、
それがフロイト的な美しさなのか、それとも近しい人への殺意からくる美しさなのかは判然としません。
同じような内容で、師弟殺しの美学のようなものも考えられると思います。
単純な憎しみだけによらない殺意、これが非常に美しさを放っているように感じますね。
こと「愛する者への殺意」に関しては、愛と死が隣接している点に美しさがあるのかもしれません。
例えば、愛する人が病で死ぬ、といったエピソードはいかにも悲劇的であり美的であります。
愛と死が近付く際に生じる美しさというものが必ずあるように思うのです。
美しかったですが、果たしてその殺意の真意はわからぬままです。
そして、次に気になったのが作品内での空間設定。
作品中は徐々に最期を迎えようとしている夫人から漂う死者の雰囲気と、
死にゆく者を取り巻く人たちが放つ生者の雰囲気があったように感じます。
死を迎えるだけの人と、病人をサポートする人々。
この人らの持つ雰囲気の描写は明確に分けられていて、特に空間設定にその違いを見出すことが出来ます。
とりわけ、書斎は死の雰囲気から免れている空間であるように感じました。
逆に夫人の異常が始まった台所や、介護を受けていた寝室なんかは、死の雰囲気に満ちていたような印象。
ラストシーンも空間を意識した撮り方をしていた感じ。
生きている娘がただ一人茫然とするシーン。
そこからは何か死のない清々しさのようなものさえ感じる。
この空間を創り出したミヒャエル・ハネケ監督のセンスと、
雰囲気を醸し出したエマヌエル・リバ(老婦役)の演技に脱帽です。
『白いリボン』も観てみたいのう。。。
hona-☆
だって『ある海辺の詩人』とセットで観たんだもん……!
去年ずっと観よう観ようと思っていたのに会期を逃したですが、
なんと飯田橋のギンレイホールというところで劇場上映をしているとのこと。
お盆休みに行ってきたわけです ※ひとり
去年のパルムドールを受賞した『愛、アムール』
鬼才ミヒャエル・ハネケ監督の作品です。
流石、パルムドールを受賞しているだけあって、芸術色の非常に強い作品でした。
映画美を追求したような作品……
煽り文句は「究極の愛」なんですが、果たしてこれはどうなのか。
(以下少しネタばれあり)
内容としては酷く単純で、神経系の病で体が動かなくなっていく老婦を夫が介護していく話。
病院には行かせないという夫人からの一方的な約束を突き付けられ、結局夫が中心となって看病していくことになるのですが、そこには様々な苦難が待ち構えていて……
私が難しいと感じたのは、作中での殺意がどのような意味を持っていたのかということです。
殺意が究極の愛情としての形を持ったのか、果たして愛情の崩壊を意味しているのか。
判然としない点がこの作品に奇妙な芸術性を与えている印象があります。
愛する者を殺す、という行為は果たして何を意味するのか。
少なくとも愛情一辺倒だったわけでは決してない。
作中では愛情を選ぶが故に様々な苦労を迎えることになる。
「愛する者への殺意」というものが美しいというのは私見ですが、
一体何を持って美的価値観が殺意に付与されるのか、という問題は非常に難解です。
例えば、個人的に親殺しの美学というものを強く感じているわけですが、
それがフロイト的な美しさなのか、それとも近しい人への殺意からくる美しさなのかは判然としません。
同じような内容で、師弟殺しの美学のようなものも考えられると思います。
単純な憎しみだけによらない殺意、これが非常に美しさを放っているように感じますね。
こと「愛する者への殺意」に関しては、愛と死が隣接している点に美しさがあるのかもしれません。
例えば、愛する人が病で死ぬ、といったエピソードはいかにも悲劇的であり美的であります。
愛と死が近付く際に生じる美しさというものが必ずあるように思うのです。
美しかったですが、果たしてその殺意の真意はわからぬままです。
そして、次に気になったのが作品内での空間設定。
作品中は徐々に最期を迎えようとしている夫人から漂う死者の雰囲気と、
死にゆく者を取り巻く人たちが放つ生者の雰囲気があったように感じます。
死を迎えるだけの人と、病人をサポートする人々。
この人らの持つ雰囲気の描写は明確に分けられていて、特に空間設定にその違いを見出すことが出来ます。
とりわけ、書斎は死の雰囲気から免れている空間であるように感じました。
逆に夫人の異常が始まった台所や、介護を受けていた寝室なんかは、死の雰囲気に満ちていたような印象。
ラストシーンも空間を意識した撮り方をしていた感じ。
生きている娘がただ一人茫然とするシーン。
そこからは何か死のない清々しさのようなものさえ感じる。
この空間を創り出したミヒャエル・ハネケ監督のセンスと、
雰囲気を醸し出したエマヌエル・リバ(老婦役)の演技に脱帽です。
『白いリボン』も観てみたいのう。。。
hona-☆
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