K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

『Gravity』

2013年12月24日 | 映画
お久しぶりです。
クリスマスイブに有給取りましたが、何も予定のなかったただけーまです。
思い返せば11月まるまる更新してなかったですね……
特に忙しかったわけでもなく、単純に怠惰だっただけです笑
しかし書くべきネタは溜まっていく一方という……


というわけで、久しぶりの更新。
この怠惰な私の駆動力となってくれたのは……
アルフォンソ・キュアロン監督の『ゼロ・グラヴィティ』です。
映画好きの友人が3Dで観るべし!と仰られていたので鵜の如く観てきたわけで御座いますが、
これはもう新しい映画史の1頁に刻まれるであろうこと必至の、
記念碑的作品と言っても過言ではない程に良い出来でした。

物語の概要としては、衛星を修理していた宇宙飛行士が、想定外の事故で突如宇宙に放り出され、
様々な手法を用いて地球への帰還を目指すというようなもの(雑)です。
主人公であるエンジニアを演じるのは『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』で魅せてくれたサンドラ・ブロック。
そのパートナーとなるベテラン宇宙飛行士役には安定の大物ジョージ・クルーニー。

作品概要としてはそんな感じなんですが、
以下、雑感とはなりますが良かった点をつらつらと。
(※以下ネタばれ含まれる気がします)


1、身体と映画の同期性
この作品で最も印象深かったのは、従来の映画では体験できない「感覚」です。
これは3Dだからこそ、とも言えるかもしれませんが、
とにかく実際に宇宙を浮遊しているような錯覚に陥るという点が非常に新しかった。
視点を主人公の視線に合わせて宇宙での作業の困難さを伝えたり、
宇宙に放り出された瞬間に爆音から無音へ切り替えることで宇宙の静寂さを伝えたり、
とにかく宇宙を「擬似体験」出来るような工夫が凝らされていました。

そして、この息のし辛ささえ感じさせる身体と映画の同期は、
キャスリン・ビグロー監督の『ハート・ロッカー』に近しい感覚。
こちらは「いつ爆発しても不思議ではない」状況に観客を身構えさせることで、
観客に主体的な映画への同期を促す効果があったような印象ですが、
今回の『Gravity』では実に自然に映画と身体を同期させていたように思います。
宇宙空間と3Dという相性の良さも要因としては大きいでしょうが、
とにかく観客は宇宙に、否、映画空間に放り出される感覚に陥るわけです。

私自身は3D映画に関して、観客の感覚を代替してしまうために、
観客の主体性の否定につながるものとして否定的に捉えていたわけではありますが、
今回のこの新しい感覚は理念抜きにして非常に心地が良かった。
理念としては確かに観客の想像力の欠如につながる可能性はありますが、
寧ろ宇宙の、無重力の恐怖を伝えるという点ではこれ程優れた手法はないと思います。


2、重力と母性の獲得
また、この作品は主題的にも非常に興味深いものがあります。
具体的には宇宙から地球へ帰還するというストーリーを、
主人公の母性の復活というメタファーと重ねているように感じました。
主人公のスローン博士は女性であると同時に一流のエンジニアリングであり、
その粛々とした仕事に対する態度には冷徹ささえ垣間見えるように描写されています。
しかし、ストーリーが進んでいくにつれ徐々に明らかになる博士の母性。
博士はかつて娘を失った経験を持ち、それを今も引きずっているということが明らかになります。
帰還のプロセスが進むにつれ、仕事至上主義の博士がかつての母性を取り戻していく様は、
冷酷な宇宙から母なる地球へと舞い戻ることのメタファーになっているように感じられます。

そして、地球に降り立った彼女が重力を獲得し、
人間らしく(たくましく)歩いていく様はまさに強い母の姿に写ります。
重力の獲得が人間性の獲得のように描写されている点が印象的でした。
そして、それまで作品全体を支配していた宇宙空間の静寂さと浮遊感からの脱却は、
アニエスカ・ホランド監督の『ソハの地下水道』の地下道からの脱却を想起させます。
長時間に渡る異常状態からの脱却、という点で両者には共通する感覚があるのでしょうか。


とりあえずはこんな感じですかね……
まだまだ感想書いてない映画作品が多々あるので追々更新していきます~
最近はCDも新しく買ってしまったのでそちらも云々。。。

hona-☆

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