K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

夢野久作『少女地獄』

2013年10月27日 | 文学
久しぶりに文学の更新です。
夢野久作の『少女地獄』を読破いたしました。
もう一カ月近く前の話になりますが笑
(今は同『ドグラ・マグラ』を読み進めております)
いやあ、すごく好みの文体かつテーマでした。

「何んでも無い」「殺人リレー」「火星の女」の短篇3つから構成される作品です。
嘘を吐く女、恋に生きる女、処女性を尊ぶ女。
少女が伴う3つの側面の其々にスポットを当て、その性質が身を滅ぼしていく描写。
まさに、少女が自身の性質を由縁として地獄へと落ちていく、そんな小説でした。
いずれも書簡形式で話は進んでいきます。
夏目漱石の『こころ』を思い出してしまいますね。

書簡形式という様式美
書簡形式の非常に面白い点というのは、書簡を読み終わった瞬間に時間軸が暗に逆転している点だと個人的には思います。
とりわけ、執筆者の死を伴った書簡形式は個人的には非常に面白く感じます。

「何でもない」の姫草ユリ子(彼女の書簡は部分的ですが)然り、「殺人リレー」の友成トミ子然り、「火星の女」の甘川歌枝然り、そして『こころ』の先生然り、です。

執筆した彼らは既に亡くなっているのですが、物語を推進させる手紙の中で彼らは「生きて」いるわけです。
そこでは時間軸という概念は失せ、ただ淡々と綴られる過去の事実のみが在ります。
しかし、書簡を読み終わったときに想起されるのは、書簡が書かれた瞬間。
即ち、執筆者が生きていた最後の瞬間に思いが馳せられるわけです。手紙を読み終わって、改めて執筆者の死に気づく、というか。
こうした循環性が書簡形式の醍醐味だと個人的には思いますね。

しかし、夢野久作の文章力の卓越ぶりたるや。
美文ではないが、その魅力的な表現力。
人間のドロドロとした側面をこうも魅力的に書けるものか。
魅力的、というかなんというか、どうしようもなく読み進めてしまう感じ。
まあ、魅力には相違ないのでしょうが、狂気さえ美しく感じさせるのは見事。


何でもない - 姫草ユリ子
特に、姫草ユリ子の魅力たるや、そのセリフの端々から伝わってきます。
嘘に嘘を塗り固めた女が、勝手に行き場を失っていき、そして最終的に自決する。
まさに第三者からすれば、嘘に暴走して死んでしまった、同情もできないような女なのですが。
彼女の類まれなる卓越した嘘に彼女のえも言われぬ魅力が詰まっています。
嘘吐き女、と蔑もうにも蔑めない、それは姫草の嘘に既に魅入ってしまっているが故なのです。
そしてここでの一文が、彼女という女性を余りにも美的に表現し尽くしていて、もう溜息ですね。

彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。ただそれだけです。

嘘を吐かなければ生きていけない女。
そして嘘の辻褄を合わせる為に逃げ場を失った女。
彼女を追いつめたのは、全く吐く必要性の無かった嘘であり、彼女の人心掌握術さえあれば、どうとでもうまく生きられたものを、異常癖によって、姫草は文字通り「勝手に」死んで行ったのです。

そんな彼女の生き様を実にシンプルで的確に描写した一文です。


火星の女 - 甘川歌枝
あとは、火星の女での甘川歌枝の崇高なる焼身自殺。
「火星の女」と呼ばれ、自己の醜さに劣等感を感じていた女性が、処女を奪われたことをきっかけに世の男性に復讐する話。

腐敗、堕落しております現代の自分勝手な、利己主義一点張の男性の方々に、一つの頓服薬として「火星の女の黒焼」を一服ずつ差し上げたいのです。黒焼流行の折柄ですから万更、効き目のない事は御座いますまい。

自身を黒焦げにして処方箋とするなんて発想力がまず素晴らしいし、その結末へもっていく物語の運びも見事……
そしてこの余りにも完成された文章をさらっと使ってしまうあたりも感激です。

そして、最後の一文。
自身の処女を奪った男へのメッセージなのですが、これもまた神がかった余韻を感じずにはいられません。

どうぞ火星の女の置土産、黒焦少女の屍体をお受け取り下さい。私の肉体は永久に貴方のものですから……ペッペッ……。

男への復讐を誓いながら、結局男に運命を翻弄されたことに対する自身への憤り、そして厭世観、自暴自棄が、最後に読者に素晴らしい余韻を与えています。
これを書いた後に焼身自殺を遂げたことを想起するとよりドラマチックというか、充足した読後感を得る事ができますね。

手紙の最後の一文から、死へ至るまでの執筆者の心情。
そこを想像する余韻の心地よさたるや、文学の醍醐味の一つでありましょう。

hona-☆

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