梅雨入りですね。洗濯物が乾かない苛立ちをどうにかしたいただけーまです。
今回はジョーン・ベイカー監督の『フロリダ・プロジェクト』の鑑賞録。『大人は判ってくれない』や『ヒューゴの不思議な発明』、『パンズ・ラビリンス』『怪物はささやく』等、純真な子供が活躍する映画が大好きなので鑑賞。
フロリダの貧困問題に焦点を当てた社会派映画だった……が、実写にも関わらず溢れ出る前半のファンタジー感が素晴らしかった。
ファンタジーよりファンタジーめいた社会派の映画です。
《Story》
6歳のムーニーと母親のヘイリーは定住する家を失い、“世界最大の夢の国”フロリダ・ディズニー・ワールドのすぐ外側にある安モーテルで、その日暮らしの生活を送っている。
シングルマザーで職なしのヘイリーは厳しい現実に苦しむも、ムーニーから見た世界はいつもキラキラと輝いていて、モーテルで暮らす子供たちと冒険に満ちた楽しい毎日を過ごしている。しかし、ある出来事がきっかけとなり、いつまでも続くと思っていたムーニーの夢のような日々に現実が影を落としていく———
前半はカラフルな世界観で子供たちの支点を中心にした悪ガキのイタズラ話に過ぎません(と言ってもそれだけでも魅力的)が、後半はシングルマザーのヘイリーが貧窮していった挙句に娘のムーニーと引き離されてしまうという話です。
ヒドゥン・ホームレスとヒスパニック
こうした親子の悲劇の背景には「ヒドゥン・ホームレス(隠されたホームレス)」と呼ばれるモーテル暮らしのホームレスが大量にいるという実態があります。
ディズニーワールドに代表されるようなフロリダの夢のような世界観の一方で、貧困の中で生き抜かなければならない厳しい社会の現実が奇妙な融合を見せている作品なのです。
また、作中にはスペイン語を話す掃除婦も登場しており、フロリダ州の貧困問題の背景に数多くのヒスパニックの存在が暗示されています。
モーテルという共同体
前半はムーニーをはじめとする、モーテル暮らしの子供たちが話の中心。幼い姿でスラングを叫ぶ子供たちの姿には思わず笑みが溢れてしまいますが、育ちの悪ささえ魅力的に見えてしまうカラフルな世界観で話は進みます。
そして、そんな悪くも無邪気な子供たちを見守るのが大人たち。子供たちは友達の親に対しても自分の親のように接し、ウィレム・デフォー演じる管理人のボビーもまた自身の子供のように見守り、叱咤する姿が印象的です。モーテル全体で子供たちの面倒を見ているんですね。
ムーニーの母親ヘイリーは、どこか大人になりきれない母親。ムーニーの世界観を感じさせるカラフルな髪の色は、ヘイリーの未熟さも象徴しているようです。彼女は真っ当なお金の稼ぎ方を知らず、パチモンの香水を金持ちに売りつけ、人のモノを盗んで転売する。挙げ句の果てに、子供と住む家で風俗の仕事も始めてしまいます。
ボビーに対する反抗心も思春期の娘のようで、劇中のモーテルというコミュニティは、ボビーを家長とした大きい疑似家族のようにも映ります。
魅力的な子役とマジカルエンド
娘のムーニーは、とにかくその母親譲りの破天荒なキャラクターが魅力的。演じたブルックリン・キンバリー・プリンスもムーニーのようにフロリダ州出身。子供の憎らしさと可愛らしさが並存した、あの子供特有の雰囲気を見事に演じています。それこそ演技なのかと疑問に思うほどに!
大人から金を騙し取るは、廃屋に火を放つは、モーテルのブレーカーは落とすは、もうとにかく手に負えないイタズラ娘。隣のモーテルに引っ越してきた内気な性格のジャンシーは、そんなムーニーの姿に惹かれていきます。その影響でジャンシーがどんどん悪い言葉遣いになっていく姿にもクスリと笑えてしまうのですが、彼女が最後に果たす役割に心が震わされます。
母親と離れて暮らすことが決まり、初めて涙を見せるムーニーに手を差し伸べて『ディズニーワールド』に連れ出すのです。最初はムーニーたちのイタズラについていくのに精一杯だったジャンシーにこんなことされたら泣いてしまうわ!こんな終わり方卑怯でしょう〜と思いつつも心の中で拍手喝采を送ってしまう、見事なマジカルエンドでした。
ジャンシーがムーニーを連れ出した世界は決してそれまでのカラフルな世界ではないが、瞬間瞬間にシャッターが切られるようなコマ送りの演出が入る。それはムーニーにとって新しい世界で、記憶に残る「カラフル」な世界だったのだろう。
劇中ムーニーの印象的なセリフがある。ジャンシーと倒木の上で配給されたパンを食べている際、「なんでこの木が好きかわかる?」とジャンシーに問いた答え。「倒れても成長してるから」だという。きっと、ムーニーもヘイリーも、離れ離れになった後成長して一緒に暮らしていけるのだろうと、確信を持てるセリフだった。
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