以前記事にも書きましたが、個人的には最も好きな公募展であるFACE展2016に行って参りました。名称が変わる前の選抜奨励展の頃から通っているんですが、今年も素晴らしい作品が目白押しでした。
今年の作品は自己同一性や人の両面性を感じさせるものが多かった印象です。審査員の本江邦夫氏も「曖昧で内向的」であり「意識が内と外に分裂した『二重性』にかかわる様態」と表現しています。
最近インターネットを引き合いに出すことが多いですが、ウェブを介したつながりによって現代は確実に世界が狭くなっています。良い意味ではさまざまなものにリーチすることが容易く、悪い意味では現代的なアイデンティティクライシス(Facebookのプロフィール写真を盛ろうとする精神ですよ!)を引き起こしてしまうわけです。
まあ、前置きはさて置きですね。個人的なベスト3を紹介いたします。公募展の魅力はどれも各々の作者のスペシャリテであることですね。思いのこもった作品は魅力的で思わず見とれてしまいます。
工藤千紘≪一喜一憂≫
まさに人の両面性を提示しているような作品。同じ人でも喜んでいるときと憂いているときではまるで別人です。しかし、この作品の面白いところは、憂いの化身(?)が喜びの化身を羨んでいるように見える点でしょう。
ぼくも基本ネクラで、パリピにまではなりたいとは思わないですが、それでも友達と楽しく話してる自分は好きだし、良い作品に出会って充足している自分も好きです。この両極端にある感情の混在は、古くからある人文学的なテーマですね。
大川心平≪勇敢な馬≫
これはもう何というか、観てその書き込み具合に圧倒される作品です。タッチは極めて平凡な油画ですが、そこに込められた「静」と「動」の対比、そして物語を予感させる幻想的な遠景。単純なグラフィックとしてはこの作品がもっとも魅力的でした。
名前に馬の字が入っていて、午年生まれで、乗馬のライセンス持っていて、父親が競馬好き(関係ない)で、個人的に馬のモチーフが好きというのもあるんですけどね。
この馬の何が勇敢なのか、それはこの静物のひしめく中でその身体を露わにしているからでしょう。右側の蝶々は花の裏にその姿を隠し、左上の人物(作者の投影か)は遠くを眺めて背を向けている。この馬だけがこの世界で堂々と生を示しているのです。上に構える髑髏はまさに死の象徴でしょう。
赤枝真一≪箱乙女≫
作品のアプローチとして面白かった作品です。グラフィカルでありながら、立体的な視野を意識させられます。画期的とまでは言いませんが、こうした公募展で実験的な作品が評価されるのは非常に良いことです。≪箱乙女≫というタイトルは安部公房の「箱男」を連想させますが、こちらも実験的な小説であり類似性がありますね。
入っている箱はタバコケースでしょうか、煙と一緒に出てきているのもファンタジックで個人的には好きです。先日のクストリッツァの記事でも書きましたが、箱に入るという行為は帰属意識と非常に密接な関係にあります。そしてその帰属意識とは現代においてより希薄になっている、特に宗教も持たない日本人にとっては。現代は個人が複数の共同体に帰属することができ、(両面性以上の)多様な自己と付き合っていかなければならない。その自己の多様性をこの作品は客観視しているようです。
かく言う私も会社、クラス、サークル、家庭ではキャラが全く異なります。しかし、確固たる己という意識はあり、それ故に外の自分が乖離していくことに頭を抱えてしまうわけです。
だから、常にキャラがブレない人を見ると、素敵だなと思うと同時に、己の確固たる自己が確固としていない事実に気づきまたもや頭を悩ませてしまうのです。
今年の作品は自己同一性や人の両面性を感じさせるものが多かった印象です。審査員の本江邦夫氏も「曖昧で内向的」であり「意識が内と外に分裂した『二重性』にかかわる様態」と表現しています。
最近インターネットを引き合いに出すことが多いですが、ウェブを介したつながりによって現代は確実に世界が狭くなっています。良い意味ではさまざまなものにリーチすることが容易く、悪い意味では現代的なアイデンティティクライシス(Facebookのプロフィール写真を盛ろうとする精神ですよ!)を引き起こしてしまうわけです。
まあ、前置きはさて置きですね。個人的なベスト3を紹介いたします。公募展の魅力はどれも各々の作者のスペシャリテであることですね。思いのこもった作品は魅力的で思わず見とれてしまいます。
工藤千紘≪一喜一憂≫
まさに人の両面性を提示しているような作品。同じ人でも喜んでいるときと憂いているときではまるで別人です。しかし、この作品の面白いところは、憂いの化身(?)が喜びの化身を羨んでいるように見える点でしょう。
ぼくも基本ネクラで、パリピにまではなりたいとは思わないですが、それでも友達と楽しく話してる自分は好きだし、良い作品に出会って充足している自分も好きです。この両極端にある感情の混在は、古くからある人文学的なテーマですね。
大川心平≪勇敢な馬≫
これはもう何というか、観てその書き込み具合に圧倒される作品です。タッチは極めて平凡な油画ですが、そこに込められた「静」と「動」の対比、そして物語を予感させる幻想的な遠景。単純なグラフィックとしてはこの作品がもっとも魅力的でした。
名前に馬の字が入っていて、午年生まれで、乗馬のライセンス持っていて、父親が競馬好き(関係ない)で、個人的に馬のモチーフが好きというのもあるんですけどね。
この馬の何が勇敢なのか、それはこの静物のひしめく中でその身体を露わにしているからでしょう。右側の蝶々は花の裏にその姿を隠し、左上の人物(作者の投影か)は遠くを眺めて背を向けている。この馬だけがこの世界で堂々と生を示しているのです。上に構える髑髏はまさに死の象徴でしょう。
赤枝真一≪箱乙女≫
作品のアプローチとして面白かった作品です。グラフィカルでありながら、立体的な視野を意識させられます。画期的とまでは言いませんが、こうした公募展で実験的な作品が評価されるのは非常に良いことです。≪箱乙女≫というタイトルは安部公房の「箱男」を連想させますが、こちらも実験的な小説であり類似性がありますね。
入っている箱はタバコケースでしょうか、煙と一緒に出てきているのもファンタジックで個人的には好きです。先日のクストリッツァの記事でも書きましたが、箱に入るという行為は帰属意識と非常に密接な関係にあります。そしてその帰属意識とは現代においてより希薄になっている、特に宗教も持たない日本人にとっては。現代は個人が複数の共同体に帰属することができ、(両面性以上の)多様な自己と付き合っていかなければならない。その自己の多様性をこの作品は客観視しているようです。
かく言う私も会社、クラス、サークル、家庭ではキャラが全く異なります。しかし、確固たる己という意識はあり、それ故に外の自分が乖離していくことに頭を抱えてしまうわけです。
だから、常にキャラがブレない人を見ると、素敵だなと思うと同時に、己の確固たる自己が確固としていない事実に気づきまたもや頭を悩ませてしまうのです。
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