K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

夢野久作『瓶詰の地獄』

2015年05月06日 | 文学
◇第三の瓶の内容(全文)
オ父サマ、オ母サマ。ボクタチ兄ダイハ、ナカヨク、タッシャニコノシマニ、クラシテイマス。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。
市川太郎
イチカワアヤコ



◇第一の瓶の内容(抜粋)
ああ、手が慄えて、心が倉皇て書かれませぬ。涙で眼が見えなくなります。私達二人は、今から、あの大きな船の真正面に在る高い崖の上に登って、お父様や、お母様や救いに来て下さる水夫さん達によく見えるように、シッカリと抱き合ったまま、深い淵の中へ身を投げて死にます。
(中略)
ああ。お父様。お母様。すみません。すみません、すみません、すみません。私達は、初めから、あなた方の愛子でなかったと思って諦めて下さいませ。



夢野久作の短篇を代表する作品『瓶詰めの地獄』を読みました。海難事故に遭い、豊穣の無人島に漂着した兄妹が倫理的責苦から身を投げるまでの話を、3通のメッセージボトルを通じて描いた傑作です。

上記引用している通り、漂着直後は「ナカヨク、タッシャニ」暮らしていた兄妹が、何故両親の乗る救助船を見つけた際に「すみません、すみません」と謝罪しながら「深い淵の中へ」投身自殺を決心したのか――創世記にあるエデンの智慧の実に準えて、無人島での兄の苦悩を描写するその発想力と、狂気的なまでの描写力。正に夢野久作の真骨頂とも言うべき髄の詰まった短篇になります。(15分もあれば読める短いものなので是非!)

順序自体は「第一の瓶の内容」「第二の瓶の内容」「第三の瓶の内容」の流れで進んでいきますが、手紙の書かれた時系列としては「第三→第二→第一」となっており、責苦にあぐねて投身自殺を図った兄妹のいきさつが徐々に判明してくる(ほぼ第二の瓶の内容が狂っていく過程を示しています)構造になっています。同『地獄少女』もまた、手紙の内容を通じて焼身自殺を図った少女の真意が最後に明らかになるという構造になっていましたが、やはり夢野久作の作品はこうしたカラクリめいた構造の小説が特に面白いですね。(『ドグラ・マグラ』の二重小説構造然り)


前置きはさて置き、内容の方ですが……

瓶に詰められた手紙の内容は、兄である太郎が美しく成長していく妹に対する苦悩地獄を書き綴ったもので、禁断の果実に手を出すまいと必死にこらえる様子はアダムとエヴァの創世期の話に重なります。そして、こうした極楽の島で美しい女性と過ごしながら、決して手を出してはならないという状況を、太郎は地獄と表現するようになるのです。


◇第二の瓶の内容(抜粋)
私達は、ホントに幸福で、平安でした。この島は天国のようでした。
(中略)
ああ神様……私達二人は、こんな呵責に会いながら、病気一つせずに、日に増し丸々と肥って、康強に、美しく育って行くのです。此の島の清らかな風と、水と、豊饒な食物と、美しい、楽しい、花と鳥に護られて……。
ああ、何という恐ろしい責め苦でしょう。この美しい、美しい島はもうスッカリ地獄です。
神様。神様。
あなたはなぜ私達二人を、一思いに虐殺して下さらないのですか……。
――太郎記す……



兄妹が互いを異性として意識してしまってから、極楽鳥や南国風の植物などのある豊饒な無人島は「天国」から「地獄」へと変容していくことになるのですが、この恥じらいを覚えたことによる苦悩の始まりという構造は正に創世記そのものです。
若干創世期と構造が異なっているのは、こうした兄妹の成長はエデンの智慧の実とは違い、選択されたものではないという点です。では、ここで選択することへの理性の葛藤があるものは何か。それこそが、太郎をして極楽島を地獄とまで言わしめた近親相姦という禁忌になるわけです。


◇第二の瓶の内容(抜粋)
私は二足、三足うしろへ、よろめきました。荒浪に取り巻かれた紫色の大磐の上に、夕日を受けて血のように輝いている処女の背中の神々しさ……。ズンズンと潮が高まって来て、膝の下の海藻を洗い漂わしているのも気づかずに、黄金色の滝浪を浴びながら一心に祈っている、その姿の崇高さ……まぶしさ……。
(中略)
明日にも悪魔の誘惑に負けるような事がありませぬうちに……。せめて二人の肉体だけでも清浄で居りますうちに……。



「悪魔の誘惑」に対して最終的に太郎とアヤコの兄妹はどうなったのでしょうか。
欲望に溺れ禁忌を犯したのか、はたまた地獄に耐え抜けたのか……

ここで冒頭に引用した、時系列的に最後に書かれた身投げのシーンが想起されます。
何故彼らは救助船を見た瞬間に投身自殺を図ったのか――
何故両親に「すみません、すみません」と謝罪を繰り返したのか――


◇第一の瓶の内容(抜粋)
私達はこうして私達の肉体を霊魂を罰せねば、犯した罪の報償が出来ないのです。この離れ島の中で、私達二人が犯した、それはそれは恐ろしい悖戻の報償なのです。
どうぞ、これより以上に懺悔することを、おゆるし下さい。私達二人はフカの餌食になる値打しかない、狂妄だったのですから……。
ああ。さようなら。
神様からも人間からも救われ得ぬ
哀しき二人より
お父様 お母様 皆々様



創世記と照らし合わせるのであれば、必要不可欠の存在がこの作品には出てきていません。
「悪魔の誘惑」という表現が近しいでしょうか、即ち智慧の実を食べるよう唆した蛇的存在です。

太郎は何に魅了され、近親相姦という禁断の果実を口にしたのでしょうか――

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