今日はウベルト・パゾリーニ監督の『おみおくりの作法』を観てきました。邦題はなんか少し前に話題になった『おくりびと』っぽいタイトルですが、この映画の本質は原題の『STILL LIFE』の方が上手く表せているんじゃないかなあと個人的には感じています。
<Story>
ロンドン市ケニントン地区の民生係、ジョン・メイ。ひとりきりで亡くなった人を弔うのが彼の仕事。事務的に処理することもできるこの仕事を、ジョン・メイは誠意をもってこなしている。しかし、人員整理で解雇の憂き目にあい、ジョン・メイの向かいの家に住んでいたビリー・ストークが最後の案件となる。この仕事をしているにもかかわらず、目の前に住みながら言葉も交わしたことのないビリー。ジョン・メイはビリーの人生を紐解くために、これまで以上に熱意をもって仕事に取り組む。そして、故人を知る人々を訪ね、イギリス中を旅し、出会うはずのなかった人々と関わっていくことで、ジョン・メイ自身も新たな人生を歩み始める……。(オフィシャルサイトより)
映画全体を通して色調は灰みがかっており、鬱屈とした雰囲気で物語は展開されていきます。それは孤独死した遺体を相手にする彼の仕事の特性故もありましょうが、通勤経路や食事などロボットのように日常をルーティンに過ごすジョン・メイ自身もどことなく「生きながらに死んでいる」ような空気を発しています。
赤の他人の棺をデザインしたり、葬儀のBGMを選んだり、弔辞を書いたりなど、自分の生よりも他人の人生に関心を向けざるを得ない仕事柄が彼の人柄にも表れているようです。そう、ジョン・メイは何者でも無いような没個性的な主人公でした。そう、ジョン・メイの生き方そのものが、実に"STILL LIFE"なものだったのです。
しかし、最後の仕事となったビリー・ストークの一件で様々な人と関わることで、彼の人生はこれまでとは一変し、急に色づいたものになっていきます。(なんとなくそれまで灰みがかっていた映像の色調も変化していたような?)
初めての生の躍動に触れた彼は、それまでのロボットのような生活が一変し、ひとりで酒を飲んだり、嫌な上司の車に小便をひっかけたりと、"STILL"とは相反する行動に移っていきます。しかし、こうした突然の生活の変化を目敏く咎めるように、彼はトラックにはねられ突如終わりを迎えます。身寄りのない彼の死は「孤独死」として処理され、ミイラ取りがミイラになるような皮肉な結末を迎えます。一般的な生の喜びを覚え始めた矢先の突然の死、何とも残酷なプロットで、誰にも弔われることなく義務的に終えられる彼の葬儀シーンの救われなさは筆舌に尽くし難し!です。
とりわけ、彼の葬儀がビリー・ストークの葬儀と同日に行われ、彼の尽力によって多くの関係者が参列したビリーの葬儀と対比されているのを見るとますます救われない気持ちに……監督!あんた鬼か!鬼なのか!
地道に、実直に、丁寧に、他人の死を弔ってきた彼の死は本当に報われなかったのでしょうか。「死者に意思はない(=ジョン・メイの丁寧な仕事は無駄)」と言って、彼を解雇した上司の言葉は正しかったのでしょうか。
しかし、最後のシーンで彼の死は大いに報われることになります。(そういう表現がされます)監督がしたかったのはこれか~!『STILL LIFE』ってそういうことか~!と安堵にも似た納得をすることになるのですが、それにしてもちょっとブラック・ジョークが過ぎるのでは?という気持ちにもなるのでした。
これから久しぶりにサックスのコンサート行ってきます~!お気に入りの団体なので楽しみ!
<Story>
ロンドン市ケニントン地区の民生係、ジョン・メイ。ひとりきりで亡くなった人を弔うのが彼の仕事。事務的に処理することもできるこの仕事を、ジョン・メイは誠意をもってこなしている。しかし、人員整理で解雇の憂き目にあい、ジョン・メイの向かいの家に住んでいたビリー・ストークが最後の案件となる。この仕事をしているにもかかわらず、目の前に住みながら言葉も交わしたことのないビリー。ジョン・メイはビリーの人生を紐解くために、これまで以上に熱意をもって仕事に取り組む。そして、故人を知る人々を訪ね、イギリス中を旅し、出会うはずのなかった人々と関わっていくことで、ジョン・メイ自身も新たな人生を歩み始める……。(オフィシャルサイトより)
映画全体を通して色調は灰みがかっており、鬱屈とした雰囲気で物語は展開されていきます。それは孤独死した遺体を相手にする彼の仕事の特性故もありましょうが、通勤経路や食事などロボットのように日常をルーティンに過ごすジョン・メイ自身もどことなく「生きながらに死んでいる」ような空気を発しています。
赤の他人の棺をデザインしたり、葬儀のBGMを選んだり、弔辞を書いたりなど、自分の生よりも他人の人生に関心を向けざるを得ない仕事柄が彼の人柄にも表れているようです。そう、ジョン・メイは何者でも無いような没個性的な主人公でした。そう、ジョン・メイの生き方そのものが、実に"STILL LIFE"なものだったのです。
しかし、最後の仕事となったビリー・ストークの一件で様々な人と関わることで、彼の人生はこれまでとは一変し、急に色づいたものになっていきます。(なんとなくそれまで灰みがかっていた映像の色調も変化していたような?)
初めての生の躍動に触れた彼は、それまでのロボットのような生活が一変し、ひとりで酒を飲んだり、嫌な上司の車に小便をひっかけたりと、"STILL"とは相反する行動に移っていきます。しかし、こうした突然の生活の変化を目敏く咎めるように、彼はトラックにはねられ突如終わりを迎えます。身寄りのない彼の死は「孤独死」として処理され、ミイラ取りがミイラになるような皮肉な結末を迎えます。一般的な生の喜びを覚え始めた矢先の突然の死、何とも残酷なプロットで、誰にも弔われることなく義務的に終えられる彼の葬儀シーンの救われなさは筆舌に尽くし難し!です。
とりわけ、彼の葬儀がビリー・ストークの葬儀と同日に行われ、彼の尽力によって多くの関係者が参列したビリーの葬儀と対比されているのを見るとますます救われない気持ちに……監督!あんた鬼か!鬼なのか!
地道に、実直に、丁寧に、他人の死を弔ってきた彼の死は本当に報われなかったのでしょうか。「死者に意思はない(=ジョン・メイの丁寧な仕事は無駄)」と言って、彼を解雇した上司の言葉は正しかったのでしょうか。
しかし、最後のシーンで彼の死は大いに報われることになります。(そういう表現がされます)監督がしたかったのはこれか~!『STILL LIFE』ってそういうことか~!と安堵にも似た納得をすることになるのですが、それにしてもちょっとブラック・ジョークが過ぎるのでは?という気持ちにもなるのでした。
これから久しぶりにサックスのコンサート行ってきます~!お気に入りの団体なので楽しみ!
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