K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

夢野久作『ドグラ・マグラ』

2014年07月10日 | 文学
「…………ブウウ――――――ンンン―――――――ンンンン……………。」








夢野久作の代表作、そして日本一の奇書でもある『ドグラ・マグラ』の冒頭は、このような奇妙なボンボン時計と思しき音からスタートします。

この音は物語の終盤、小説の循環構造を支える決定的に重要な音と成ってくるのですが、小説を読み終えたところで我々読者はこの音の正体を見失ってしまいます。「はて?この音は果たして本当にボンボン時計なりや?」……小説を読み終えた後にこの小説に書いてあること全てがまやかしに思えてしまう、『ドグラ・マグラ』とはそういう小説なのです。

「ぷぉーん」という擬音語を聞いた時、大体それは時間切れのブザーであったり、天使の角笛の音であったり、時には放屁の音であったりもするでしょう。そして、「ぷぉーんという音を立てて食器が落ちた」と表現された場合でさえ、その音の表現の仕方に疑問を持つものの、音の正体にはとんと無関心になります。何故なら、その音は確実に正体が明かされているからです。

しかしこの『ドグラ・マグラ』という小説は、こうしたある種常識的な読み方を裏切りに裏切りきった、あらゆる専門家の書評を無為にしてしまう程に、荒唐無稽で支離滅裂なのです。「これを読む者は、一度は精神に異常をきたす」という宣伝文句に負けない異常性と幻怪性に溢れた小説なのです。
そして、読み進めていくうちに実はこの荒唐無稽さが如何に繊細緻密に構成されていたかがわかり、作者の圧倒的な文学センスと構成能力、奇想天外な発想に敬服するわけです。

音はあるもののその正体はわからない。
実態は見えているのに技巧がわからない。
小説の体を為しているのに内容がわからない。

これら全てを兼ね備えているからこそ、本作品は日本一の奇書と称され、まるで雲を掴むようにしか読み進められない作品となっているのでしょう。「日本一幻魔怪奇の本格探偵小説」「日本探偵小説界の最高峰」「幻怪、妖麗、グロテスク、エロテイシズムの極」などと評されたのも納得です。

そうした夢幻的特性はタイトルにも現れています。
このやたらと耳触りの良い『ドグラ・マグラ』という呪文のようなタイトルに関して、小説を終始読みまわしてもその言葉の説明は登場してきません。つまり、我々読者はこの『ドグラ・マグラ』という小説を読み終えたところで、『ドグラ・マグラ』のことなど露ほども理解できていないのです。

こんなことがありましょうか。
シュールレアリスムの作家であっても、タイトルに意味はあり、タイトルはその内容の体を為します。
安部公房の『箱男』然り『砂の女』然り『赤い繭』然り『他人の顔』然り……
ダリの『記憶の固執』然り『ナルシスの変貌』然り『内乱の予感』然り……

『ドグラ・マグラ』とは一体何なのか。

小説内には狂人が書いたという設定の『ドグラ・マグラ』という小説が出てきます。

その冒頭も本編同様に……

「…………ブウウ――――――ンンン―――――――ンンンン……………。」

という奇妙な音から始まっています。

劇中劇ならぬ小説中小説という入れ子型の構造になります。そして同じものをトレースしているが故に、合わせ鏡の無間地獄にもつながるようなおぞましささえもそこには潜んでいます。この手法は作品が多層性を生み非常に読みごたえを持たせるものの、逆に焦点がぼやけるという危うさも孕んでいることになります。
小説内小説というメタ的な手法による、作品そのものの崩壊・破綻……
して、このような手法により益々『ドグラ・マグラ』という言葉の真相が遠のいていきます。

作中では『ドグラ・マグラ』に対する説明として下記のような説明が出てきますが、
これは明らかに『ドグラ・マグラ』とは「特定しえない何か」であると訴えているかのような、『ドグラ・マグラ』の真相から遠ざけようとしているかのような説得力の無さがあります。

(1)九州地方の方言で「切支丹バテレンの呪術」
(2)「戸惑う、面食らう」がなまったもの
(3)「堂廻り、目眩み」のなまったもの

※確かに「呪術的」内容で「面食らう」ような荒唐無稽さと「堂廻り」の循環構成が実践されていますが。

内容が推定され得ない此のタイトルに比べてその耳触りの良さ……
3文字+3文字という「魔法少女まどか☆マギカ」並みの語呂の良さ(←)から私が想起したのは、「ドグマ=教条」というキーワードに他なりません。

小説内で展開されていた『ドグラ・マグラ』に対する態度は、法医学者若林博士と精神科学者正木博士の盲目的な信奉と研究が顕著です。『ドグラ・マグラ』という狂人の書いた此の小説を巡って、両者は自身の学説を正しく足らしめんと、時には非道徳的で残酷な手法を使って、時には冷静に自身の立場を利用して、正に「学術研究」が為に狂人の小説を盲信していきます。
その様は正しくドグマの意味する「教条主義」的態度に他なりません。

小説の正否さておき、『ドグラ・マグラ』を軸として展開される両者の学術的対決は、自身のドグマに固執した偶然とこじつけに孕んだ歪んだ主張になっていることがわかります。そして両博士の教条主義的態度が原因として、最後のどうしようもなく救い難い絶望の結末が訪れるのです。


冒頭に記された巻頭歌
胎内で胎児が数十億年の地球の歴史を夢みていると主張する論文「胎児の夢」
「脳髄は物を考える処に非ず」と主張する学説「脳髄論」
精神病患者に対する仕打ちの惨たらしさを琵琶法師然として謡った「キチガイ地獄外道祭文」
死んだはずの人物が現存するかのような動画の映写
現在と過去のタイムラグを根底から覆す新聞の切り抜き

荒唐無稽なプロットと多様な語り口、登場人物の不気味さ、圧倒的な博物知識、読者を驚嘆させる結末……その総てが圧倒的で、決して凡人の理解しえない日本一の奇書。
果たして全ては胎児の夢か、古き伝説の呪いか、狂人の空言か……


「胎児よ 胎児よ 何故躍る
 母親の心がわかって おそろしいのか」
(『ドグラ・マグラ』巻頭歌)


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