K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

ドン・ハーツフェルト『明日の世界』

2016年10月27日 | 映画
おはようございます。朝から名古屋に向かってる眠気が半端ないただけーまです。

引き続きではありますが、ドン・ハーツフェルト監督の作品で更新です。今回は『明日の世界』という未来を舞台にしたSF作品になります。




<Story>
少女エミリーはある日遠い未来からの交信を受ける。同じくエミリーと名乗るその女性は、彼女のクローンなのだという。未来のエミリーは、少女エミリーを、彼女の暮らす未来の世界へと連れていく。そこで待ち受けていたのは、「死」が消えて、永遠に生きることを余儀なくされた人々の、ボンヤリとして切ない人生の物語だった。


舞台は未来。クローン技術が発達し、次代のクローンに自らの意識を乗せることで、永遠に生きることが可能となったSFの世界です。
ハード的に第三世代のエミリーがクローン技術を知らない初代エミリーと交信し、(共通の自己ではあるが)孫から祖母へのメッセージを伝えます。



しかし、ここで面白いのは年上であるはずの第一世代のエミリーがまだ子供であり、交信をしてきている第三世代のエミリーの方が恋も孤独も経験した大人であるという点です。こうした世代が円環するような構図が、より悠久の哀愁を引き立たせていました。



永遠の命を手に入れた第三世代のエミリーが、わざわざ時空を超えて無垢な少女のままのエミリーに伝えたかったのは何か。それは「時間を無駄に過ごさないで」というメッセージです。
悠久の時間があればどんな心の傷も癒せるのだから、有限の時間を生きるあなたは精一杯生きてという、時間が無限にあるエミリーから有限の時間を生きるエミリーへの切ない願いと言えるでしょう。悠久の時間は理想のようでありながら、実は感情の麻痺と熱意の鈍化を招く副作用があったわけです。

人間は寿命があるからこそ人間。無限の時間に身を任せた未来のエミリーは、まるで全能の神であるかのように達観し、少女だった頃のエミリーに「人間として」精一杯生きるよう警鐘を鳴らすのです。

ぼくも子供の頃の方が、もっと精一杯生きていた気がしますね。大人になるということは、同時に時間の変化に疎くなるという副作用があるのかもしれません。


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