おはようございます。東京都で一番治安の良い区から一番悪い区に引越してカルチャーショックを受けているただけーまです。
久しぶりに文学の更新ということで、本谷有希子さんの『異類婚姻譚』の感想を書かせていただきます。

第154回芥川賞を受賞した本作。タイトルのインパクトもそうですが、物語の構成も最近の芥川賞とは一線を画す、夫が人外に成っていくという奇妙な物語です。『聊斎志異』を彷彿とさせる奇譚設定と、据えられたテーマの奥深さに夢中になって読んでしまいました。
どうやら「異類婚姻譚」とは割とメジャーなジャンルのようで、Wikipediaによれば「人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称。世界的に分布し、日本においても多く見られる説話類型である。」とのこと。そう考えるとだいぶ範囲が広くなりますね。鵺野先生とゆきめちゃんが結ばれる「地獄先生ぬーべー」とか完全に異類婚姻譚です。
「他人であっても夫婦は似通う」ということを煮詰めて奇譚に仕上げ、特に主人公夫妻が徐々に似通っていく(妻が夫に取り込まれていく)様子は非常に悍ましいものがありました。
思考することを放棄しているような夫に苛立ちを感じながらも、徐々に夫に自分の行動権(生活圏)を奪われ、夫と同化していく妻。夫が揚げ物(主婦的行為)をし始めたシーンなんかはもう忌憚と言うよりホラーのようでしたね。「自分だけ、俺に食べさせてると思ってたんでしょ」という夫の言葉にこれから妻を取り込もうとする意思が窺えます。
そして揚げ物を頬張る妻は夫との「同化」に心地よさを見出し、思考を放棄していく……他人が自分の存在に取って代わっていくのはアイオアディ監督の『嗤う分身』のドッペルゲンガーに通じるような恐ろしさがありますね。
そして最後のシーン、酒を飲み酔った妻に「好きな形になりなさいっ」と言われた「嘗て夫であった何か」は、最終的に山芍薬の花になってしまいます。つまり人的存在から解放され、思考をする必要のない植物になってしまうのです。
人的存在が植物に姿を変える、と言えば太宰治の『清貧譚』が思い出されます。主人公の義弟三郎が、酒を飲んで菊の姿になる描写を覚えてる方も多いのではないでしょうか。
そう思って読み返してみますと、ところどころに『異類婚姻譚』との共通点を見出すことができます。妻となった黄英の家が富をなし、夫である才之助の家を取り込んでいく様は、まさに妻(の屋敷)と夫(の家屋)が「同化」していくプロセスにほかなりません。また、物語の冒頭で気狂いなほど菊にのめり込んでいた才之助が、義弟三郎の才能に圧倒され全く無気力な人間になってしまうのもまた、本作の堕落していく妻が想起されるでしょう。
『清貧譚』は『聊斎志異』の一節を取り上げたものですが、太宰がこの小品を選んだのはやはり普遍的なテーマがそこに隠れているからでしょうか。数百年も前の作品と現代の小説に類似点が見られるのはとてもロマンチックなことです。
久しぶりに文学の更新ということで、本谷有希子さんの『異類婚姻譚』の感想を書かせていただきます。

第154回芥川賞を受賞した本作。タイトルのインパクトもそうですが、物語の構成も最近の芥川賞とは一線を画す、夫が人外に成っていくという奇妙な物語です。『聊斎志異』を彷彿とさせる奇譚設定と、据えられたテーマの奥深さに夢中になって読んでしまいました。
どうやら「異類婚姻譚」とは割とメジャーなジャンルのようで、Wikipediaによれば「人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称。世界的に分布し、日本においても多く見られる説話類型である。」とのこと。そう考えるとだいぶ範囲が広くなりますね。鵺野先生とゆきめちゃんが結ばれる「地獄先生ぬーべー」とか完全に異類婚姻譚です。
「他人であっても夫婦は似通う」ということを煮詰めて奇譚に仕上げ、特に主人公夫妻が徐々に似通っていく(妻が夫に取り込まれていく)様子は非常に悍ましいものがありました。
思考することを放棄しているような夫に苛立ちを感じながらも、徐々に夫に自分の行動権(生活圏)を奪われ、夫と同化していく妻。夫が揚げ物(主婦的行為)をし始めたシーンなんかはもう忌憚と言うよりホラーのようでしたね。「自分だけ、俺に食べさせてると思ってたんでしょ」という夫の言葉にこれから妻を取り込もうとする意思が窺えます。
そして揚げ物を頬張る妻は夫との「同化」に心地よさを見出し、思考を放棄していく……他人が自分の存在に取って代わっていくのはアイオアディ監督の『嗤う分身』のドッペルゲンガーに通じるような恐ろしさがありますね。
そして最後のシーン、酒を飲み酔った妻に「好きな形になりなさいっ」と言われた「嘗て夫であった何か」は、最終的に山芍薬の花になってしまいます。つまり人的存在から解放され、思考をする必要のない植物になってしまうのです。
人的存在が植物に姿を変える、と言えば太宰治の『清貧譚』が思い出されます。主人公の義弟三郎が、酒を飲んで菊の姿になる描写を覚えてる方も多いのではないでしょうか。
そう思って読み返してみますと、ところどころに『異類婚姻譚』との共通点を見出すことができます。妻となった黄英の家が富をなし、夫である才之助の家を取り込んでいく様は、まさに妻(の屋敷)と夫(の家屋)が「同化」していくプロセスにほかなりません。また、物語の冒頭で気狂いなほど菊にのめり込んでいた才之助が、義弟三郎の才能に圧倒され全く無気力な人間になってしまうのもまた、本作の堕落していく妻が想起されるでしょう。
『清貧譚』は『聊斎志異』の一節を取り上げたものですが、太宰がこの小品を選んだのはやはり普遍的なテーマがそこに隠れているからでしょうか。数百年も前の作品と現代の小説に類似点が見られるのはとてもロマンチックなことです。
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