K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

上田岳弘『ニムロッド』

2019年08月27日 | 文学
今回は久し振りに小説で更新。敬愛する上田岳弘氏による第160回芥川賞受賞作『ニムロッド』です。

仮想通貨をネット空間で「採掘」する僕・中本哲史。
中絶と離婚のトラウマを抱えた外資系証券会社勤務の恋人・田久保紀子。
小説家への夢に挫折した同僚・ニムロッドこと荷室仁。……
やがて僕たちは、個であることをやめ、全能になって世界に溶ける。「すべては取り換え可能であった」という答えを残して。 ……

昨今の時代を象徴するアイコンでもある仮想通貨(暗号資産)を話の軸に置いた小説。
価値が高まり続けていく仮想通貨を、天に向かって建造される「バベルの塔」に準える着眼点が天才的です。

まるで君が住むこの塔のように、荘厳に価値を積み上げた、ビットコイン。それを欲しがらない人間など居ないよ。
上田岳弘『ニムロッド』講談社(2019年)より引用


技術による人類の進化
上田岳弘氏が以前の作品でも何度か描いてきたのが、テクノロジーの進歩による人間の全能化。
全能になった人類はどうなるかというと、彼の作中では「人類であることをやめる」フェーズに移ります。
つまり、エヴァンゲリオンのサードインパクトにも通じるような、人間の同一化ですね。一つの生物にトランスフォームするわけです。

できることがどんどん増えていって、やがてやるべきこともなくなって、僕たちは全能になって世界に溶ける。「すべては取り換え可能であった」という回答を残して。
上田岳弘『ニムロッド』講談社(2019年)より引用

こうした世界に溶けるという表現の根幹にある「人類の同化」は作者が過去の作品でも触れている考え方です。

ホメオスタシスの元に人々をつなぐことで、そこにはもはや個はなく、場所もなく、時間さえなくなるかもしれない。氏が見ているそれは、後に「ほとんど肉の海だ」と非難を浴びもするのだが、この時の氏はもちろん何も知らない。
上田岳弘『太陽・惑星』新潮社(2015年)内『惑星』より引用

過去の小説では全人類がデバイスに接続され、「肉の海」と化すと表現しています。

いずれも、人類が技術により己の領分を越えようとした際に、警鐘を鳴らすような描写です。


代替可能な神的視点
人類の全能化を象徴するものとして取り上げられるのが「バベルの塔」の逸話です。
「バベルの塔」は建造される過程で天界へと迫り、領域侵犯未遂で神の怒りを買うことになります。
そこで、神は建造していた人間たちの言葉を通じなくさせ、意思疎通の取れなくなった人々は散開、神の思惑通り無事に建造は頓挫しました。
イカロスの寓意に象徴されるように、人間は「進化し過ぎてはならない」というのが古くからある考え方です。

対して、この作品の中では塔ではなく仮想通貨が「進化し過ぎている」人間の象徴(無に価値を付与するという越権)として登場しつつも、誰もそれに警鐘を鳴らすものはありません。
神的視点が不在の「バベルの塔」とも捉えられるでしょう。

最終的に要所で挿入される異なる世界線、或いは近い将来の記述では、際限なく価値を生み出す暗号資産がもたらす結末が示されます。
つまり、価値を付与する能力(神殺しの意識)を得たことであらゆるモノに価値を見出せなくなった人間たちは、人間であることをやめる、という選択肢を取るわけです。

できることがどんどん増えていって、やがてやるべきこともなくなって、僕たちは全能になって世界に溶ける。「すべては取り換え可能であった」という回答を残して。
上田岳弘『ニムロッド』講談社(2019年)より引用

代わりに人類は新しい存在、謂わば神的な存在へと近づくために世界に溶けていくことになるのです。
神さえも「取り換え可能」なのですから。


イカロス的不完全性への賛美
しかし、こうした全能性への抵抗をも作中では示唆されています。

「全知だけど、全能じゃないんだ」気が付けば僕はそんなことを言っていた。
上田岳弘『ニムロッド』講談社(2019年)より引用

主人公の台詞。無意識に出た人類の全能性の否定は実にイカロスの寓話的。
人は人にしか過ぎないということに対する肯定でもあります。

作中にイカロスは一切出てきませんが、メタファーとして出てくるのが「ダメな飛行機シリーズ」の紹介。
これは設計の過程で飛行機としての性能を担保できなかった飛行機を、主人公の友人ニムロッドがメールで紹介するものです。
このダメな飛行機が実にイカロス的で、最後に象徴的に出てくる飛行機「桜花」(日本製で片道分の燃料しか積めなかった)が、正にイカロスの寓意となっています。

太陽は正面にある。僕の他には、誰もいない。人間の王である僕以外は誰も。帰りの燃料を積むことができないこの駄目な飛行機ならば、あの太陽まで辿り着くことができるだろうか?
上田岳弘『ニムロッド』講談社(2019年)より引用

イカロスのような太陽に向かって飛ぶ桜花とそれに乗り込む人間の王。
彼はきっと太陽に辿り着く前に墜落してしまうでしょう。何故ならば、人間というのは例え全知であっても全能ではないからです。
その不完全さこそが人間らしさであり、個性にもなり得、それこそ「取り換え不可」なものではないのでしょうか。

暗号資産を軸に技術の進化を唱えながらも、それに併発する人間らしさの欠如に警鐘を鳴らす小説のようにも読めました。


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2 Comments

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Unknown (Unknown)
2019-08-27 09:44:57
面白いやん
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Unknown (tadakeima)
2019-08-27 13:17:46
ありがとうございましん😊
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