K馬日記

映画や美術、小説などの作品鑑賞の感想を徒然なるままに綴っていきます。

終わりのむこうへ : 廃墟の美術史

2019年02月10日 | 美術
珍しく美術で連続更新です。

今回は松濤美術館で開催されていた『 終わりのむこうへ : 廃墟の美術史 』に行ってまいりました。



《展覧会概要》
栄華や文明の痕跡を残しながら崩れ落ちようとする建造物や遺跡。「廃墟」は西洋美術のなかで、風景画の一角にくりかえし描かれていました。18世紀から19世紀にかけて、興味深いことにいわゆる廃墟趣味が流行すると、「廃墟」は絵画の主役の地位を確立していきます。
「廃墟」を愛でること、描くこと-この美学は、近代に日本の美術のなかにも伝播しました。廃墟の画家として名を馳せた18世紀のユベール・ロベール、版画家ピラネージから、19世紀のコンスタブル、20世紀のアンリ・ルソー、マグリット、デルヴォー、そして日本の江戸時代から近現代の画家たち、亜欧堂田善、藤島武二、岡鹿之助、元田久治、大岩オスカール、野又穫まで、廃墟の主題は描き継がれているのです。
なぜ人々は、流れる時間のなかで滅びた、またはいつか滅びてしまう、遠い昔のあるいは遠い未来の光景に、惹きつけられるのでしょう。
この展覧会では、西洋古典から現代日本までの廃墟・遺跡・都市をテーマとした作品を集め、これら「廃墟の美術史」をたどります。
(松濤美術館公式サイトより)


美学的概念である「ピクチャレスク」の象徴である廃墟趣味を過去から現代まで遡る展示で、非常によくまとまっておりました。

「ピクチャレスク」とは所謂現在の「インスタ映え」のようなものです。「絵画的な」つまり「絵画映え」するシーンを「ピクチャレスク」と呼んだんですね。

そしてその映えるジャンルの一つが廃墟だったわけです。Instagramにも映えるジャンルはいくつかありますよね、夜景だったりグルメだったりブランドものだったり。
なぜ廃墟だったのかというと、当時古代ギリシャの再評価や遺跡の発見など、一つのムーブメントにもなっていたから。また、それらに美的価値を付与した、パイオニアの存在も大きいでしょう。それが、版画家のピラネージです。


ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ《『ローマの景観』:シビラの神殿、ティヴォリ(背後から)》(1761年)

彼が所謂インフルエンサーのような役割を担い、廃墟は一つの大きい美的ジャンルとして成長していくことになります。


シャルル・コルネリス・ド・ホーホ 《廃墟の風景と人物》17世紀

そして、その幻想性を感じさせる廃墟趣味は、「物体としての美」から「概念としての美」へと変化していきます。
つまり、架空の空間としての、何かを象徴するものとしての廃墟趣味ですね。デ・キリコの作風などわかりやすい例でしょう。
そして、今回最も痺れたのがポール・デルヴォーの作品群。当時の現代的な女性と廃墟を組み合わせたハイブリッド、この対象性のあるギャップがたまりません!思わず見惚れてしまいます。


ポール・デルヴォー《海は近い La Mer est proche》(1965年)

それ以外にも多くのシュルレアリストたちが、廃墟というアイコンを使用した幻想性あふれる作品を生み出しています。

そして、そうした廃墟趣味は今にも通じており、今回の展示では現代アーティストらの作品も多数展示されていました。
「概念的な美」のまま、それは「仮想都市」としてではなく現実の世界を荒廃させる方向への変容していきます。
渋谷と東京駅を荒廃させた元田久治さんの作品が印象的でした。彼は、他にもシンガポールのマリーナ・ベイ・サンズや中国の広州タワーなど、繁栄を象徴するような都市を廃墟に仕立てているよえです。


元田久治《Indication : Shibuya Center Town》(2005年)


元田久治《Foresight:Marina Bay Sands, Singapore》(2013年)
※今回の展示作品ではありません。

「荒廃した都市」が示すようなディストピアは、やはり昔から人類を魅了して止まない主題とも言えるでしょう。
それはアンティークやレトロ趣味、ヴィンテージの価値、ダメージ加工など、物体としての美はもちろんのこと、原風景を思い出させるソフトな魅力もあるからではないでしょうか。

『レディ・プレイヤー1』や『ウォーリー』、『チャッピー』など、映画においても廃墟趣味の枚挙に暇はありませんね。


アンドリュー・スタントン監督『ウォーリー』(2008年)


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