二日間のワークを通して感じたこと
愛し方はそれぞれ千差万別・・・それを受け止める側が『気付く』とか『受け止められるか』なんだなあ・・・・
問題は大なり小なりある。そのパーツはみんなおんなじ数だけ有る。
そのパーツのどの部分を大きくし執着するかはその人の育成歴が大きく影響するだけだ・・・人はみんな同じである
愛おしく感じる・共同体を感じる・
そんなことを感じた
どんなワークをしたか?
それは参加してのお楽しみ!
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自分たちが受けた講座のほかにも他の部屋で開催されていた講座の人たちの
『人が変わる』ということを目の当たりにした
ある講座を受けた人々の経験を聴く機会に人々の様子を見てである
おどおどして目の座らなかった35くらいに見える『いかさぬ、男?』は?
年相応芯の入ったばっちりな様子の40歳に見える『堂々とした頼もしい男』という感じ
20そこそこの若者だが今迄泣くことを禁じていて
泣き始めたら止まらない・・・カルビーのかっぱえびせんのようだ(♬やめられない・とまらない)
アフターで飲み屋に移動しいろいろ話していたら
さよならを言わずに帰った友に激怒していた男性が
実はその怒りの下に実はさみしさを隠していたと私は感じた
そのことを正直にフィードバックして怒りのもとについて話を進めた
その男性は周りのみんなからさみしさを感じるよとか
友達に期待していたように伝わって来るよとか言われながら
「さみしいなんて男として言えない!」と言っていたが
「さよなら言わずに帰ってしまったことは残念だ」という表現ならできるなあ・・と言い始め
時間の経過と会話を進めていくうちに
「あいつがさよならしないで帰ったのはさみしいぞ!こら!」と言い
「さみしいなあ」とつぶやくまでになった
人生の中で大学時代に『さみしい』といってしまったらあまりにも辛すぎる経験をしていたのだと話してくれた
心の底に仕舞っている感情を自分自身が認めることから癒しが始まるのだろうなあ
何かが変わった
が・・何かが解らない
ただ厳しく怒っている人に
今までなら怒りだしたら怖がって仕舞うのだが
今夜は同じように怒りながら寄り添えたような感じ
人は何かに執着しているようだけど
自分だけが特にそうだという事ではなく
自分だけがという事ではなく
皆持ち合わせているものだ
だから愛おしいと思う感じが
怒りを表現している人も受け取ることが出来たのかもしれない
はっきりしてる変化は
また一段と成長したなあと思う自分がいるという事だ
嬉しい!!