ひと月程前から南の部屋で孫たちが基地創りを始めた
あきもせず来たら絶対する
ほとんど毎日なのだが・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
結果を先に言うと
國分康孝氏の本に書いてあったのでまさにその通りだったということだ
何がどうかというと
心理療法の遊戯療法というのとほぼ同じ状態だったということだ
遊び道具の置いてある部屋で遊ぶがはじめは許可を求める・判断を求めているが
そのうち平気でいろいろなものを持ってきて中に組み立てたりなにやかやして遊ぶようになる
と書いてあったがまさにその通り
子供は自分の判断で創ったり壊したり自由に遊ぶ中で
自分の感情表現を中に出してゆく
思っているようにできないから癇癪を起す孫
やっとできた!と喜ぶや
犬や弟・妹に崩されていく・・そして起こり散らかす・・泣きわめく
ふてくされる・・・・・
それが極端に出てきた
心を自由に行動を自由にしたものの
上手くいかないときの表現がいまいちしにくいという特徴があったが浮き彫りになった
鬱積していたら沈んでいたものが表面化することもあるからそうかなあと
他者と遊ぶことで摩擦も起こる
小さな社会生活の縮図を基地つくりの中で味わうわけである
が・・
遊び相手・関わる相手は自分より弱者である弟・妹・犬であるから
怒りちらかしえらそうにいい・・・・
いじめの根源のような感じを感じていた私は
そういう場面を聴きつけると
観察しながら
ちょこっと刺激していた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
またその間にはジグソーパズルを創っていてピースを机から落としたら犬が食べてしまった
泣いて膨れる
3度目なので起こりうることとして告げてあったのだが・・・・
「泣いて膨れていてピースがでてくるだろうかねえ?
一つない難しいのしたら力が付くし最後絵をかいてはめることもできるよ
ただ泣いていたら犬がまた食べちゃうこともある
出来ないと泣いているよりは
どうやったら完成するか・うまくいくか考えるほうがたのしいとおもうけどなあ」
と言ってみた
今迄より切り替えも早くなり
そうやってやっているうちに
『なくしてしまったピース1つだけなら送ります』
というはがきが入っていることに気が付く
そしたらもう悲しんでいられない
とっとと作ってどこが無いかを知ってはがきを早く出すことだ!と気分を変えることが出来た
この気分は母方母方の父と受け継がれてきていたようだ
けれど私はそれは効果的ではないと感じていて
小さい間に何とか修正できればなあと思っていたのだ
いじめられるといいながら
学校へ行きたくないといいながら
ついて行った日に
いじめているという子と話をしたら
孫も似たようなことをやっているという訴えがあった
強いものから弱いものへその連鎖を感じた日もある
どんな場所でも自分の心の自由と行動の自由を知っていて
そう振る舞えること
強いものへも勇気を出してかかわること
ができたらいいなあとおもって
関わり続けてきたからこそ
基地つくりの時に出てきた感情の激しさに何かを感じたのだ
毎日毎日出し続けて
泣いたり怒ったり
さらに肺炎で休んでいるからとわが家へやってきてバタバタ動き咳が出るから静かにしろと言っても
少し良くなると静かにするわけはないので考えた
胡椒のガリガリするホルダーというのか壊れてしまっていたので
粒胡椒が付きたいけど面倒だった
5歳の孫にすり鉢でたたいて擦らせたことを思いだし
9歳の兄貴のほうに
「胡椒作ってくれる?」と聴いたら
「てっちゃんが出来たんやし僕にもできるわ!」と気良く引き受けてくれた
私の考えの中に
『長く続けていると途中でこぼれたりうまくいかないとすりこぎを思いっきりたたきつけてすり鉢をwってしまうかもしれないなあ』
とよぎった
たたかないように言っておくか?
いやその感情が出てきて
思いっきりたたきつけてすり鉢が割れるほうが良いかもしれない・・・・(その経験が対人関係に強さをもたらすのでは・・と)
そう感じて
一緒に飛び散らぬようにガーゼで抑えたりしながら
あと少し・・と言うときに
ゴン!!
思いっきり突いた!!
見事すり鉢は期待通り割れた!!
『あ!』びっくりした孫
そんなことになるとは思っていなかった(思っていたことと否ことになったわけだ)
『だいじょうぶか?怪我してへん?』
『うん』
『お友達でなくてすりばちでよかったなあ。
もしお友達に思いっきりゴン!ってやったら友達が壊れたかもしれんなあ』
『・・・・・・・・』
『気をつけような。最大の力を出して思いっきりやったら壊れるってことがっわかったなあ。
お友達の目やったら見えへんようになったかもしれんし、頭やったらけがで済んだらいいけど
死んでしまうこともあるんやしなあ・・・』
実はこの子は非常に従順な子であるが故の爆発タイプと言ってもよかったかもしれない
(交流分析だと光秀タイプであると感じていた)
そんな経験の後
測ったかのように
5歳の弟が
丁寧に木のおもちゃをタオルにくるんでお兄ちゃんを
コン!とたたいた!
いつもなら
「なにすんねん!」と報復をするのだが・・・・
「いたーー!!たたいたらいたいやんけ!やめろ!」といってこらえていた
すぐの手が出る反応はその時はなかった
「びっくりやなあ。タオルにくるんでいてもいたかったなあ。さっきすりこぎでなんか感じたし我慢できるようになったんかなあ」
「タオルに包んでもいたいえ」と弟に言うと
「ごめんね」
「うん」という流れになった
弟にもすり鉢の話をしたが割れているのを見せて話すほうがよかったなあと振り返る
こんな生活の中で壊れる経験をしたり
包丁で使いけがをしたり痛みが解るようになることも
心を育てるときにはだいじなことなんだろうな・・と感じている
そんなこんなしているうちに
ごめんが絶対口から出ないお兄ちゃんから
自分が悪いなあと思ったら
否を認めたら(自分が思う事とは違う・・否の話もしてきた)
「ごめんね」とストレートにすっと言えるようになってきた
この子はそれが出来ないばかりにずいぶんこじれていたのだった
思い通りにいかないこと
それでもチャレンジし続けて
基地を大きく広げていること
その遊びの中で何かを会得していったのかもしれない
そして嫁(孫の母)が
幸せの心理学という本が私の部屋に有るのを見て
「読みたいねんけど貸してくれる?」と言って昨日持って帰った
今朝
「私読んで自分を見つめなおしている。言っているようで言ってへんよ。って言われていたけど
言える人と言えへん人があるという事と・何で言えへんのかなあと考えたわ。
思っている以上にええかっこしいやって、わかったし・なんでそうなんかもみえてきているわあ」
と自分の本当の姿を客観的にとらえられるようになってきているようである
ばあちゃんから嫁そして孫
そんな風に伝わっていく幸せ
そんな場所であり続けるし
広がって行って
笑いのこぼれる
一緒に泣ける
考えが違っても普通にディスカッションできる
怒ってもいいし
悲しんでもいいし
感情豊かに暮らしてゆきたい
実現するよと
ぱらぱらと本をめくっていくように見えてきている
ロングテールというか
二次曲線というか・・・
ウフッツ!ウフッツ!
いい感じだなあ・・・
あきもせず来たら絶対する
ほとんど毎日なのだが・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・
結果を先に言うと
國分康孝氏の本に書いてあったのでまさにその通りだったということだ
何がどうかというと
心理療法の遊戯療法というのとほぼ同じ状態だったということだ
遊び道具の置いてある部屋で遊ぶがはじめは許可を求める・判断を求めているが
そのうち平気でいろいろなものを持ってきて中に組み立てたりなにやかやして遊ぶようになる
と書いてあったがまさにその通り
子供は自分の判断で創ったり壊したり自由に遊ぶ中で
自分の感情表現を中に出してゆく
思っているようにできないから癇癪を起す孫
やっとできた!と喜ぶや
犬や弟・妹に崩されていく・・そして起こり散らかす・・泣きわめく
ふてくされる・・・・・
それが極端に出てきた
心を自由に行動を自由にしたものの
上手くいかないときの表現がいまいちしにくいという特徴があったが浮き彫りになった
鬱積していたら沈んでいたものが表面化することもあるからそうかなあと
他者と遊ぶことで摩擦も起こる
小さな社会生活の縮図を基地つくりの中で味わうわけである
が・・
遊び相手・関わる相手は自分より弱者である弟・妹・犬であるから
怒りちらかしえらそうにいい・・・・
いじめの根源のような感じを感じていた私は
そういう場面を聴きつけると
観察しながら
ちょこっと刺激していた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
またその間にはジグソーパズルを創っていてピースを机から落としたら犬が食べてしまった
泣いて膨れる
3度目なので起こりうることとして告げてあったのだが・・・・
「泣いて膨れていてピースがでてくるだろうかねえ?
一つない難しいのしたら力が付くし最後絵をかいてはめることもできるよ
ただ泣いていたら犬がまた食べちゃうこともある
出来ないと泣いているよりは
どうやったら完成するか・うまくいくか考えるほうがたのしいとおもうけどなあ」
と言ってみた
今迄より切り替えも早くなり
そうやってやっているうちに
『なくしてしまったピース1つだけなら送ります』
というはがきが入っていることに気が付く
そしたらもう悲しんでいられない
とっとと作ってどこが無いかを知ってはがきを早く出すことだ!と気分を変えることが出来た
この気分は母方母方の父と受け継がれてきていたようだ
けれど私はそれは効果的ではないと感じていて
小さい間に何とか修正できればなあと思っていたのだ
いじめられるといいながら
学校へ行きたくないといいながら
ついて行った日に
いじめているという子と話をしたら
孫も似たようなことをやっているという訴えがあった
強いものから弱いものへその連鎖を感じた日もある
どんな場所でも自分の心の自由と行動の自由を知っていて
そう振る舞えること
強いものへも勇気を出してかかわること
ができたらいいなあとおもって
関わり続けてきたからこそ
基地つくりの時に出てきた感情の激しさに何かを感じたのだ
毎日毎日出し続けて
泣いたり怒ったり
さらに肺炎で休んでいるからとわが家へやってきてバタバタ動き咳が出るから静かにしろと言っても
少し良くなると静かにするわけはないので考えた
胡椒のガリガリするホルダーというのか壊れてしまっていたので
粒胡椒が付きたいけど面倒だった
5歳の孫にすり鉢でたたいて擦らせたことを思いだし
9歳の兄貴のほうに
「胡椒作ってくれる?」と聴いたら
「てっちゃんが出来たんやし僕にもできるわ!」と気良く引き受けてくれた
私の考えの中に
『長く続けていると途中でこぼれたりうまくいかないとすりこぎを思いっきりたたきつけてすり鉢をwってしまうかもしれないなあ』
とよぎった
たたかないように言っておくか?
いやその感情が出てきて
思いっきりたたきつけてすり鉢が割れるほうが良いかもしれない・・・・(その経験が対人関係に強さをもたらすのでは・・と)
そう感じて
一緒に飛び散らぬようにガーゼで抑えたりしながら
あと少し・・と言うときに
ゴン!!
思いっきり突いた!!
見事すり鉢は期待通り割れた!!
『あ!』びっくりした孫
そんなことになるとは思っていなかった(思っていたことと否ことになったわけだ)
『だいじょうぶか?怪我してへん?』
『うん』
『お友達でなくてすりばちでよかったなあ。
もしお友達に思いっきりゴン!ってやったら友達が壊れたかもしれんなあ』
『・・・・・・・・』
『気をつけような。最大の力を出して思いっきりやったら壊れるってことがっわかったなあ。
お友達の目やったら見えへんようになったかもしれんし、頭やったらけがで済んだらいいけど
死んでしまうこともあるんやしなあ・・・』
実はこの子は非常に従順な子であるが故の爆発タイプと言ってもよかったかもしれない
(交流分析だと光秀タイプであると感じていた)
そんな経験の後
測ったかのように
5歳の弟が
丁寧に木のおもちゃをタオルにくるんでお兄ちゃんを
コン!とたたいた!
いつもなら
「なにすんねん!」と報復をするのだが・・・・
「いたーー!!たたいたらいたいやんけ!やめろ!」といってこらえていた
すぐの手が出る反応はその時はなかった
「びっくりやなあ。タオルにくるんでいてもいたかったなあ。さっきすりこぎでなんか感じたし我慢できるようになったんかなあ」
「タオルに包んでもいたいえ」と弟に言うと
「ごめんね」
「うん」という流れになった
弟にもすり鉢の話をしたが割れているのを見せて話すほうがよかったなあと振り返る
こんな生活の中で壊れる経験をしたり
包丁で使いけがをしたり痛みが解るようになることも
心を育てるときにはだいじなことなんだろうな・・と感じている
そんなこんなしているうちに
ごめんが絶対口から出ないお兄ちゃんから
自分が悪いなあと思ったら
否を認めたら(自分が思う事とは違う・・否の話もしてきた)
「ごめんね」とストレートにすっと言えるようになってきた
この子はそれが出来ないばかりにずいぶんこじれていたのだった
思い通りにいかないこと
それでもチャレンジし続けて
基地を大きく広げていること
その遊びの中で何かを会得していったのかもしれない
そして嫁(孫の母)が
幸せの心理学という本が私の部屋に有るのを見て
「読みたいねんけど貸してくれる?」と言って昨日持って帰った
今朝
「私読んで自分を見つめなおしている。言っているようで言ってへんよ。って言われていたけど
言える人と言えへん人があるという事と・何で言えへんのかなあと考えたわ。
思っている以上にええかっこしいやって、わかったし・なんでそうなんかもみえてきているわあ」
と自分の本当の姿を客観的にとらえられるようになってきているようである
ばあちゃんから嫁そして孫
そんな風に伝わっていく幸せ
そんな場所であり続けるし
広がって行って
笑いのこぼれる
一緒に泣ける
考えが違っても普通にディスカッションできる
怒ってもいいし
悲しんでもいいし
感情豊かに暮らしてゆきたい
実現するよと
ぱらぱらと本をめくっていくように見えてきている
ロングテールというか
二次曲線というか・・・
ウフッツ!ウフッツ!
いい感じだなあ・・・