私の結婚生活は29年間だった
その間にどんな関係だったのかと振り返ると
勇気をくじかれるような言葉や態度を降り注いでもらったような気がする
安心感は無く
急がなきゃという駆り立てられる思いと
怒られるという恐怖が絶えず
心臓をバクバクさせていた
私自身の存在の否定や無視する態度は
悲しく辛い体験として残っている
穏やかに愛し愛されたという感覚は皆無に近いかもしれない
心理学を学ぶまでは「存在の否定や無視する態度」をとる人は
まともな人間のする事じゃないと思っていたが
否定も無視も私が存在するからできることであり
それら「すべて関わり」なのだということを知った
私自身は「関わってもらえていない」と感じていたのだが
それは違うらしい
けれど楽しく嬉しいものではなかった
どちらかというと欲しくないもので
それは欲しくないといってもくれるのであった
欲しいかかわりはこんなものがほしいと言ってもなかなかくれることはなかった
そんな29年だった
離婚しその後そんなかかわりの人とは関わることを避けた
関わる人は勇気づけしてくれる人や
存在を認めてくれる人と関わることにした
勿論愛情を持って否定的なことを言ってくれる人もかかわってきた
今は穏やかに幸せを感じる
それは穏やかにお互いの存在を認め違いも認めているからだろう
嬉しいとき楽しいときばかりでなく
辛いときも悲しいときも心の傍にいてくれたと感じることが出来るからか
そんなことを感じてその関わりをする人がいてくれることは幸せなことだ
心が近いということは嬉しい事だ
距離でもなく時間の長さでもなく
関わる関わり方の質だ
どんなことを感じ何をめざし
喜怒哀楽を共感しつつ
共に歩む
それぞれが自立(律)している
トレーニングを一緒している仲間も同じである
ほんとうにそう思う