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法要にて和尚さんの話

2013-06-03 00:50:34 | 心理学
亡くなった人のことを考えて泣くのも良いが

忌明けというのは

己の心を明らかにすることだと

それはこの世に何を一石投じるのか

何を残すのか

生きるということを故人とつながることで

確りと感じて考えることだ

というようなお話だった

自己のパワーの強い人は自分が何かを残すけれど

普通の人はだれかに覚えておいてもらうようなことがあるか?

与謝野晶子の歌が紹介されました

「劫初(ごうしょ)より造り営む殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」

世の初めから人類が営々として築きあげてきた文化的殿堂があるとすれば、

自分も釘一本なりとそれに打ち込み、その営みにあずかりたい、

しかし、それは錆び釘ではなく、黄金の釘でありたいという意味合いだそうです。

光った釘を打つのには絶えず磨きておく必要があるという事


人がこの世にうまれたかぎりは、何か自分の存在を残したい

自分は無用の存在でなく、自分の人生は自分なりに意義があったと振り返りたい

そんな心境が込められていると和尚が話してくださった

丁度、自分が今 スランプのような状態にあると感じているからか

一段と心にしみた

何かの役に立たねばならぬ・・・と思いがちな私が

何も役に立たぬこともありうるし

今の私の母のように施設で静かに寝たきりで人のお世話になっていたとしても

私にとって母の存在は生きていてくれるだけで大きい

けれど与謝野晶子の歌を聴くと

ほんと!!そうだ!ピッカピカの釘を一つ!と思ってしまう

物ほど知らずという事かも・・・

青年よ大志を抱け

ばあちゃんも夢を持て!

ビジョンを持ちそれを追い続ける

やっぱりそういう人生を送りたいと思う

そしてお経の中に「無碍・有碍」という言葉が出てきた

この無碍はマズローの欲求の段階の5段階目自己実現のなかに細かなことが書いてあったが

その中に無碍という言葉があったのだ

妨げなく自由で伸び伸びしていることだそうだ

キリストや仏や神様が天から降りられるときに

何も遮るものが無くまっすぐに太陽の光が遠くまでさすようなそんな感じ

2年もこの意味がもう一つ解らなくて引っかかっていたことが

今日の法要でお経の経典を開いて聴きながらいたのでつかめた言葉だった

彼女の為にもカウンセラーになろうと強く思った事なのだから

どんなことがあった・・有碍・・だとしても

私自身は無碍だという気持ちで取り組んでいくだけなのだろうな・・

出来ることから・・・繰り返す

人がどうこう言っても最終自分がどうするかなのだから

自分が自分の一番の味方でありつつ

メタ自己で客観的にしっかり自問自答することだ

ほんとうの気持ちを確り見つめて生きようと重ねて心に刻んだ日だった

翔ちゃんの乗っていた赤いバイクを弟のアキちゃんが乗って帰った

男所帯の殺風景な庭になってしまった

少し・・ずいぶんさみしいが

ついでに庭も掃除して夏の庭つくりにしようと思う