FBで知った
同級生・その娘・軽音楽部だった人が組んでいるバンドがいくつか
12:30~16:00
14:00頃に駆けつけて上手い事、同級生の演奏中だった
聴きはじめはそうでもなかった
が、聴いて行くうちに演奏が、声が心にしみてくると
走馬灯のように思い出されてきた
1年の入学式の時の母のうろたえ
夏には心臓肥大で安静を言い渡され人生どうでもいいと思い始めてきたこと
演劇コンクール・仰げば・・・
70年安保の時にデモをするにあたってヘルメットをかぶるかぶらないで論争になった
赤・黒・白確かにあった。。。。。
生徒会でするのだからノーヘルで参加するべきだ!と
1年生ながら発言したことを覚えている
そんな思い出の講堂
木の階段を遅刻しそうであわてて登って行った事
数学が嫌いでブスッとしながら降りて喫茶店へサボりに行った事
それらは自分の懐かしい
その後、息子が定時制に入りPTA の会長をし壇上から入学の挨拶をしたあの時
生徒たちがほとんど下を向いていたが
挨拶が進むにつれ全員が顔を上げ話を聴いていたこと
4年間の夜の学びを朝から働きながら迎えた卒業式
1年から2年生へは50%
2年から3年へも50%
3年から4年へは100%
の 進級率
だからこそ、その卒業式が感慨深かった
息子の4人のうち2人が定時制を一人は全日制を卒業した
私含めて鴨沂びいきだ
その思い出がいっぱい詰まった講堂だった
そんなこんなを思い出したら涙が止まらなくなった
最後のバンドは元気のいいロックだった
もっとみんなではじけるのかと思いきや・・・今の若者はおとなしいのか?
途中スローな曲もあり・・・これまた心に響く!
なんだかとっても包まれた感がありまたまた泣く
演奏している彼女の舞台に込めた思いが伝わったのか
感動の涙をありがとう!
私には青春は無いと思っていたがそこに存在していた
これからは私の心に残っていくのだなあ
講堂一つにとってもそうであり
トイレ・美術室・理科室・・・
そして図書室
死と直面しながら送った3年間
母の思いの進路と私の学力の差で苦しんだ3年間
明暗色々・・・
そう思うと・・・壊してもそれに似ているような造りだったらよいなあと
かすかに期待をする
ビフォア―アフターでしていたように
木の階段だけ一部でよいから残しておいてほしいという切なる思いは大きくなった
あーー役所の方にはこの気持ちは分かってもらいないのだろうかねえ