平らな深み、緩やかな時間

51.沖縄県立芸術大学に行ってきました③

あっという間に、10月も終わろうとしています。沖縄県立芸術大学での二日間の講義の続きです。ぐずぐずしているうちに、ずいぶんと昔の話になってしまいました。ちょっと端折って急ぎましょう。
前回は、現代美術の流れをどれくらい知っているのか、また、知っていることと、実際に見ていることとは、ちょっと違うぞ、という話でした。
その続きですが、話はすこし関連します。


2.「モダニズムの絵画」が示す、現代絵画の平面性について
 グリーンバーグ「モダニズムの絵画」が示す、現代絵画の平面性とは、どういうことか、考察する。

 <テキスト資料参照>
「モダニズムの絵画」 前半部分参照

※ここで参照するのは、主にこんな部分です。
「モダニズムは、単に芸術と文学だけでなくそれ以上のものを含んでいる。今のところそれは、我々の文化において本当に活きているもののほとんど全てを含んでいるのだ。それはまた、偶然に起きた歴史上、きわめて目新しいものである。西洋文明は、自分自身の諸々の基盤をかえりみて問いなおした最初のものではないが、そうすることを最も突き詰めていった文明である。私は、モダニズムを哲学者カントによって始められた自己―批判的傾向の強化、いや殆ど激化というべきものと同一視している。彼が批判の方法それ自体を批判した最初の人物だったがゆえに、私はカントを最初の真のモダニストだと考えているのである。」
「しかしながら、モダニズムのもとで絵画芸術が自らを批判し限定づけていった過程で、最も基本的なものとして残ったのは、支持体の不可避の平面性を強調することであった。平面性だけが、その芸術にとって独自のものであり独占的なものだったのである。支持体の囲み込む形態は、演劇という芸術と分かち持つような制限的条件もしくは基準であった。また色彩は、演劇と分かち持っているものと同じくらいに、彫刻とも分かち持っている基準もしくは手段であった。平面性、二次元性は、絵画が他の芸術と分かち持っていない唯一の条件であったので、それゆえモダニズムの絵画は、他に何もしなかったと言えるほど平面性へと向かって行ったのである。」

そして、スライドで次のような事例を紹介しました。

<絵画の平面性の事例>
ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian、1872 - 1944)
オランダ出身の画家。ワシリー・カンディンスキーと並び、本格的な抽象絵画を描いた最初期の画家とされる。
○スライド資料2  ダイフェンドレフト       1905
○スライド資料3  樹Ⅱ              1912
○スライド資料4  灰色の樹            1912
○スライド資料5  花盛りのりんごの樹       1912
○スライド資料6  コンポジション第3番(樹)   1913
○スライド資料7  コンポジション第6番      1914
○スライド資料8  赤と黄と青のあるコンポジション 1921

 アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869 - 1954)
フランスの画家。フォーヴィスム(野獣派)のリーダ-的存在であり、野獣派の活動が短期間で終わった後も20世紀を代表する芸術家の一人として活動を続けた。「色彩の魔術師」と謳われた画家であった。
○スライド資料9  シルクハットのある室内     1896(27歳)
○スライド資料10  逆光のなかの静物        1899
○スライド資料11  赤い絨毯のある静物       1906
○スライド資料12  青い窓             1913
○スライド資料13  コリウールのフランス窓     1914
○スライド資料14  石膏像のある静物        1924
○スライド資料15  ジャズ・シリーズ「橇」     1947

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso, 1881 - 1973)
スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られる。
○スライド資料16  ラ・コルーニャの村娘      1895(14歳)
○スライド資料17  青い肩掛けの女         1902
○スライド資料18  ガートルード・スタインの肖像  1905-06
○スライド資料19  女の顔             1909
○スライド資料20  マンドリンをもつ女       1911
○スライド資料21  ポルトガル人          1911(ジョルジュ・ブラック)
○スライド資料22  オルガ・コクローヴァの肖像   1917
○スライド資料23  子供たちの食事         1953

※さらに、次の資料を確認しました。
イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724 - 1804)
ドイツの哲学者、思想家。プロイセン王国出身の大学教授である。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらす。フィヒテ、シェリング、そしてヘーゲルへと続くドイツ古典主義哲学(ドイツ観念論哲学)の祖とされる。近代に最も影響を与えた人物の一人。

カントの批判哲学
従来、人間外部の事象、物体について分析を加えるものであった哲学を人間それ自身の探求のために再定義した「コペルニクス的転回」は有名。彼は、人間のもつ純粋理性、実践理性、判断力とくに反省的判断力の性質とその限界を考察し、『純粋理性批判』以下の三冊の批判書にまとめた。「我々は何を知りうるか」、「我々は何をなしうるか」、「我々は何を欲しうるか」という人間学の根本的な問いがそれぞれ『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』に対応している。カントの批判とは否定ではなく吟味をさす。
(「Wikipedia」より抜粋)

ここで注意しておかなくてはならないのは、カントの「批判」という意味です。「カントの批判とは否定ではなく吟味をさす」ということですから、つまり「よく考える」というほどの意味です。したがって、グリーンバーグがいうところの「モダニズムを哲学者カントによって始められた自己―批判的傾向の強化」とは、自己を否定する、ということではなくて、自己についてよく吟味する、考える、ということでしょう。絵画は自己を吟味した結果、「平面性だけが、その芸術にとって独自のもの」だ、ということになったのです。そして、スライドを見ながら、「モダニズムの絵画は、他に何もしなかったと言えるほど平面性へと向かって行った」ことを、みんなで検証したわけです。
もちろん、これはグリーンバーグの解釈であって、モダニズム絵画の平面性について他の解釈があっても一向にかまいません。ですけど、私の知る限りこのグリーンバーグの解釈が、もっとも明快でわかりやすいものです。

●ポイント
 ・グリーンバーグの示す、絵画の平面性について、把握できましたか?
・グリーンバーグはどうして、モダニズムの絵画が平面性と向かったと考えたのでしょうか?
 ・自分だったら、モダニズムの絵画の平面性について、どう説明しますか?
 

3.ジャクソン・ポロックとクレメント・グリーンバーグ

ここで、グリーンバーグとポロックに関する、一通りの説明をしましたが、これはたいしたものではありませんので省略します。
そして、この項のポイントとして、次のようなことを学生の皆さんに投げかけました。


●ポイント
 ・グリーンバーグの「フォーマリズム」批評とは、どんな批評でしょうか?
・「フォーマリズム批評」以外に、美術について考察するのには、どんな方法がありますか?
 <例>
  図像学
絵画・彫刻等の美術表現の表す意味やその由来などについての研究。イコノグラフィー。
美術史(学)
絵画・建築・彫刻・工芸品など造型芸術の歴史を研究する学問。
美学
美学とは美、芸術または趣味に関する哲学の一領域である。伝統的に美学は美とは何かという美の本質、どのようなものが美しいのかという美の基準、美は何のためにあるのかという美の価値を問題として取り組んできた。
  ・あなたは、どんなふうに絵について語りますか?
・今までに、美術について、どんなタイプの本を読んだことがありますか?

※さて、ここで例題です。

<例 題>
 今日の最後に、次の問いを考えてみてください。

①下の3枚の絵の違いを、どう説明しますか?
○スライド資料23-1  エジプト    メンナの墓 第18王朝  BC1350頃  (左)
○スライド資料23-2  ジオット    ユダの接吻         1305    (中)
○スライド資料23-3  ラファエルロ  アテナイの学堂 1509-10  (右)


②下の絵の解説は、どんな見方から絵を語っているのでしょうか。
○スライド資料23-4  ボッティチェリ  ヴィーナスの誕生 1483

ボッティチェリは、ルネサンス期のイタリア人の画家です。
 海から現れるというヴィーナスの物語は、美の神聖なシンボルです。バラの花に囲まれている風の神ゼフュロスとクロリスが、岸辺へと運んでいるところです。右端は果樹園のある岸辺です。ギリシャの理想郷ヘスペリデス、黄金のリンゴの園です。
 彼の描くヴィーナスは、首が長かったり、肩が極端に落ちていたり、左腕が不自然だったりと、マザッチョが到達した正確さに欠けています。ボッティチェリが大切にしたかったのは、写実的な、科学的な正確さではなく、どこまでも優美で繊細な愛の女神です。(「ヴァーチャル絵画」のサイトより一部引用)

※ちなみに②の問題ですが、最初の一文は美術史的な解説だと言えるでしょう。次の段落は図像学的な解説、最後の段落はフォーマリズム的な解説だといってよいと思います。私たちは絵について語るとき、自由に語っているようで、何かの形の中で語っていることが多いようです。もしも専門的に絵について語る立場にあるのなら、そのことを自覚しておいた方がよいと、私は思います。
そんな問題提起をして、一日目の講義を終えました。



さて、ここまでの話とはまったく無関係なのですが、実は私は須賀敦子(1929 – 1998)という作家が好きで、亡くなって15年以上がたつこの時期に、再び彼女について考える機会を得ました。
そのきっかけが二つあって、ひとつは次の本が最近、発行されたことです。
『須賀敦子の方へ』 松山 巖 (著)  新潮社
もう一つは、次の展覧会が開催されていることです。
『須賀敦子の世界展』 10月4日(土)~11月24日(月・振休)神奈川近代文学館
https://www.kanabun.or.jp/te0173.html
松山の本の方は、まだ読み終えていませんが、展覧会は見に行きました。展示会場がもう少し広くて、ゆったりしているといいなあ、とは思いましたが、文学館の建物は横浜山手のすばらしい場所にあります。天気のいい日に散歩がてら、訪れるとよいと思います。
須賀敦子の本を読んで、キリスト教信仰の知らなかった側面に触れて驚いたこと、そして語学を通じてヨーロッパの文化の深いところに到達した知識人の記録を目の当たりにしたことなど、彼女の本から学んだことを、再度思い出している今日のこの頃です。
そして何よりも文章が美しくて、読みやすい…、理屈ではなくて、スーッと胸にしみてきます。
そんな余韻に浸っていると、ブログを書くことも、つい億劫になってしまいます。

とはいえ、また書きます。

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