橘田尚之の作品展示に関するメモです。
橘田については、昨年の9月に、gallery21yo-jで開催された個展の折にも、このblogで取り上げました。よかったら参照してください。
橘田尚之の作品を見ると、大きな会場で彼の立体作品が並んだところを見てみたい、とおそらく、誰もが思うことでしょう。今回、それが少し実現しました。山梨県立美術館の「やまなしの戦後美術」という四人の作家による展覧会です。そこで橘田尚之の作品が、天井が高くて広い美術館の一室を使って展示されています。この展覧会は11月のはじめまで開催されているので、山梨に立ち寄る機会があったら、ご覧になることをおすすめします。
(http://www.art-museum.pref.yamanashi.jp/index.html)
この展覧会は、「四人の革新者たち」と副題が付されていて、橘田尚之、松田冨彌、河内成幸、深沢軍治という山梨ゆかりの作家たちの作品が並んでいます。版画、陶芸、絵画と作品形態も経歴も異なる作家たちなので、四人の作家による個展の競演、と言った方がよいのかもしれません。会場も、それぞれ一部屋ずつが割り振られていて、橘田の作品は入口の近くの変則的な形をした部屋にあります。2006年から今年までの平面作品、立体作品、その中間にあたるレリーフ状の作品など、合わせて20点ほどが展示されています。
部屋に入って、まず目に入るのは、三点の立体作品です。「登攀者2011」「登攀者(風穴)」を両脇において、中央にひときわ大きい「登攀者2014」が立っています。両脇の作品も、画廊で見ると十分な大きさだと思いますが、美術館の広い部屋の中で「登攀者2014」と並んで立つと、まるで脇侍のような印象を受けます。
その中央の「登攀者2014」を見てみましょう。
上部がイソギンチャクの触手のように上空に開かれていて、そこからあたかも天空の空気を取り込んでいるように見えます。取り込まれた空気は、らせん状にうねりながら下部の大地へと運ばれていきます。そして、大きく根を張っているであろう地下茎へと吸い込まれていくように感じます。あるいはその逆に、大地からせり上がってくるエネルギーが、うねりながら上空へと放たれていく、というふうにも見えます。
橘田の立体作品はアルミ板でできた軽やかな中空構造ですから、作品の中心へと視線を集約する構造にはなっていません。私たちの目はその表面を滑るだけなのですが、だからといって容易に視線をはずすことはできません。時には小さく、時には大きくうねる形にいざなわれて、私たちは作品の表面をなめるように見てしまいます。そのとき同時に、表面と表面のはざまにできた空白の形も見ることになり、いつしか作品の周囲の空間すら視線に取り込まれていくことに気が付きます。視線は作品の表面を滑りながらも、やがてその周囲の空間も意識の中に加えて、伸びやかに遊びまわるのです。橘田の作品が巨大な作品にありがちな、モニュメンタルな重厚さとは無縁であったとしても、単なる軽い作品ではないのは、そういう独自な構造によるものです。
今回は、橘田の近年の平面作品をまとまった形で見る機会でもあります。
それらが広い壁面に並んでいる様子を見ると、平面作品においても橘田の興味が、描かれた(作られた)形状と、そのはざまの空間との呼吸するような相互関係にあることが、よくわかります。というよりも、描かれた形状は実ははざまの空間であり、何も描かれていない部分が、実は意識の中で描かれている架空の形なのかもしれません。
これとよく似た感じを、私はマチスの切り絵作品や、俵屋宗達(生没年不詳 - 慶長から寛永年間に活動)の「舞楽図」などを見たときに、経験したことがあります。「舞楽図」になじみのない方もいるのかもしれませんが、この屏風の不思議な魅力は描かれた個々の形にあるのではなく、その配置の全体像にあります。何も描かれずに広がる金箔の空間が、とにかく絶妙なのです。
(http://www.salvastyle.com/menu_japanese/sotatsu_bugaku.html)
今回は特に、例えば「通り抜けるを見る」の中央の形状が、「舞楽図」の屏風の右端の人物(採桑老)を反転させた形のように見えて、仕方がありませんでした。橘田作品の形状から、マチスの作品を連想することはこれまでもありましたが、俵屋宗達を直接思い起こしたのは今回が初めてです。なぜ、そうなったのかはわかりませんが、個人的には新たな発見をしたような気分になり、とても楽しめました。
展示された平面的な作品を年代順に追っていくと、2006年のレリーフ状の作品、2008年の青い作品では、まだ画面全体を描く感じ、手を入れていく感じがあります。それが2009年の数点の作品では、描いた線や形を白やグレーで塗りつぶしているところが見られます。一度描いた形を余白として還元していく、という作業のようにも見えます。そしてやがて、描いた形と余白の形との相互の関係へと移行していく・・・・、と解釈するのは早合点かもしれません。作家の意識の変化について考えるなら、もっとしっかりと検証しなければなりません。
それから、橘田作品のユーモラスなタイトルも気になります。作品全体の有機的なイメージと、そのタイトルが、どこかで関連しているような気がします。
これらのことは、今後、もっと考察していくと面白いと思います。個人的にも、もう少し時間をかけて考えたいですね。
美術館では、展覧会のパンフレットが販売されています。展覧会全体のパンフレットをセットで買うこともできるし、個別で買うこともできます。
「橘田尚之」のパンフレットには、展覧会で展示されている作品以前の資料写真も掲載されていて、初期の橘田の作品から現在までの流れが、丁寧な解説によって確認できます。ミニマル・アートの時代に若い頃を過ごした橘田が、いかに独自の表現を形成していったのか、などの分析も書かれていて、なかなか貴重な資料だと思います。(※「橘田尚之理解のための試論/高野早代子 山梨県立美術館学芸員」)この資料をベースにして、さらに新たな展開をしていく橘田の作品が今後も継続的に展示され、語られていくことを望みます。作家だけがどんどん高みへと登りつめていくのではなくて、私たちの意識も追いついていかなくては、せっかくの作品も本当の意味で成立しなくなってしまいます。まずは興味をもって見続けること、語り続けることが大切だと思います。
それからささやかな工夫ですが、会場の小さなディスプレイで、橘田のアトリエ(だと思われる場所)から、作品が会場に設置されるまでの映像を見ることができます。梯子や中2階(3階もあったかも)などがあるアトリエは、橘田のイメージを形にするための工場のようで、作家の創作の内側を垣間見るような気がします。機械を使った大掛かりな設置作業も、なかなか興味深いものがあります。単なる作業の記録かもしれませんが、作業する人たちへの指示などの中に、意外と作家の思惑が含まれている場合があります。どうせなら、動画としてちゃんと見せたらどうでしょうか。作品理解の一助になると思います。
以上、あわてて書いた文章ですが、とりあえず早く報告したいので、こんなところで・・・。
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