平らな深み、緩やかな時間

149.教育格差の報道、『ミュージアムの思想』松宮秀治について

はじめに、最近見た教育格差に関する報道についてふたつ取り上げます。
ひとつめは朝日新聞の教育欄の記事です。
〇朝日新聞 2021年1月26日 『「変わらぬ学力」、改革は適切だった?』
国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果を分析した記事です。日本の順位は3~5位と高順位を維持しているものの、早稲田大学・松岡亮二准教授は「家庭の社会経済的地位による学力の差が縮んでいるようには見えない。」「教育行政が対策として挙げるのは授業改革だが、国際学力調査の前提には家庭環境の違いによる学力格差がある。社会が生んで格差の埋め合わせを学校だけに求めるのは無理だ。」と分析しています。ちなみに文科省のコメントは「家庭環境や地域に左右されず、全ての子に確かな学力を身に付けさせることは重要なことだと認識している。」とあります。
申し訳ないけれど、教育現場にいると文科省はそれをどこまで「認識している」のか、と問い質したくなります。「認識している」のに現状ではまったく無策なまま、というのはどういうことなのでしょうか。子供たちの将来を考えると、これはほとんど犯罪行為だと思います。
参考として「国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の調査結果に関する萩生田文部科学大臣コメント」のなかで「新学習指導要領の着実な実施により、主体的・対話的で深い学びの視点からの授業改善や、言語能力、情報活用能力育成のための指導の充実」を進めていきます、と言っていることをご紹介しておきます。
https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/detail/1422960_00001.htm
さらっと書いてありますが、そもそも「主体的・対話的で深い学び」を実現することが、どれほど大変なことなのか、そのためにはどれほどの労力と時間をかけなくてはならないのか、彼には想像もできないのでしょう。ましてや「家庭環境による学力格差」によって遅れを取ってしまっている子供たちにとって、「主体的」にものごとを深く考察するためには丁寧で辛抱強い指導が必要なのです。ところがこのコメントの後ろの方に「少人数によるきめ細かな指導体制の計画的な整備の検討」と控えめに書いてあるだけで、これは順序が逆です。「主体的・対話的で深い学び」の前に、まずは「少人数によるきめ細かな指導体制」を確立すべきなのです。「整備の検討」などに時間をかけずに、とにかく早急に実施しなければ、日本の教育は崩壊してしまいます。
そのことを裏付けているのが、次の報道です。

〇NHKクローズアップ現代+ 2021年2月3日 『コロナ禍の高校生~ルポ“課題集中校”~』
―番組の説明―
「親から暴力を受けた」「生活費のためアルバイトを強要される」「介護疲れで眠れない」…。 長引くコロナ禍が、高校生たちの生活を脅かしている。中でも大きな影響を受けているのが、学習や家庭環境などに困難を抱える生徒が多く通う、“課題集中校”。神奈川の県立高校のあるクラスでは、昨春に入学した生徒の4割がすでに中退。教師たちは個人面談などで生徒の悩みをくみ取り、生活状況の改善も含めた必死の支援に奔走している。“課題集中校”の現実を見つめることで、日本における教育格差や、コロナ禍における教育問題を考える。

ここで取り上げられている高校は、私の勤務校とさほど遠くないので、生徒同士が中学時代の友人ということもよくあるようです。そしてここでは「コロナ禍」を契機として生徒の現状が番組で取り上げられていましたが、本質的にコロナ禍以前から継続している教育の大きな問題です。取材されていた生徒の悲惨な環境が気の毒でなりませんが、それさえもテレビで放映できるケースを慎重に選んだのだろう、と思います。学校が福祉的なセーフティーネットになっている状況が訴えられていましたが、その網の目にまったくかからずに辞めてしまう生徒も多いのです。
ここでも文科省は、学校が福祉的な役割を果している現状を理解している、とコメントしていたようですが、それならば、なぜその役割に必要な教員や専門職員を十分に配置しないのでしょうか。先ほどの事例でも確認したように、「深い学び」などという「施策」を打つよりも、まずは必要な措置を講ずるべきです。いったいいつまで、困難な状況を放置し、懸命に生きようとしている生徒と、それを支えようとしている教員を見殺しにし続けるのでしょうか。
ちなみに、この番組で使われている“課題集中校”という言葉は、私の周囲ではなじみのものです。“課題集中校”と呼ばれる高校は、神奈川県の各地域にあります。私も教員生活のかなりの部分を“課題集中校”で過ごしてきました。ですから、“課題集中校”は一部の特殊な高校ではありませんし、そこに通う生徒たちも特別な生徒ではありません。ごく普通の生徒たちです。むしろ特殊なのは、一部のエリートと呼ばれる生徒たちなのかもしれません。経済的な心配もなく、親の保護の下で大学の教育を受けられる生徒たちに比べ、“課題集中校”に通う生徒たちの多くが、若いうちからむき出し状態の社会と向き合わなくてはなりません。私はそんな彼らから多くのことを学びましたし、また、懸命に生きようとしている彼らに対して尊敬の念を抱くことも多いのです。彼らが経済的にも、精神的にも豊かな人生を送ることができるように祈るばかりです。
そして美術科の一教員としては、そんな彼らが芸術作品に興味を持ってくれたら、そして社会人になってから、余暇の時間に美術館や博物館でくつろぐゆとりを持ってくれたら、言いようもないほどうれしいです。しかし、そこに至るには小さくない距離があるようで、どうしたら美術館や博物館が多くの人たちにとって身近な場所になるのか、なかなか良い答えが見いだせません。美術科の教員として、生徒たちが美術に触れることの楽しさを感じてもらえるように心がけるのはもちろんですが、それだけでは社会に出てから美術に興味を持つまでに至りません。そもそも、美術館とは何なのか・・・?

ということで、今回取り上げるのは前回に続き、松宮秀治(1941 - )という研究者の著作『ミュージアムの思想』です。実はこの『ミュージアムの思想』を読むと、「どうしたら美術館や博物館が、多くの人たちにとって身近な場所になるのでしょうか」などということが、いかに無邪気な問いなのか、ということがよくわかります。
そもそも「美術館」と「博物館」を何の根拠もなく言い分けていることが、日本の特殊な事情なのだ、ということを私たちはふだん、忘れています。「museum(ミュージアム)」という言葉を辞書で引けば「博物館; 記念館; 美術館; 展示館.」などと出てきます。つまり「ミュージアム」という大きな概念を「博物館」と訳すなら、そのなかの美術品として分類されるものを展示するのが「美術館」なのです。正確には「近代美術博物館」などと言わなければならないのですが、日本にはそのような「展示館」という概念がなかったので、明治以降に西欧文化が入ってくる中で、そのときの都合で「博物館」と「美術館」を分極化してしまったのです。松宮は、この分極化が「ミュージアム」という概念がはらむ問題点を見づらくしている、と言っています。その問題点をえぐり出したのが、この『ミュージアムの思想』なのです。
この「ミュージアム」にあたるような展示館が日本にはなかった、ということを意外に思う方もいらっしゃるかもしれません。例えば奈良・平安時代から「正倉院」という宝庫が日本にもありました。この「正倉院」の宝物と、ルーブル美術館や大英博物館の収蔵品とはどこが違うのでしょうか。日本に限らず、どこの国にも宝物館はありますが、基本的にそれらは自国の宝物、あるいは交易によって集められたものが保管されているところです。それに対して西欧の博物館や美術館は、彼らが価値を認めたものを集め、それを開示することで西欧の価値観を広く知らしめるための場所なのです。松宮はつぎのように解説しています。

ミュージアムとは西欧のみが創出しえた、またその本質から見ても徹頭徹尾西欧的なものである。ミュージアムとはその機能から見れば、西欧の近代が新たに発見した価値観念、つまり「芸術」「歴史」「科学」といった観念によって、新しい「聖性」を創出し、その聖性のもとで新しい「タブー領域」を確定していくものであり、そしてそのもっとも基本的な特徴は、この聖性の領域とタブー領域をたえず拡大し、巨大化させていくことである。この機能を作動させていくのがコレクションの制度化である。コレクションの制度化とは、コレクションに社会的な公認の価値を認め、政治的な目標にしていくことであり、西欧以外の文化圏ではコレクションの制度化をなしえたところは存在しない。
(『ミュージアムの思想』「序章 ミュージアムとは何か」松宮秀治著)

こう書かれても、まだピンとこない方も多いと思います。私たちにとって美術館や博物館はすでになじみのものであり、それらが持っているコレクションは公開されるべきものですから、そこに何の疑問もありません。しかし、私たちの身近なところでも、例えば次のような経験をしたことはないでしょうか。
私は大学時代を名古屋で過ごし、奈良や京都のお寺や宝物館に、よく仏像や屏風絵、襖絵などを見に行きました。たいがいは点々と散らばっているお寺を巡り、一日がかりでいくつかの名品を見る、という感じの行程でした。ところが実家に帰省した折に国立東京博物館(いわゆる「とうはく」)を訪ねると、日本の各地の名品が揃っているではありませんか。仏像展や山水画展などというと、何日かかっても見ることが出来ないような日本中の名品が一堂に集まってきます。それもお堂のなかの暗がりではなく、明るい展示室(といっても照明は制御されていることが多いのですが・・・)で、しかも普段見ることが出来ない仏像の後姿を見ることができることも少なくありません。足が棒になるよりも先に、あまりに名品が集まっているので精神的に一杯いっぱいになってしまうほどの贅沢な経験です。そんな充実した気持ちのなかで、ふと疑問に思うことがあります。「待てよ、こんなふうに仏様を明るいところで四方八方から眺めてよいものなのか?」とか、「建物に付随しているはずの襖を、展示会場のガラスケース越しに絵画のように見ていいものなのか?」というふうなことです。とても文化的な鑑賞活動をしているのに、不思議なことに何かそこに乱暴なもの、不謹慎なものを感じてしまうのです。この『ミュージアムの思想』を読み進めると、このようなふとした気づきのようなものが、意外と重大なことだったのだと知らされます。

また本書全体の叙述で明らかにしていくことであるが、ミュージアムという思想が「攻撃性」と「暴力性」をもつものであるということは、ミュージアムを成立させている科学、技術、文明、歴史、文化、芸術という西欧近代の創出した諸価値そのものが、それぞれに西欧中心の価値体系として世界の一元的整序を最終目標としているということである。そしてそのミュージアムの基本となっている「コレクション」という行為に公的価値を賦与し、コレクションという行為を単なる「ものを蒐(あつ)める」という私的領域に閉じ込めずに、ものを蒐めることによって世界を所有するという政治的行為に転換させてきたこと自体も、ミュージアムの思想が攻撃性と暴力性と不可分に結びついたものであることを意味する。ただしここでいう攻撃性、暴力性とは具体的な暴力行為を伴うものではなく、むしろ病原菌のようなそれである。
よく大英博物館やルーブル美術館に代表される西欧の巨大ミュージアムに対して、「帝国主義の産物」という批判がなされるが、たしかにその館蔵品コレクションがいかに形成されていったかを見ていくと、戦争、侵略、略奪、搾取の濃い影がつきまとっていることも事実である。しかし、ミュージアムという思想の持つ攻撃性、暴力性とはこのような可視的な実力行使というものではない。それはいうなれば、病原菌やガン細胞の増殖、肥大化のようなもので、加害者、被害者の関係を意識させずに、「世界の一元化」の過程に全人類を巻き込んでゆくことである。それがもっとも端的なかたちで現れるのが、「自然保護」「文化財保護」の場合である。かつて浜に打ち上げられた鯨は地元住民たちにとって、海が贈ってくれた貴重な食糧であった。しかし今もしこれを食べてしまえば、いやそれを沖にかえす努力を怠るだけでも、どれほど多くの批判を浴びせられるかは想像に難くない。また、アフガニスタンの空爆で死亡、負傷した一般住民はかわいそうであるがやむを得ない犠牲者とされ、加害者責任は棚上げされるが、「世界遺産」たるバーミアン石窟の仏像の破壊行動は人類文化に対する許されざる犯罪となる。
(『ミュージアムの思想』「序章 ミュージアムとは何か」松宮秀治著)

貴重な作品を美術館や博物館が収集する、という当たり前の活動が「攻撃性と暴力性と不可分に結びついている」と言われると、え、そうなの?という驚きと、ああ、やっぱり、という気持ちの両方を感じてしまいます。
美術館、博物館の暴力性といえば、ここにも書かれている大英博物館やルーブル美術館の古代コレクションを想起してしまいますが、ここではそのことではなくて、コレクションという思想そのものが問題なのだ、とその暴力性の根深さを指摘しています。私たちは古代エジプトや古代ギリシアの貴重な品々がヨーロッパの美術館にあることを疑問に思う程度には、ヨーロッパの帝国主義の弊害を理解しています。ヨーロッパの国々が戦争に勝利した戦利品として、あるいは他国に派遣した発掘活動の研究者がその成果として、もともとそれらがあった場所から自国に持って帰ってしまったことを、私たちは知っています。しかしその一方で、それらのものが私たちに公開されて容易に見ることが出来ること、あるいはその発掘によって美術史的な研究が進められていることにメリットも感じているのです。松宮はそのことが、西欧近代が推し進める「世界の一元化」を見えにくくしている、と主張しています。
さらに松宮がここで例示している「自然保護」「文化財保護」についていえば、それのどこが悪いのか、と抵抗を感じる方も多いでしょう。バーミアン石窟の破壊映像は、いまでもその痛ましさが頭を離れません。しかしそのことを非難しただけでは、世界はまったくよくならないことを、その後の現実が示しています。なぜなのか、といえば私たちはいつの間にか西欧近代の側から世界を見るようになってしまっていることに、その一因があります。私たちが目にしている世界はニュートラルなものではなくて、西欧近代の側から見た非対称的な世界なのです。この本は「ミュージアム」を素材として、そのことを徹底的に教えてくれます。
さて、そのような貴重な著作なのですが、この本の緻密な「ミュージアム」の歴史的分析を読むのは、ちょっとしんどいです。私は高校時代からまったく勉強しなくなった人間で、とくに「世界史」に至っては廊下で出会った世界史の先生に「きみ、このままではこれだよ・・・」と一本指を立てられたこともありました。もちろん、成績が一番だよ、ということではなくて、「1」(成績不認定)になるよ、という注意でした。ですから、ヨーロッパ世界が〇〇家と××家の勢力争いの結果、こうなった・・・、という類の話は基礎知識がないのでよくわからないのです。したがって、ここではこまかな歴史的な経緯を飛ばし読みして、ハープスブルク家の次のような解説から読むことにします。

これまで見てきたように、イタリアの人文主義運動によって始められた古代遺物と古写本蒐集はアルプスを越え、北方の諸王朝にも多大な影響を及ぼしていくが、それをもっとも効果的に政治手法に転嫁させていくのは、マクシミリアン一世に始まるハープスブルク家の蒐集事業であった。この蒐集事業はそれ自体が単独で行われたのでは決してなく、学芸保護、芸術保護というかたちで学者、詩人、音楽家、美術家の宮廷への召集という「知の集中化」という現象と平行していた。こうしたなかで、官僚機構の整備に伴い、その実務を担った法学の知識人たちの社会的地位は上昇し、彼らは王の助言者、あるいは法律顧問官(レジスト)となり、またのちには官僚機構の中枢に位置を占めるようになる。才能ある美術家はギルドの拘束を逃れ、より自由な宮廷美術家の道を選び、想像力に富んだ詩人や劇作家は、王権讃美の宮廷祝祭の叙事詩や劇を書き、あるいは宮廷祝祭全体の総合プロデューサーの役割を請け負った。人文主義者は古代文献を翻訳し、碑文やメダル、貨幣の刻銘を解読した。また彼らは宮廷のため古代遺物の蒐集を行い、図書館の管理にも携わった。
ハープスブルク家の君主たちは、イタリアの新興中小君主国の君主たちの居城や教皇庁の庁舎に蒐集室の整備拡大をうながし、コレクションの体系化を促進させていく。また彼らは人文主義者を動員し、自らをローマの名門貴族の末裔に位置づけ、さらには自らを古典古代の叡智の継承者、流布者に仕立てあげることで、単なる武力的権力の保持者という存在から、支配の正当性を保証された権威の保持者へとそのイメージを転換させていくようにしむけていく。だが単にイタリアの君主たちや教皇をしてコレクションの政治的利用を覚醒させただけでなく、このような政治手法を巧みに自己のものとしていったのがハープスブルク家の君主たちであったといえる。
(『ミュージアムの思想』「第一章 コレクションの制度化」松宮秀治著)

このように、王侯貴族の帝国主義的な欲望によってコレクションは体系化され、肥大化していったのです。彼らは自分たちが「古典古代の叡智の継承者」であるとうそぶき、その正当性を主張しました。このことから、コレクションという思想がそもそも帝国主義的なルーツを持つことが了解できたと思います。しかし、そうはいってもいまの私たちは違います。17世紀ごろまでの帝国主義者たちが自分たちの欲望によってはじめたコレクションですが、現在の私たちはそれとは異なる地平に立っており、帝国主義とは無関係である、と言いたくなります。しかし松宮はそうではない、と書いています。確かに上記の時代のあと、王侯貴族はその権力を失い、信用を失墜し、帝国主義的な思想は根絶したと思われていますが、実はそうはいかないのです。次の解説を読んでください。

帝国理念は、ヨーロッパ人たちが考えているように、現実的な政治思考の増大によって、その理念的裏付けを失って、信用を失墜させ、単なる文学的幻想に堕したのではない。その逆である。それは「幻想」や「ユートピア」となることによって、よりいっそう大きな力をもってきたのである。普遍主義的な帝国理念が、地域主義的な政治実践を通じて生み出された政治理論、つまり立憲主義的な主権の制限や主権在民の思想によって、その存在根拠を奪われていったのは確かである。しかし、その根拠を奪われたのは、象徴体系や寓意体系によって理論構築された「神話的」(異教的)な帝国理念であって、帝国理念そのものではない。エヴァンス自身がいっているように、「帝国理念とは、・・・後続の世代がそのつど解釈し直しうる観念であり、19世紀の最終的な変化に至っても生き延びえた観念であった」。しかし、エヴァンスもイエイツもこの帝国理念を文字通り、ヨーロッパ史の内部だけに通用する政治理論の政治学的な主題としてのみ捉えてしまった。たしかに、すでに述べたように、ヨーロッパ内部においては、それはつねに「観念」にとどまった。しかし、非ヨーロッパ圏においてはヨーロッパの帝国理念は、観念ではなく、まさしく現実そのものであったし、いまもそうであり続けている。それは「文明の帝国主義」である。なぜ、ヨーロッパの内にあっては、それが観念であったのに、外にむかっては現実となったのか。それは帝国理念がまさしく「共同幻想」となり「ユートピア」となったからである。
共同幻想やユートピアほど強力な作用力をもつものが他にあるだろうか。政治理念の範囲なら、その帝国理念はそのイデオローグたちの操作範囲内にとどまりうるだろうが、それが共同幻想やユートピアにまで成長すると、それはひとり歩きを始めるばかりでなく、自己増殖し、拡大し、捜査範囲の外に出てしまう。クンストカンマーの内に取り込まれた帝国理念は、絶対主義王政の政治理論の崩壊後も決して死滅してしまうことはなかった。それは国民国家時代におけるミュージアムの思想においても生き延び、というより、いっそう強力なものとなり、今日のユネスコのミュージアム法の規定化にある「世界遺産」の思想の中にも脈々と継承されているのである。
(『ミュージアムの思想』「第二章 コレクションと帝国理念」松宮秀治著)

ちなみにKunstkammer(クンストカンマー)は陳列室のことだそうです。それからロバート・ジョン・ウェストン・エヴァンス(1943 - )はイギリスの歴史家で、フランセス・イエイツ(フランシス・イェイツ、Frances Amelia Yates, 1899 - 1981)は、イギリスの女性の思想史家です。有名な詩人のイエイツではありません。
さて、このように西欧の理念は「文明の帝国主義」として、連綿と続いています。このことが、同じ著者による『文明と文化の思想』、『芸術崇拝の思想』という観点を変えた二書のテーマであり、貫かれている問題意識なのです。言ってみれば「ミュージアム」は「文明の帝国主義」を作動させる重要な装置であり、その存在は決してニュートラルなものでも、心休まるものでもありません。それゆえに、美術館や博物館が何を収集し、何を保管するのか、その保管しているものをどこまで公開するのか、などといった基本的な問題で論議をよんだり、国によって考え方が違ったりするのも、起こるべくして起こっている問題なのです。
はじめに取り上げられたバーミアンの石窟の問題を考えてみると、これは美術品を宗教や政治から切り離そうとする西欧近代の考え方と、それらが密接につながっているイスラーム世界の考え方が衝突する、とても複雑な問題なのだとも言えるのです。日本でいえば、天皇陵の発掘を認めるのかどうか、といった問題が同じような価値観の衝突の例としてあげられるでしょう。西欧的なミュージアムの思想からいえば、発掘して調査したうえで適切に保存し、それを公開するのが当たり前で、調査にすら制限をかけるという考え方は理解しがたいでしょう。
さて、この本の中ではこれ以外にも、西欧近代がどのような過程で「芸術」を神聖なものとしていったのか、あるいは自然科学の知見や発見がどのように分類されていったのか、などについて考察された上で、それらが「ミュージアム」に取り込まれていく様を解説しています。
その中でも18世紀ドイツの美術史家、ヴィンケルマン(Johann Joachim Winckelmann, 1717 - 1768)が近代彫刻の概念を形成していった、ちょっと込み入った事情や、それらがどのように美術館に蒐集されていったのかについて触れている部分が興味深いので、すこし抜粋してみましょう。

歴史はときおり奇妙な逆転を見せることがある。最も古いタイプの思想家が最も新しい思想の開拓者となるという逆転である。その典型的な例がヨーハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンである。彼は処女作『ギリシア美術模倣論』と代表作『古代美術史』をもって、時代の「古代」観を根底から変更させた。つまり、当時ギリシア、ヘレニズム世界、ローマと漠然と総称されていた古代世界を純正ギリシア主義の立場から、ギリシアのみが代表する「古典古代」とその他の「古代」を厳密に区分し、古典古代の美術に対して生成、発展、盛期、衰退、模倣という様式区分を与え、古代美術の美的価値の序列化を完成させた。
彼はまた彫刻を美術の最上位に置く美術理論を構築したほか、「裸体」(男性の)美を再発見し、美術史的には「新古典主義」の理論の開拓者となった。また彼はギリシア美術の研究を通じて、「美術」とは宗教や政治というものに従属するものではなく、それ自体が人間の「人格形成」(教養)の資となるものであるという信念をもつことで、「近代」の芸術観成立の突破口を開いてくれたのである。
(『ミュージアムの思想』「第三章 ミュージアムの思想」松宮秀治著)

たとえばヨーロッパの美術における人物像は「着衣象」というかたちで表現される。それに対しギリシアのそれは原則、「裸体像」で表現される。「着衣像」とは地位、身分、富という虚飾のなかで人物を表現するのに対し、裸体像はそれらをすべて排除し、人物をその「人間性」そのものとしてみる表現方法であると彼は考える。皇帝、教皇、君主たちの像はすでに見てきたようにその権威、権力、威信を象徴する品で身を飾り、また不自然きわまりないポーズで表現されるため、人間の内面性という自然から遠ざかり、「人間性」を失ったものとして描かれる。それは美術の側から見れば、美術が政治や宗教の道具となって、それへの隷従を強いられているためである。
美術が外部からの干渉を排し、美術家が自己の内面の要請だけに忠実であるなら、自己の人間性を発見するだけでなく、表現の対象となる人物の人間性をも発見できる、というのが彼の考えである。これは単なる美術理論というよりは、新たな市民社会のイデオロギーから宮廷社会と貴族社会のイデオロギーを批判し、社会変革につながる美術理論の提出という側面をもったものであった。したがって、美術は宮廷社会の価値観を代弁することをやめ、自ら新しい人間性の理想を提示していく方向に歩み出さなくてはならない。美術品はもはや社会の装飾品たることをやめ、制作者と鑑賞者の双方の人間性を高めあう「教養財」とならなければならない。王侯貴族もこれまでのような権威と威信の道具としての美術品の蒐集をやめ、いっさいの虚飾を捨て、ただ人間性のありようそのものを追求したギリシア彫刻を蒐集すべきである。
そしてその蒐集品は、新たにそのために準備された神殿に安置され、一種の畏敬の念にも似た気持ちで、魂の安らぎと精神の活用化を求めて対峙されるべきものとならなければならない。それは近代の「芸術」思想を作り出す思想でもあるが、同時に「美術館」という新しい型のミュージアムを創り出す思想でもあった。
(『ミュージアムの思想』「第三章 ミュージアムの思想」松宮秀治著)

ヴィンケルマンによって古代ギリシアの美しい裸体彫刻が高く評価され、逆に彼と同時代の装飾過多な着衣象が排除されるようになったことが書かれていますが、この影響で古典的なものが近代と直結し、当時の最新のものが時代に取り残されていく、という逆転現象が起こってしまいました。私の教わった西洋美術史でも、見るべき彫刻作品は古代ギリシアとルネサンスと近代というふうに点在し、その間の作品はほとんど無視されてしまっていたようでした。私の印象としては、中世のプロポーションがアンバランスな彫刻は古代ギリシア彫刻の遥か後方に、あるいはバロック期のベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini, 1598 - 1680)らの絢爛豪華な彫像はまるでなかったかのように扱われていました。しかし、中世の木彫の彫刻にもすばらしい作品がたくさんありますし、わが国に目を移せば木彫作品に独自の歴史と発展があって、近代の文脈にそぐわないからといって取りこぼすには、あまりに惜しいと思います。
ヴィンケルマンの影響の功罪は、いろいろと研究されているようですが、例えば彫刻における色彩の問題は近代彫刻においてほとんど考えられていませんし、彫刻の素材の質感も彫像の形体に従属され、それ自体が表現として前面に出ることはありませんでした。いろいろな意見があると思いますが、私はこれを残念なことだと思っています。現代彫刻において立体作品の色彩や素材感がモチーフとなっているような作品が出てきましたが、それは中世の彫刻や日本の木彫作品の色彩や素材の扱い方とは、また違ったコンセプトのものです。
私は西欧の美術史やモダニズムとは違った形で彫刻を見直すことで、新たな美術の地平が開かれるのではないか、と考えているのですが、その際にはヨーロッパの中世や日本の彫刻がこれまでとは違った輝きをもって見えて来るのではないか、と思っています。現在、色彩を持った彫刻作品が意外と多いのですが、美術雑誌などのジャーナリズムが取り上げる作品はやけにポップなものであったり、文学的でメランコリーな雰囲気を漂わせたものであったりして残念です。たしかにそういう派手なテーマの作品はわかりやすくてピックアップしやすいのだろうと思いますが、もう少し、近代彫刻とは別な伝統を踏まえた地道な作品が出てこないものか、と期待しているところです。
若い彫刻家の方、もしもこれを読んでいたら、素材が石であれ、木であれ、金属であれ、土であれ、自分の感性を信じて、ぜひ近代彫刻を乗り越えていただきたいと思います。またそれとは逆に、ポストモダニズムの喧騒が過ぎ去ったこの時代だからこそ、モダニズムをちゃんと突き詰めた作品も貴重なものだと思います。がんばってください。
すみません、ちょっと話がそれました。「ミュージアム」のことに戻りましょう。
松宮は、現在における「ミュージアム」の課題も含めて、これからの方向性を示唆しながらこの本を次のように結んでいます。

西欧におけるミュージアムの思想とは、「科学」と「技術」という観念系の価値によって自然を支配し、「歴史」「文化」「芸術」という観念系の価値においては精神を支配する、つまり西欧的な価値の共有を強制する思想である。そしてこれらの諸観念の価値を育てたのは西欧近代の「市民」社会のイデオロギーであるが、このイデオロギーは政治的には「民主主義」と「自由主義」を、経済的には自由競争を原則とする「資本主義」の思想を分かちがたく結合しているのである。
「ミュージアム」は、静寂が支配し、教養人に魂の安らぎを与え、信仰心にも似た美的畏敬の念を与える芸術作品だけによって満たされている空間ではない。「ミュージアム」とはたとえそれがほんの一部にすぎない「美術館」であっても、その見せかけの静力学的背後にとてつもない衝動力を隠し持った動力学的な装置である。「欲望」の解放を原理とする西欧のミュージアムの思想を、いったん受け入れてしまえば、後発国は西欧以上の「欲望」の解放を推し進めなくてはならない。この「欲望」とは政治用語に置き換えれば、自由主義あるいは民主主義の根底を支える情念のことであり、経済学的にいえば資本主義経済を支える自由競争の情念である。ミュージアムの思想の文脈でいえば、伝統的な国家宗教の「聖域」を残しておかないという意志である。もし、どの後発国であってもこの思想の中途半端な受け入れ方を続けていれば、「ミュージアムの思想」の側からか、あるいは「伝統的な聖性」(国家宗教)側のいずれかから攻撃されることになるであろう。
さらに、中途半端な制度だけの外形的模倣は、「公開性」の原則の思想をねじ曲げ、「保護」を非公開と秘匿にすり替え、公共圏の成立を妨げ、政治や経済という他の社会の基盤にまで秘密主義の風潮を育ててしまうことになる。そこでは「公共」という概念は「公共のため」ではなく「おおやけ」というお上が恩寵を下賜するものの意味になる。したがってそこでは公共のミュージアムというものは、国民や人類の共有財産という本来の位置づけを失い、省庁間の権益の争いのなかで、一種の「私物化」されたものとなってしまう。さらにまた「権益」といううま味が減少すると、それはうち捨てておかれるか、「民間」事業とされる。もし西欧近代のミュージアム制度を非西欧圏が導入しようと図るなら、それが国家事業であること、しかも国家の「大事業」であることを学ばなくてはならないだろう。そうでないなら、ミュージアムの思想そのものを正面から否定し、それを可能にする倫理の構築にむかうべきであろう。
(『ミュージアムの思想』「終章 ミュージアムの思想の拡がり」松宮秀治著)

なんだか結びの部分に来て、ちょっと生臭い感じの話になってきました。2019年に愛知芸術文化センターや名古屋市美術館で開催された『あいちトリエンナーレ2019』のことも頭をよぎります。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4324/index.html
美術館という場所が心安らぐところではなくて、さまざまな欲望と問題が渦巻くような場所である、というのが現実なのだろう、と私も思います。私は一般から広く作品を公募して、審査したうえで展示し、一部の作品に賞を授ける、という公募展が、ある意味では美術館の生臭さの縮図ではないか、と思ってしまいます。前回取り上げた『芸術崇拝の思想』の末尾においても、著者は「礼拝システム」「顕彰システム」として、現在の展覧会のあり方に疑問を投げかけました。確かに、いまの展覧会の運営や展示のあり方に批判されるべき問題があるのだと思いますが、それではほかにどんな方法で広く公平に作品を公募できるのか、あるいは展示できるのか、そして継続的に展覧会を運営できるのか、と聞かれると妙案はありません。ですから批判するのは自由ですが、その先の責任を持った提言をするのは難しいです。

さて、今回を含めて、松宮秀治の著書を三冊、駆け足で見てきましたが、近代「文明」の抱える問題、「芸術」崇拝が孕んだ問題、「ミュージアム」という制度の問題、いずれも近代、つまりモダニズムが抱える問題でもあります。おそらく、私たちの文明観、芸術観を変えることなしに、美術館だけ理想の場所にすることはできないでしょう。それは大きな問題であって、今すぐにどうにかできることではないのですが、その一方で私たちは、今このときにも生きて、作品を制作し、それを表現として多くの人に見てもらいたいと願っています。すべての矛盾が解消する時間を待っているわけにはいかないのです。
ですから、今の私たちにできることは、私たちが土台にしている「文明」も「芸術」も、近代が作り出した問題だらけの思想であること、そして「ミュージアム」が矛盾をはらんだ場所であることを知っておくことでしょう。そのうえで、日々表現を継続しながら、その矛盾を問い質し、良い方向に向かっていくしかないのです。
だからといって、がっかりすることはありません。美術館がどんなに矛盾をはらんだ場所であっても、心安らぐような展覧会も、あるいは心躍るような作品も、現実にはたくさんあります。その展示場所は理想的な空間ではなくても、悪いことばかりではないのです。それで十分とは言いませんが、結局のところ、私たちは表現活動や批評、鑑賞などのすべてをつうじて、西欧近代を問い直していかなくてはならないのです。表現者がそういう問題意識を持っているかどうか、それはどんな展示場所にあっても透けて見えてきます。私はそういう苦悩を抱えた表現者を応援したいです。
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