平らな深み、緩やかな時間

209.アニメ『ロング・ウェイ・ノース』の色彩から連想すること

はじめに事務連絡です。
私の4月の個展のDMの画像をホームページにアップしました。よかったらご覧ください。
●DMの画像
http://ishimura.html.xdomain.jp/work/2022Gallery%20HINOKI/2022hinoki20220209_22515934_03.jpg
●DMのpdf
http://ishimura.html.xdomain.jp/work/2022Gallery%20HINOKI/2022.4%EF%BC%A4%EF%BC%AD%E8%A6%8B%E6%9C%AC.pdf
●プレスリリース
http://ishimura.html.xdomain.jp/work/2022Gallery%20HINOKI/プレスリリース.pdf


さて、本題に入りましょう。
私の友人が『ロング・ウェイ・ノース』という素敵なアニメーションがテレビでやるから見た方がいいよ、という連絡をくれました。ふだん、私はそれほど映画やアニメーションを見る機会のない人間ですが、そう言われると気になります。さっそく録画して見ることにしました。
このアニメーションをご存知ない方は、基礎的な情報をこちらからどうぞ。
https://longwaynorth.net/
https://www.youtube.com/watch?v=uxhoSKVx8VE
私はアニメーションについて何か語るほどの知識もないので、ここでこの作品の全般を批評することはできません。今回は、このアニメーションが表現している寒々しくも美しい色彩について、そこから連想することについて書いてみましょう。
まずは、先の公式サイトから、ここで書いてみたい内容にかかわる情報だけ抜き出しておきましょう。
このアニメーションはフランスとデンマークの合作で、2015年に作られました。数々の国際的なアニメーションの賞を取っているということで、日本ではジブリの高畑勲監督が絶賛した、と書かれていました。
このアニメーションの後半は、北極での過酷な探索の日々になります。それが簡素化された描写の中で、白い氷の世界が圧倒的な迫力で描かれてるのです。その厳しさが登場人物たちに重たくのしかかってきて、見ていてつらくなります。
こういうアニメーションは、日本の商業アニメではなかなかないな、と思っていたのですが、高畑 勲(1935 - 2018)の名前から『火垂るの墓』(1988)や『かぐや姫の物語』(2013)といった作品のことを思い出しました。そういえばこれらの作品も、商業的というにはあまりに暗い物語であったり、意図的に描写を大ぶりにしてあったり、ということがありました。この二作品は、『ロング・ウェイ・ノース』に近い何かがあるのかもしれません。
さて、その『ロング・ウェイ・ノース』の簡素な描写ですが、このアニメーションはその分だけ色彩表現に工夫が凝らされています。それも、贅沢な色の使い方というのではなくて、例えば意図的に明暗をはっきりとさせた構図を選び、その明るいところと暗いところの限定された明度の中でも、微妙な色彩感を表現する、というような工夫をしています。それは太陽の光が乏しい北国の、だからこそ光に敏感になっている人たちの視覚を表しているようにも思えました。

ここで連想の一つめです。
私はフェルメール(Johannes Vermeerr, 1632 - 1675)の絵画に特徴的な、窓から射す光のことを思い出しました。例えば、いま話題になっている『窓辺で手紙を読む女』という作品があります。
https://www.dresden-vermeer.jp/
ちょっと横道に逸れますが、このフェルメールの展覧会はパンデミックの関係で会期が変わったようですね・・・。
それはともかく、この展覧会の公式サイトの紹介文を読んでみましょう。

17世紀オランダを代表する画家ヨハネス・フェルメール(1632-75)の《窓辺で手紙を読む女》は、窓から差し込む光の表現、室内で手紙を読む女性像など、フェルメールが自身のスタイルを確立したといわれる初期の傑作です。1979年のX線調査で壁面にキューピッドが描かれた画中画が塗り潰されていることが判明、長年、その絵はフェルメール自身が消したと考えられてきました。しかし、その画中画はフェルメールの死後、何者かにより消されていたという最新の調査結果が、2019年に発表されました。
本展では、大規模な修復プロジェクトによってキューピッドの画中画が現れ、フェルメールが描いた当初の姿となった《窓辺で手紙を読む女》を、所蔵館であるドレスデン国立古典絵画館でのお披露目に次いで公開します。所蔵館以外での公開は、世界初となります。
(『フェルメールと17世紀オランダ絵画展』公式サイトより)

フェルメールの絵画は、その細やかな表現から写実的な作品だと思われがちですが、そうでもありません。この作品でも背景のキューピッドの画中画のエピソードが問題とされているように、しっかりとした構想のもとに描かれているので、その解釈がさまざまに分かれていて論議を生むのです。
この作品でもキューピッドの画中画以外にも、例えば手前のカーテンの位置についてもいろいろなことが言われています。具体的な室内空間を想定すると、このカーテンの位置が不自然に見えるのです。おそらくこれは、カーテン越しに覗き込むような情景にしたかったための演出でしょう。実際にカーテンがどれくらい手前にあるのか、は想定されていないのだと思います。
そして写実的だと思われている人物や個々のものの描写も、実は面的な色彩表現のための省略がなされているのです。その色彩表現の故に、あの微妙な光の表現が可能となるのです。このことは、彼と同時代のいかにも写実的であることに心血を注いだ作品と比較するとはっきりとわかります。フェルメールの表現は、あの時代においては破格的な、とても特異なものだったのです。
私はこの作品の実物を以前に見たことがありますが、その背景に突然キューピッドが現れるというのも、びっくりです。絵の背後の壁にキューピッドが描かれていた、というのは比較的知られた事実でした。それが上記の紹介文にある通り、フェルメール自身が塗りつぶしたというのが定説だったのです。ですから、フェルメールがこの画中画はない方が良い、と判断したのだと思っていましたが、そうではないということですから、もう一度実物を見て確認してみたいものです。この新型コロナウイルスの感染状況下では、会期が多少ずれても見に行くことはできないでしょう。ちょっと残念ですね。

さて、連想の二つめです。
このアニメーションの青みがかった寒々しい色彩から私がふと思い出したのは、こういう色合いを表現するのに適した言葉がたしかあったな、ということです。それは私が中学生の頃に読んだ新潮美術文庫の『ルノワール』の巻に書かれていた「酸っぱく描く時期」という言葉のうちの、「酸っぱい」という味覚を表す言葉です。このアニメーションの、人の肌の色さえ青緑がかって見えるような色彩感は、どことなく「酸っぱい」という語感がピッタリくるような気がするのです。
その新潮美術文庫の記述ですが、どちらかといえば暖色系の温かみのある色彩を柔らかなタッチで描くことが特徴であるルノワール(Pierre-Auguste Renoir 、1841 - 1919)の画集なかに「酸っぱい」という言葉が記されているのは、意外だと思われるかもしれませんね。しかしルノワールには、「酸っぱく描く時期」と呼ばれた作風があったのです。
その「酸っぱく描く時期」というのは、ルノワールが印象派の絵画から脱却して、独自の華やかな色彩表現に至るまでの、過度期にあたる時期を言い表したものでした。具体的には、次の画像の『大水浴図(浴女たち)』(1884 - 1887)について書かれたものです。その画像と解説の文章を見てください。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d4/Pierre-Auguste_Renoir%2C_French_-_The_Large_Bathers_-_Google_Art_Project.jpg

1881年のイタリア旅行は、形態的秩序と色彩の簡素化によって、ルノワールを古典的な追求にめざめさせた。ルノワールはこの大芸術というべき『浴女たち』のために三年間準備した。おびただしい素描によって、アングルのように厳しい線的性格の強い形態を研究しているのである。「厳格な様式」とか「酸っぱく描く時期」とよばれる作風の代表作として1887年のサロンに出品したが、ルノワールの変貌の意図は理解されなかった。印象主義の超克のための試練のときであった。
(『ルノワール』黒江光彦)

あるいは、この時期に描かれた次の『雨傘』(1881 - 1886)の画像を見てください。その女性の服や傘の色を見て、何となく「酸っぱい」感じがしませんか?
https://www.musey.net/2437
「酸っぱい」でピンとこなければ、「冷(さ)めた」感じ、と言えばもっとわかりやすいかもしれません。この作品だけでわかりにくいようでしたら、ルノワールのその前後の時期の作品と見比べてみてください。
この時期の前に、ルノワールは印象派の画風で傑作と言われた作品を描いていました、などと書く必要もないくらい有名な『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』という作品です。
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Pierre-Auguste_Renoir,_Le_Moulin_de_la_Galette.jpg#mw-jump-to-license
あるいはこの後にルノワールは、最もルノワールらしいと言われた画風に変わっていきます。次の画像の『ピアノの前の少女たち』は、晩年のルノワールの作品の中でも、画面構成や形体表現がかっちりとした名作だと思います。
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Auguste_Renoir_-_Young_Girls_at_the_Piano_-_Google_Art_Project.jpg#mw-jump-to-license
これらの傑作に挟まれると、「酸っぱく描く時期」のルノワールはやはり魅力がないように見えますか?
実は、私はそう思わないのです。私は印象派の移ろいやすい光の表現と、古典的な形体秩序に引き裂かれていたこの時期のルノワールの作品を、むしろその前後の時期のルノワールよりも魅力的だと感じます。ルノワールの生涯の中でも、最も絵画の真実に近づいた時期だったのではないか、と私は思うのです。
この時期のルノワールは一般的に不評だったようです。たしかに『大水浴図』の女性のポーズには、少々わざとらしさを感じますし、表現上の苦悩も垣間見えてしまいます。しかしWikipediaの記事によると、ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)は『大水浴』を評価したそうです。また、ルノワールはこの時期にセザンヌ(Paul Cézanne, 1839 - 1906)のアトリエを訪ねたりもしていたようです。もしもこのまま形体表現に厳しい態度で試行錯誤を続けたなら、彼もゴッホやセザンヌのような絵画の本質を追究するような画家になれたのではないか、と私は思います。晩年のルノワールの、ややデッサンの甘い絵を見ると、この人は最後のところで自分に対して厳しくなれなかった人だな、と思ってしまうのです。

次に三つめの連想です。
北欧的な色使いの画家として思い浮かぶのが、ノルウェー出身のムンク(Edvard Munch , 1863 - 1944)です。ムンクというと、黄色と赤が印象的な『叫び』という名作が思い浮かびますが、あの絵の色使いはどちらかというと、ムンクにとって例外的なものだと思います。例えば次の画像の寒々とした、そして静かな迫力を秘めた作品を見てください。
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:%27Starry_Night%27_by_Edvard_Munch,_1893,_Getty_Center.JPG#mw-jump-to-license
この絵は『星月夜』(1893)という作品ですが、アニメーションの色彩と比較すると、あまりにも寒々としすぎているでしょうか。でも、この夜の光の色が私のムンクのイメージです。ムンクも魅力的な画家ですが、ちょっとデッサンが甘いというのが私の見解です。私が彼の作品で興味深いのは、次の画像の作品です。
https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Munch_SelfBurningCigarette.jpg#mw-jump-to-license
『煙草を持つ自画像』(1895)という作品ですが、ここには精神分析的な内面描写を感じさせます。それを下からのライティングというシンプルな設定で描き切っているところが素晴らしいと思います。こういう本気で描いた作品を、ムンクにはもっと描いて欲しかったと思います。ムンクについては、いずれいろいろと書いてみたいと思いますが、今日はこのあたりにしておきます。そしてもう一人だけ、私の頭に思い浮かんだ画家を取り上げておきたいと思います。

最後の連想になります。
それは抽象絵画の父とも言われるワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky、1866 - 1944)です。カンディンスキーの初期の絵を、この『ロング・ウェイ・ノース』を見ていて思い出しました。ちょうど私のイメージに合った絵がトップに掲載されている次のホームページを見てください。
https://www.greelane.com/ja/%e6%96%87%e7%b3%bb/%e8%a6%96%e8%a6%9a%e8%8a%b8%e8%a1%93/kandinsky-profile-4122945/
そこに書かれているように、カンディンスキーは経済学の勉強をしていましたが、30歳ごろに画家を志し、ドイツで美術の勉強を始めます。そこでドイツの画家たちと「青騎士」という表現主義絵画のグループを形成します。しかし、純粋な色彩表現を追究するカンディンスキーは徐々に具象的な形体よりも色彩を重んじるようになり、ついに完全な抽象絵画を制作し、独自の抽象絵画の理論を構築します。
このホームページの絵画をスクロールして見ていくと、その抽象絵画へと至る過程を大雑把に見ることができます。具象的な表現主義絵画から、抽象的な表現主義絵画へ、そして幾何形体も交えた完全な抽象絵画へと至る道筋です。美術史的に見るなら、「青騎士」から即興絵画の時期のカンディンスキーは、晩年の抽象絵画へと成熟する過程に過ぎない、ということになるのでしょう。
ところが、その一般的な見方に反して、カンディンスキーは即興絵画の頃が最もいいと言った評論家がいます。

カンディンスキーの形体は、モンドリアンと比べれば明らかなように輪郭線の概念から逃れていない。色彩は生(なま)のそれであり、パウル・クレーの透明性とは比肩できない。
カンディンスキーの芸術のなかでももっとも優れているのは、『構成のための習作Ⅱ』(1910)などが描かれたころから、1915年までの時期の絵画である。自然/現実のなかに見出される形体によりながらもそれを抽象化していくという制約が、彼の形体感覚の欠如を補い変容させている。自然/現実の痕跡を留める形体が、すでに抽象化された形体と融合し、黒い線とか彼の高名な回想が語っているように白い縁どりの効果ー白はマネ以降、画面をまとめる有効な手段となったーによって統合にう向かっている。
(『モダニズム以降の芸術』「カンディンスキー」藤枝晃雄)

ここで藤枝晃雄(ふじえだ てるお、1936 -2018)が言及している作品がこれです。
https://www.musey.net/5288
彼はカンディンスキーの作品をあまり高く評価していませんが、それもわかる気がします。カンディンスキーの作品は、どうしても抽象絵画のパイオニアとしての美術史的な意味合いで見てしまうのです。それに対して、おいおい、もっとよく見ろよ、と言いたくなるのでしょう。
しかし、私はもっとさかのぼって、カンディンスキーが「青騎士」の頃の表現主義的な絵画を追究していたら、その後はどうなっていただろう、と夢想してしまいます。彼が抽象絵画のために費やした知性と感性を、絵画の抽象化にこだわらずに自分の絵画に追究していたら・・・、と思ってしまいます。
いまの私たちは、カンディンスキーの頃よりも期が熟した時代に生きていますし、それは絵画においてそういう追求がありえる時代なのだと思います。カンディンスキーにとって、モダニズムの発展こそがやるべきことであったのは致し方ないことです。しかし今の私たちはもっと自由な時代に生きていて、あらゆる方法論を選択できる立場にあります。
それなのに、現在の息苦しさはいったい何なのでしょうか?

さて、アニメーションの話から連想して、関係ない話ばかりですみませんでした。
アニメーション好きの方からすれば、興味のない話ばかりだし、美術好きの方からすれば、サブカルチャーのなかでも子供向きの分野だと考えられているアニメーションですから、あまり縁がないのかもしれません。それに私は、アニメーションの絵柄を安易に絵画作品に持ち込むことには否定的です。
というのも、私はやはりアニメーションは動画であることに意味があると思っているのです。それが映画に端を発していることを考えれば、アニメーションも映画も動く光の芸術だとも言えるでしょう。そこから、静止した図像だけを安易に切り取って、絵画の場に持ってくることに私はあまり意義を感じないのです。
今回、アニメーションから絵画作品を連想したのは、アニメーション全体が持っている世界観から触発されたものです。アニメーションであれ、映画であれ、優れた作品は上質の世界観を持っていて、それは文学や美術とも通底するものだと思っています。その中の一部分を切り取って、他の分野に安易に移植することはできません。優れた文学作品であっても、そのままでは映画の脚本になり得ないことは、誰でも知っていることです。
それに加えてアニメーションと美術の世界では、一方に高い垣根があり、一方では安易な移植があり、その双方を関連づけてうまく語られることはほとんどありません。美術を語る人はなんだか小難しいことばかりを話しますし、アニメーションを語る人はその世界の中だけで通じる言葉で話せば十分だと思っているような傾向があります。
これはアニメーションや美術に限ったことではありませんが、互いの芸術の特性を尊重した上で、もっと相互に通底するもの、感じ合えるものについてオープンに語ることはできないものか、と思います。
例えば今回のようなくだらない連想ゲームでも、文学好きの方がやれば、また違った展開になって、文学の分野にとっても良い刺激になるのではないでしょうか。私は、アニメーション作品がこれだけのユニークな色彩感を表現できるのなら、自分の絵画でももっと固有の色彩表現ができるのではないか、と考えています。私の作品をひと目見ただけで、ああ、これは、と思ってもらえれば、その細部まで見てもらえるきっかけになるでしょう。
そんな絵画を夢見て、がんばりましょう。

 
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