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そのときは、記事のタイプや段落構成といった「かたち」にフォーカスしただけ。だが、いつもは流し読みする記事をあらためて精読してみて、「うーん、読みにくい」と感じる記事も少なくないことに気づいた。
「いい記事を書け」。隊員も記者として働く際には飽きるほど言われてきた。文法や言葉遣いには「正解」があるので、その記事が「悪文」かどうかは評価しやすい。しかし、記事の内容の評価は難しい。はたして「いい記事」とは何者なのだろう。
元毎日新聞記者でノンフィクションライターの石戸諭氏が、なんだかしっくりくることを書いていた。「目先のクリックを稼ぐことは。本当に『合理的』か? 2020年、メディアの競争は激化する」とうたった記事。その中で「良いニュースの五大要素」を挙げている。
- 良いニュースには「謎」がある
- 良いニュースには「驚き」がある
- 良いニュースには「批評」がある
- 良いニュースには書き手の「個性」がある
- 良いニュースには「思考」がある
「これこそが、ただのニュースか、良いニュースかを分けるキーワード」(石戸氏)なのだそうだ。
乱暴に要約すると、「問いを立てる力のある書き手が、対象とのふさわしい距離を保ちつつ論理的に考え、選んだテーマの価値を示し、社会にある『なぜ』を解き明かす」記事が良いニュース、ってことかな。
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そして今、ネット上にはファストな文章があふれすぎているという。喜怒哀楽といった「感情を刺激する」ニュースが日々、報じられているのだと。「バズる」「フォロワーを増やす」など、「単に数字だけを狙うなら、感情を効率よく刺激した方が合理的であるのかも知れない」(石戸氏)。
ソーシャルメディア上にあふれる「自己発信」も同様に、書き手と同じ意見を持つ人々の間だけでシェアされ、クリックされ、喜ばれるような「閉じたメディア」になっていないかと問い掛ける。確かに、思い当たる節はたくさんある。
「一時の感情を満たして終わるのではなく、スローでも良いから複雑な思考に耐えられるものを目指したい」という石戸氏。激しく同意した。