見知らぬ携帯番号から、スマホに着信が入った。
「あのぉ、きょうれんくんですか?」
うら若き女性の声だ。ドキッ。ワクワク。
「はいっ」
「あのぉ、私、〇〇です」
「…ん? え? おおっ、〇〇さん!?」
大学時代に渡ったベトナムの留学仲間からだった。
ほぼ20年ぶりの音信。(ということで、「うら若く」はなかったのだが)
「たかまさん(留学時代のベトナム人からの呼ばれ方)、元気そうだね。私まだ、ホーチミン(HCM)で暮らしてるんだよ」
当時付き合っていたベトナム人男性と結婚し、子どもも大きくなっているという。
「おめでとう。…ってことはこれ、ベトナムの携帯電話から?」
「そうそう。HCMにはユニクロもあるんだから」
なんと!
場末の公衆電話屋で係員に「ニャット・バン(日本)」とコール先を告げ、ボックスにこもってから、しばしば音声の途切れる国際電話をかけていた90年代とは隔世の感がある。
うら若くもない女性からの突然の電話は、訃報だった。
当時、留学仲間みんなでお世話になった駐在員の男性が先日、亡くなったのだ。まだ72歳だったという。
彼女と僕の共通の悪友が「たかまさに知らせたい」と言い、彼女があの手この手で僕の連絡先をみっけてくれたそうだ。
僕と彼女と悪友の3人は、HCMの下宿先が近かった。年齢も立場も違ったが、どこか気が合い、暇さえあれば一緒に遊んだ。
まぁ今思えば、全面的、圧倒的に地味でしょーもない「遊び」だったが、僕にとっては間違いなくかけがえのない、ぜいたくな時間だった。
あの時の仲間が、クソ暑くカオスな町に根を下ろしている。人間の営みがちっぽけに思える圧倒的な南国の自然の中で、傍若無人かつ屈託のないベトナムの人々に囲まれながら、今この瞬間もアホ面ぶらさげて暮らしている。
そう思えただけで、なんだかうれしくなった。
生暖かい梅雨空の福富の空気が、HCMでの青春の1年間をプレイバックさせる。
好きなものは多いほどいい(BY中村一義)。