福富ストラット

「記者ときどき農夫」。広島の山里で子ども向け体験農園づくりにいそしむ、アラフォー新聞記者のブログ。

年の瀬の神社で

2019-12-29 08:13:39 | 日記
 先日の朝、福富町のわが家そばの神社の大掃除があった。「すす払いして、門松を立てるぐらい。パパッと終わりますよ」。ご近所さんからそう聞いていた。
 集合時間に30分ほど遅れて到着すると、なんのなんの。高所作業用のクレーン車に乗った男性2人が、こんもりと茂った境内の高木をチェーンソーでばっさばっさと切り落としている。これが「パパッと」か…。
 地区の役員さんたち20人余りが、落ち葉を掃き集めたり、神殿のほこりを払ったり。アラフォーにして「最若手層」の隊員は、急階段の落ち葉を竹ぼうきでさっさと集める。「いやぁ、木まで切るとは僕も知りませんでしたぁ」。ご近所さんも笑いながらぼうきをふるう。

 掃き終わると、クレーン車部隊が切り落とした枝をさらに小さく切り、境内の隅に運んで積む。すぐに汗ばんでくる。急階段に落ちた枝はバケツリレーならぬ、ご神木リレーでどかす。
クレーン車部隊は、予定になかった木々までどんどん切り落とす。「はぁええでー、わしら帰りたいんでー」。役員のおじちゃんが10メートル頭上の男性2人にさけぶ。が、「ぶった切り」はジェイソンなみに止まる気配はない。枝を運べど運べど、枝が降ってくる。囚人の苦役か。
 掃き清めた境内は、あっと言う間にふたたび枝葉のくずで埋もれる。平均年齢のすこぶる高い地上部隊。「足が痛むんじゃぁ」。じいちゃんたちはいつのまにか作業の輪を外れて休んでいる。

 「こりゃ、彼ら、コーフン状態ですな」。ご近所さんもあきらめ顔で腕を組む。「でも、作業車まで出してやってくれるんじゃけ。わしらじゃできんよ」。やや若手の役員さんが言う。確かに、それぞれがちょっとずつ役割を果たし、ちょっと面倒な個性や慣習も受け止め、くらしを分け合い、支え合う。共同体とはそういうものか。
 本殿の前では、庭師さんが着々と門松を立てていた。「竹の切り口が笑顔に見えるように切るんですよ」。なるほど、竹の節が口のように見え、生きてるようだ。
 予定を大幅にオーバーして正午前に作業終了。「やれやれ、ようよう終わったで」。皮肉めいた言葉とは裏腹に、みんなさわやかな表情。境内は見違えるようにすっきりした。「これで気持ち良く年を越せる」というやつか。

 思えばこの神社、隊員が転居当日に「雰囲気のある神社だな」とひとりカメラを抱えてうろつき周った神社。そのときの参拝の御利益があってか、ことしもたくさん「いいな」と思う人や、心ふるえる出来事に出会えた。
神様、新年も良いこと面倒なこと、いろいろあると思いますが、どうぞよろしく。良いことを多めに、お願いしますね。

 ♪僕らの町に 今年も雪が降る
 いつもと同じ白い雪さ 積もる積もる
 あと何日かで 今年も終わるけど
 世の中は いろいろあるから
 どうか元気で お気をつけて
 (ユニコーン「雪が降る町」)

とあるクリニックで

2019-12-25 12:27:21 | 日記
 東広島市内の児童精神科の開業医を訪ねた。隊員が進めている不登校や引きこもりの子どもたちの居場所「こども農園(仮)」づくりについて、助言や力ぞえを請おうと、数年ぶりにアポイントをもらった。
 以前、約1年にわたって一緒に仕事をさせてもらったことのあるドクター。当時は別の療育機関に勤めていた。当時から超多忙な人で、アポ時間に到着して面会まで「1時間待ち」はざらだった。

 初めて訪れる新しい“マイクリニック”は、新興住宅地に立っていた。発達障害を専門に診る珍しい小児クリニックで、待合室はカフェのよう。午前中の診療時間が終わろうとしていたが、まだ親子連れたちが入れ代わり立ち代わり、診察室に入っていく。
 「作業療法をやろうということになったよ」。父親らしき男性が奥さんと思われる人に電話で診療結果を報告する。「そう、あぁ、聞いとくよ」。クリニックから提案された作業療法の受診ペースを、もっと増やしたいようだ。
 看護師のお姉さんが、待合室でお菓子を配って回る。「クリスマスが近いので、お菓子どうぞ」。ソファにひとりで腰掛けた中学生ふうの男の子は、あれこれ悩んだ末にブドウ味のお菓子を手に取る。「あっ、ありがとうございます」。うつむき、はにかむ男の子。
 ひとりひとり、それぞれの「課題」を抱え、家族とともに悩み、クリニックにかかっている。隊員が普段使う、発達障害、療育、特別支援―なんて言葉が、使い勝手はいいが何ごとも表せない、のっぺらぼうな言葉に思えてくる。

 40分待ちで面会できたドクターは、昼食の時間も取らず、たくさんのことを語ってくれた。1歳半健診でほぼ4割が「気になる所見」が見つかること。障がい者雇用枠でなく、一般雇用の枠で障がい者を雇用する企業がでてきていること。知的障害者と精神障害者の仕事上のハードルのちがい。隊員が描く「農園」が、さまざまな就労支援にまでつながるのが理想であること―。どれも勉強になる。
 ドクター自身もずいぶん以前、農家から畑を借りて子どもたちと農作業をする試みもしていたらしい。「でも、僕ら医者がふだんから畑を世話できないから、どうしても無理が出てきてね」
 わが「こども農園」で開く保護者との勉強会での講師役などでの「ご助力」をお願いすると、快く引き受けてくれた。そして、隊員がこれまで訪れたいくつかのフリースクールの先生ともつながっていることが分かった。

 そのうちの1校の代表者男性も今月、わが農園の視察に来てくれた。幼少期の療育から就労支援まで一貫して手掛けている。「不登校や引きこもりに限定せず、あえて一緒に集えるといいですね」「その日にやることを大まかに決めたら、あとは子どもたちの流れに任したほうがいい」。なるほど。
 代表者の男性自身も、大人になって学習障害(LD)であることが分かったという。もともとは農業関係の企業に勤めていた。どうりで、畑や田んぼをみて繰り出すコメントがプロ並みに詳しい。わが家で1時間ほど話をして、少しだけ軽トラを走らせて町内も見てもらった。「いいところですね。一緒にいろんな可能性を探らせてください」。ありがたい。
 学ぶべきことは尽きない。

続・醍醐味は旅の途上にあり

2019-12-23 00:08:09 | 日記
 前回のブログで、「1200キロの道のりを自転車で90時間以内に走破する」イベントに加わるためにフランスに渡った知人女性のフェイスブック連載に触れた。この連載をネタに、わがブログはあしたのジョー、大村はまへと、コーフン、迷走ぎみに展開する。

 月に1度、アラフォー隊員と同じ協力隊員たちが定期的に集まり、活動や課題を報告し合うミーティングがある。この場で、アドバイザー的存在の人の口からしばしば飛び出す言葉が、「で、その先にある目的は何?」という言葉。ふーん、と隊員はそこで、はたと止まってしまう。目的を達成するための道のり、か。
 そういえば、記者として最近まで担当していた教育委員会の幹部もよく口にしていた。「今の時代、知識も道案内もタブレットでポンと検索すれば出てきます。これからの子どもは、その知識を活用する力を育むべきです」と。一理ある。知識の詰め込みばかりじゃ人生、立ちゆかない。

 でも、学ぶってそういうことか、とも思う。図書館でふさわしい図鑑を探し当ててページをめくったり、見知らぬ町で見ず知らずの人に道を聞いたりして、いろんなことを間違えながら遠回りする。その手ざわり感のあるプロセスが、隊員にとっては楽しい学びでもあった(今もそうだ)。仕事の中にある手作業、生きるための家事、出会いのためのドサ回り、悩んで考え失敗する時間…。そんなおいしいところを、「効率いいから」って自分の生活から持っていかれたくない。
 だって、目的のためにプロセスをこまぎれに断片化して手放しすぎると、仕事も暮らしも手ざわり感を失う。味気なくなる。愛着がわかない。「きちんとした」結果を「早く」出すためにプロセスの大半は誰かに委ね、スマートにゴールしても、おもしろくもなんともないけどなぁ。

 「すでに半分ポンコツで勝ち目がないとしたって、そういうことじゃないのさ」
 パンチ・ドランカーとなった矢吹ジョーが、ホセ・メンドーサとの試合の直前、ヒロインの白木葉子から「試合の中止と引退」を懇願されて吐くセリフ。だいぶちがうけど、うん、「そういうことじゃない」のだ。青臭いヒロイズム、嫌いじゃない。

 「あこがれのフランスで、好きな自転車を思いきりこいできちゃおう」。なんてロードバイク好きの知人女性の「実験」も、もっともらしい目的や意義とは無縁な感じがうれしい。
 効率重視、目的偏重の時代。教師で、国語学者だった大村はま(1906~2005年)の詩がしみる。

(前略)
今はできるできないを気にしすぎて
持っているもの 授かっているものを出し切れていないのではないか
成績をつけなければ 合格者をきめなければ、それはそうなのだ
今の日本では 教師も子どもも 力のかぎりやっていないのだ
やらせていないのだ
優劣のなかで 教師も子どもも あえいでいる
学びひたり 教えひたろう
優劣のかなたで
(大村はま「優劣のかなたに」)





醍醐味は旅の途上にあり

2019-12-21 05:21:27 | 日記
 ロードバイク好きの知人女性が、フェイスブックで「サドルの上からBonjour」と題した文章を書き連ねている。この夏、フランスで開かれた「1200キロを90時間以内に走破する」というイベントに参加したレポートだ。1200キロといえば、広島から札幌までとほぼ同距離。まぁ、よくやるな。
 波乱万丈の道中や、質素かつ贅沢なにわかパリジェンヌ的時間、異国の地で向き合う自らの来し方行く末…がつづられたこのFB連載。フランス、ロードバイクという、隊員には関心の薄いテーマにもかかわらず、「知り合いが主人公だから」という要素を割り引いても、なかなか興味深く読める。
 その大きな要因のひとつに、同類の「感性」というか、「思考の配線」を感じる点がある。

 「地球の輪郭をなぞる。そんな感覚でずっとペダルを回していた」
 例えば、こんな書き出し。アラフォー隊員も地球を肌身で感じたくって、ザックひとつで旅を重ね、はために見れば「非効率、めんどくさい、わざわざそんな…」的暮らしを喜々として楽しんできた。

 「身に降りかかる出来事を、基本的に拒否せず面白がる」
 そんな自己分析もつづる。うんうん。こちらも数ある予期せぬトラブル、失敗をやらかしてきたが、どこかで「オレ、こんなことになってる。おもしろくね?」「へえ、まさか自分にこんなこと起きるとはね。おもしろくね?」と客観視してしまう。かわいくない。周りの心配や同情に「ん? そんな深刻な話か?」と心で思いつつ、「そうなんですぅ。しょぼーん」といちおう甘えておく。性格悪い。

 同世代の彼女とメッセージを交わす中で、「実験」という言葉でつながった。そう! 人生、実験なのだ。実験がないと味気ない。うちら1人がずっこけても、この世界にとっては、ゾウのケツのハエぐらいささいなこと。実験の結果を、大して気にしていない。それでも地球は動くのだ。実験そのものが醍醐味。そんな「生きるスタンス」が似ている気がした。
 この共通項。パーソナリティーの部分もあるが、時代の要素も少なからずあるのかなと思う。「結果と成果がすべて」みたいな今の社会。目的やゴールにとらわれすぎて、プロセスを楽しみにくい世の中。

 そういや、こないだ真心ブラザーズファンだという“あいみょん”がTVで語ってた。「自分はダウンロード数とか気にしながら音楽やってきた。ピュアに音楽をやってきた真心さんが、うらやましい」とか。それを聞いた真心のYO-KINGが「へぇ、びっくり。オレ、その日のレコーディングが楽しければいいな、ってぐらいしか思ってこなかった」とビールをぐいっ。能天気おやじ、いいね。レコード聴いて、ラジオや有線にリクエストしてた牧歌な時代。
 長くなったので、この先はまた書こう。To be continued…

不機嫌は罪なやつ

2019-12-19 09:19:28 | 日記
 先日、友人が出演するライブ会場へ冷やかしに行った。最近まで彼がハンドでボーカルをやっていることなど知らなかった。ちょうど久しぶりにゆっくり話もしたかったので、車を飛ばして駆け付けた。
 いわゆるオヤジバンドたちの合同ライブ。会場の公共ホールに着くと、友人のバンドの一つ前の「B’zのコピバン」が爆音を響かせていた。ウルトラソウッル! ガラガラの客席で、最前列の若者2人がヤケクソ気味に踊っている。うーん、男子校ふうのカオス。いい!
 はい、次のバンド。出てきたよ、友人。まさかのグラサン姿で。おい、照れんなよ。
イラスト入りのパーカーにキャップ、スニーカー。ヒップホップボーイのいでたちじゃないか。そして、歌うのはなぜかオールドロックとブリティッシュロック系の計4曲。
 しかし、意外にも、歌がうまい。声がきれい。きれいだけに、しゃがれたボーカルのオリジナル曲とのミスマッチが微笑ましい。MCはこっちが恥ずかしくなるほど、さぶかった。ガラガラの客席の隅でひとり、笑ろた。

 終演後、会場の外で待っていると、ヒップホップ姿の友人が姿を見せた。コンビニで飲み物を買い、そのへんのソファーでだべり。話題は、音楽からつれづれに広がっていった。
 ちらほらと聞いてはいたが、彼、なかなか大変な状況にあるようだ。詳しくは生々しすぎて書けないが、仕事も家庭も、まぁ思うようにいかない。歯車がひとつ狂うと、がたがたと生活全体がきしむ。話を聞きながら、隊員も激しく相通じたのは、どんな組織でも「頭がカタいおっさん」が偉そうぶってるとこは、ろくなもんじゃないってこと。

 そういえば最近、「不機嫌は罪である」(齋藤孝著)って本を読んだ。

 「不機嫌臭を醸し出す中高年男性が多いのは、無意識に『不機嫌=頭がよくて威厳がある』と思っていることが影響しているのでは」(本文引用)

 そう、いるいる。不機嫌なおっさんに免疫のない若い子たちは意味もなくビビっちゃって、職場は水を打ったように、しーん。みたいな。でも、いつも難しい顔してるやつに限って、いざってときに権威に弱いんだよ。仲間を守らないんだよ。

「教師が不機嫌になれば、空間全体の空気が淀み、その不機嫌の対象となっていない学生にまで、不機嫌パワーを及ぼしてしまいます」(本文引用)

 まさに、不機嫌のパンデミック! 短い人生、わざわざ負のパワーにお付き合いしているヒマはない。

 「家長や上司が不機嫌でいられた時代もありましたが、そんな時代は終わりました。現代は『給料はそれなりに多いけれど不機嫌な職場』より『給料は少し下がるけど上機嫌な職場』が求められる時代なのです。部下がたびたび離職するのでは上司としての資質が疑われます」(本文引用)

 でも、他人はそう簡単に変わるもんじゃない。「誰もが聖人」なんて集団があれば、逆に気味が悪い。人間っぽくなくて、イジり甲斐がない。

 じゃ、どうすんだ。
「あなたが上機嫌になれば、周りも上機嫌に変わっていく」(本文引用)

 だよね。頭カチカチ山の不機嫌さんたちは「かわいそうな人ね」と鼻で笑っといて、こちとら勝手に気分良くgo my way。
 ヒップホップの友人とも、まずは一緒にやれる小さな楽しいこと、いくつか始めることにした。「気持ちいいこと、やろうや」。そうだね、ダチよ!