先日の朝、福富町のわが家そばの神社の大掃除があった。「すす払いして、門松を立てるぐらい。パパッと終わりますよ」。ご近所さんからそう聞いていた。
集合時間に30分ほど遅れて到着すると、なんのなんの。高所作業用のクレーン車に乗った男性2人が、こんもりと茂った境内の高木をチェーンソーでばっさばっさと切り落としている。これが「パパッと」か…。
地区の役員さんたち20人余りが、落ち葉を掃き集めたり、神殿のほこりを払ったり。アラフォーにして「最若手層」の隊員は、急階段の落ち葉を竹ぼうきでさっさと集める。「いやぁ、木まで切るとは僕も知りませんでしたぁ」。ご近所さんも笑いながらぼうきをふるう。
掃き終わると、クレーン車部隊が切り落とした枝をさらに小さく切り、境内の隅に運んで積む。すぐに汗ばんでくる。急階段に落ちた枝はバケツリレーならぬ、ご神木リレーでどかす。
クレーン車部隊は、予定になかった木々までどんどん切り落とす。「はぁええでー、わしら帰りたいんでー」。役員のおじちゃんが10メートル頭上の男性2人にさけぶ。が、「ぶった切り」はジェイソンなみに止まる気配はない。枝を運べど運べど、枝が降ってくる。囚人の苦役か。
掃き清めた境内は、あっと言う間にふたたび枝葉のくずで埋もれる。平均年齢のすこぶる高い地上部隊。「足が痛むんじゃぁ」。じいちゃんたちはいつのまにか作業の輪を外れて休んでいる。
「こりゃ、彼ら、コーフン状態ですな」。ご近所さんもあきらめ顔で腕を組む。「でも、作業車まで出してやってくれるんじゃけ。わしらじゃできんよ」。やや若手の役員さんが言う。確かに、それぞれがちょっとずつ役割を果たし、ちょっと面倒な個性や慣習も受け止め、くらしを分け合い、支え合う。共同体とはそういうものか。
本殿の前では、庭師さんが着々と門松を立てていた。「竹の切り口が笑顔に見えるように切るんですよ」。なるほど、竹の節が口のように見え、生きてるようだ。
予定を大幅にオーバーして正午前に作業終了。「やれやれ、ようよう終わったで」。皮肉めいた言葉とは裏腹に、みんなさわやかな表情。境内は見違えるようにすっきりした。「これで気持ち良く年を越せる」というやつか。
思えばこの神社、隊員が転居当日に「雰囲気のある神社だな」とひとりカメラを抱えてうろつき周った神社。そのときの参拝の御利益があってか、ことしもたくさん「いいな」と思う人や、心ふるえる出来事に出会えた。
神様、新年も良いこと面倒なこと、いろいろあると思いますが、どうぞよろしく。良いことを多めに、お願いしますね。
♪僕らの町に 今年も雪が降る
いつもと同じ白い雪さ 積もる積もる
あと何日かで 今年も終わるけど
世の中は いろいろあるから
どうか元気で お気をつけて
(ユニコーン「雪が降る町」)