この文章は単に俺の想像として読んで下さい。
今日11月25日は三島由紀夫の命日だが、俺には謎多き日です。
市ヶ谷で割腹した当日は、新宿北口のボロイ酒場で悪友と討論しながら朝まで飲んだが、後日胃袋からコンニャクが出てきて驚いた。彼ほどの美学の持ち主なら死後も考慮して欲しい、俺ですら割腹覚悟なら2~3日は絶食するだろう。
何故か裏側が見えた瞬間でした。
俺たちの世代は、三島由紀夫から大江健三郎に変わった時代です。三島の笑いだが、大蔵省に勤め代議士の答文書を書いたら、上司が美文過ぎると全文書き換えたそうだが、小説家の才能は認めざるを得ます。
本日は違った面で彼を書きます。現在右翼か左翼で揉めて居るが、流石に天才小説家で嘘と言っては失礼だが、演出が多すぎるのだ。
子孫は農家で武士では無いが、祖父が博打的に出世を遂げ偉く成るが疑惑が多くひた隠しだし、武士の弟子が書いた似非文書、武士道、葉隠れはべた褒めです。多分彼の裏側でしょう。
下地は軟弱な体質と性的な悩みと想います。
生と死は小説家の命だが、芥川と太宰を情婦との心中で貶して居るが真実は憧れです。彼の最大のコンプレックスは、似非の病で学徒出陣出来ず、同僚の部隊は南方で全員戦死でした。彼の本心は同僚の詫びで戦争を嫌ってると思うが、小説家の演出で楯の会を遊びで造り、天皇万歳は落語の落です。
見事に情婦と心中成功です。
戦争は禁句だが、皮肉で書けば(三島忌に 河童桜桃 笑いたる)三島忌は憂国忌が正式らしいが、敢えて避けました。河童は芥川、桜桃は太宰の季語で三重季語だが、(目には青葉山ほととぎす初鰹)の有名な句も在るので無視です。
今夜のブログは三島風の駄説ですが、真実は多く含んで居ます。三島の死が昭和元年成立と同日の説が在り調べたが、元号の成立日を確認するのに一時間掛かりました、 正しくは12月25日です、何か不思議な疑問感じるでしょう。大正天皇の命日を調べても無駄でした、三島が亡くなって半世紀経つが予言は合ってます。我らも戦争は実況中継されるだろうし、現場に日本のトラックが走ると予想したが、現実はもっと過酷です。落は本日ハイビジョンの記念日です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます